第百三話「入道右兵衛督」
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頭中将対入道右兵衛督。
「……ついに、始まったみたいだねえ」
微かに口元を歪めつつ豊輝は眼下で争う二人を見下ろす。二の丸御殿の片隅、それなりの高さの矢倉に登った異形の神州人たちは、ぶつかり合う二人の戦いをじっと見つめていた。
「あの二人のこと、他にも手段はありそうなものですが……」
微かな風が吹くとともに文良の身体がふわっと宙を舞い、櫓の手すりに腰をかける。
「……相変わらずの頑固者のようですね」
「あの頑固さときたら頭中将殿にも勝るかもしれないねえ」
呆れたように首を振る文良と豪放に笑う豊輝、対照的な反応であるが下に向けられた瞳はいずれも恐ろしく鋭いものだ。
一方二人のすぐ近くに立つ綾音は不機嫌そうに顔を歪ませている。
秋隆と東香の戦いから目を逸らさずにいるのは二人と共通しているが、その瞳には憤怒に近い感情がくっきりと浮かび上がっていた。
「……このような形で同士討ち、しかも兄上様に刃を向けようとは、身体が変容しただけでなく頭まで魚類に退化したのでしょうか……」
吐き捨てるかのような綾音の言葉に、豊輝は思わずと言った様子で苦笑を漏らす。
「酷いこと言うねえ」
「時代が時代ならば東香殿の行為は反逆と取られても仕方なきこと、切腹すらもあり得る行いです」
「それじゃ、二人を止めますか?」
戦いから一切目を離さずに投げかけられた文良の質問、これに対して綾音はすぐさま首を振って見せた。
「わたくしの兄上様ならばこの程度の窮地、軽く突破されることでしょう」
彼女の言葉に豊輝は楽しげに笑うと、どこから取り出したのか朱塗りの盃に水のように透明な酒を注ぎ、これを煽る。
「だろうな、今の頭中将殿の理気は五清将はおろか、俺たちの誰よりも強い」
「そうなるとむしろ心配なのは藤兵衛、否東香の方ですね」
羽扇を扱うかのように自身の翼で口元を隠し、微かに口角を上げる文良。心配とは口にするものの、この戦いの末どちらかがどうにかなるとは思っていないらしい。
それはどうやら綾音も同じだったらしく、小さな嘆息を漏らした。
「そこはあの兄上様のこと、上手く加減されることでしょう」
ただ勝つのではなく、十分に実力を見せつけ相手に致命傷を与えることなく勝利を収める。
普通に考えれば単純に勝つより遥かに難しい行いだが、秋隆ならば可能と考えているのだ。
「……(されど兄上様)」
そこで綾音は油断なく鼈甲霊亀を構え、東香と向き合う兄を妖しい眼差しで見据える。
「……(億が一でも此方の期待を裏切られるようならばその時はこの手で……)」
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初太刀同士のぶつかり合いの末、互いに距離を取る秋隆と東香。
秋隆の太刀はクリンゲルヴァルドの戦いを経てすでに五清将クラスの実力に達しており、それなりに名の知れた使い手でも相手にならないだろう。
しかし、そんな彼でも四道将軍であり、異形の肉体を備える東香の武技はおいそれと手出しが出来るようなものではなかった。
否、想像すらしなかった未知の剣と言うべきであろうか?
「まさか、両手持ちの得物を片手で扱うとはな……」
緊張した面持ちの秋隆の前に立つ東香の右手には長巻、そして左手には錫杖が握られている。
本来ならば両手で扱うような武器二種を同時に扱うとなれば、それぞれを片手で振るわねばならない。
しかし、本来人間に備わっている筋力ではよほどの訓練を積んでいなければそのようなことは不可能だ。
「いや、片手と言う表現はいささか語弊があるな」
鼈甲霊亀を構えなおしながら呟いた彼の言葉に東香は微かに肩をすくめる。
「……普通の人間には凡そ真似できない、そなたならではの武術と言うことか」
そう、秋隆の言う通り東香の武芸は本来人間には出来ないようなものであった。
鍛え抜かれた両手をアシストするような形で二振りの武器に絡みつくのは東香の背中から伸びる二本の触腕。
吸盤のようなものを備えた蛸の足を思わせるそれは、第二第三の腕のごとく両手武器を握っている。
要は異形となった結果現れた触腕を用いて、長巻と錫杖をあたかも片手武器かの如く扱っているというわけだ。
「……人外の技術、と呼んでくれても良い」
なんとも複雑そうにそう呟くと、東香は仮面の奥で微かに両目を細める。
どうやら彼はこのような姿になったことも、人外の武術を会得したことも歓迎してはいないようだ。
「しかし今は使えるものは何でも使わねばならなぬ時」
直後、東香は大地を蹴り、秋隆に肉薄する。
「っ!」
「……神州を復興させ、世界をあるべき姿に戻すためにな」
恐ろしい速度、まるでサメが水中を泳ぐかのごとき速度に秋隆はすぐさま防御の型をとった。
三つの武具がぶつかり合うとともに、互いの理気が干渉、空間内に稲妻のようなものが走り抜ける。
一応防御には成功したものの見た目通りの剛力による一撃、秋隆は思わず顔をしかめた。
「ほう、我が一撃を防ぎきるとは、面白い……!」
微かに息を漏らし、二の太刀三の太刀となる攻撃を仕掛ける東香。
無論、これを受けるわけにはいかず、秋隆は鼈甲霊亀を振るい、攻撃を捌き続ける。
「そうでなくては張り合いと言うものがない!」
先ほどまでの泰然とした様子とは打って変わって楽しそうな声、秋隆と手を合わせることが心底嬉しくて仕方ないようだ。
「……(柔軟な動き、まるで蛸、それともウナギか?)」
そんな東香の攻撃を必死になって防ぎつつ、秋隆は冷静に動きを分析する。
確かに最初は見たこともない戦法に驚きはしたものの、それもすでに過去のこと。
一撃一撃を見極めて防ぐたびに徐々に余裕をもって攻撃に対応できるようになっていた。
「……(確かに隙がない。しかし奴もまた元は人間、ならば必ず付け入る箇所があるはず)」
そこで一旦距離を開け、東香は二振りの両手武器を構えなおす。
「……ここまでならば十分に対応できるらしいな」
何とも言えない不気味な気運を帯びた東香の言葉に秋隆は眉をしかめた。
「ここまでならば……?」
彼の顔は仮面により見ることは出来ないが、笑みを浮かべているであろうことはなんとなく察することが出来る。
この余裕、まだ奥の手を隠していると見て間違いない。
「真の人外の動きとは、こういうものだ」
直後、東香の背中から伸びていたいくつもの触腕が伸び、秋隆に襲い掛かった。
すぐさま鼈甲霊亀を振るってこれを迎撃する秋隆。
しかし、刀身と触腕が触れた瞬間、まるで鋼鉄同士がぶつかったかのような鈍い音が周囲に響き渡る。
「これは、理気を帯びているのか……?」
柔らかな見た目に反して鼈甲霊亀に触れても傷一つつかない硬度、まず間違いなく尋常なものではない。
果たして東香は秋隆の疑念に対して、得意げに頷いて見せた。
「その通り、蛇のような柔軟性を持ちながらも、一本一本が鋼鉄以上の硬度となっている」
うねうねと蠢く無数の触腕、もしまともに受ければどのような結果になるかは火を見るよりも明らかであろう。
「……なるほど、これは危機と言うべき状況だな」
両手武器による二刀流どころか、背中から伸びる触腕全てが凶器という現状。
単純な実力は別として、手数においては圧倒的に不利な状況だ。
しかしそんな中にあっても秋隆の表情には焦りらしきものが浮かぶことはない。
「危機、という割には全く慌てた様子がないが?」
どうにも納得いかないと言った様子の東香に対して、秋隆は微笑すらも浮かべて見せる。
「慌てても状況は変わらぬからな」
「冷静沈着と言うわけか、これでは追い込んだ気がしないな……!」
知らず生唾を飲み込む東香。追い込んでいるのはこちらのはずなのに、秋隆が発する正体不明の威圧感を受け、背中に冷たいものが滲み始めた。
「……結構、油断して取り損なった駒に逆襲されるようなことにはせぬ」
微かに鼻を鳴らし、東香は触腕を操作、不規則な動きで秋隆を強襲する。
「武器で斬っても良いが、下手に近づくと何があるかわからぬからな」
初歩的ながらも有効な攻撃、いかに秋隆が傑物とは言えこれだけ集中攻撃を受ければいつかは限界が来るはずだ。
時間はかかるものの確実な手段と言えよう。
「……青いな」
しかし次の瞬間、秋隆は鼈甲霊亀を一閃、こちらに迫っていた触腕を切断すると、攻撃の穴をかいくぐるような形で東香に肉薄する。
「なっ!」
「引きちぎれずとも、切断は出来るらしい」
そのまま先ほどと変わらぬ微笑みを浮かべつつ鼈甲霊亀を反転、腹部めがけて柄頭による一撃を加える。
「がはっ!」
口から軟体生物を思わせる青い血を吐きながら後方に吹き飛ぶ東香。
当て身とは言え理気を込めた一撃をまともに喰らったのだ、身体に残るダメージは並ではない。
「油断大敵、優位というものは常に危険と隣り合わせなものだ」
形勢逆転、斬られても尚微かに動く触腕を一瞥し、秋隆は鼈甲霊亀の切っ先を東香に向けた。
「……自慢の触手もこうなってしまっては満足に扱えまい」
「ふふふふふ……」
含み笑いとともに東香はその場に立ち上がり両手を広げて見せる。
すると微かな水音とともに先ほど切断された触腕が一瞬にして再生した。
「っ! なんと……」
「そこらの蛸でも足を治すことくらいは出来るのだから、拙僧ほどになればこれくらいのことは軽い」
再生したばかりの先端で長巻の刀身を撫で、東香は秋隆を見つめる。
「言っておくが、触手以外の箇所、腕や足でも同じことが出来るぞ?」
「つまりどこを斬っても即座に再生できると言ことか……」
今回に関しては単なる手合わせのためそこまでする必要はないだろうが、敵対するとなった場合はとんでもない特性だ。
「仕方ない、それではまた切り結ぶとしよう」
小さくため息を漏らすと秋隆は鼈甲霊亀を構えなおす。
しかしそこで東香は錫杖を地面に突き刺し、左手を上げた。
「その必要はない、頭中将」
次いで先ほどまで空間に満ちていた緊迫感が失せ、理気の流れが穏やかなものへと変わる。
「貴公の真意はわかった。この勝負貴公の勝ちだ」
東香の言葉に秋隆もまた鼈甲霊亀の切っ先を下げ、構えを解いた。
「では……」
「うむ、貴公の太刀は正道たる剣、とても二心を抱く者には振るえないまっすぐな太刀だ」
長巻を鞘に納め背中に背負うと、右手で再生した触腕に触れる東香。その顔は仮面で見ることは出来ないが、なんとなく満足そうである。
「それに、迷いのない動きに一瞬の隙すらも見逃さない慧眼、貴公こそまさに四道将軍家筆頭に相応しい」
どうやらこの戦いを通して秋隆の実力も認めてくれたようだ。
「では、今後は力を貸してくれるということで良いのか?」
「無論そのつもりだ」
肝心なことを確認するように秋隆が問いかけると、東香は一瞬の逡巡すらなくしっかりと首肯して見せる。
「四道将軍とは名ばかりで今は郎党の一人も持たぬが、一人の武士として協力する所存だ」
なんとなく申し訳なさそうな東香、郎党が一人もいないことを気に病んでいるのだろうか?
「ありがとう。東香」
しかし秋隆にとってそのようなことは問題ではない。
そんなことよりも志を同じくする同志が合流してくれることの方がよっぽど大切なことだ。
それに郎党がいないのは豊輝や文良も同じ、特段気にすることではないだろう。
東香も秋隆のそんな内心を察したのか、仮面の奥で微かに喉を鳴らした。
「では鬼紋王について具体的な話をしよう」
秋隆の言葉に無言で頷く東香。ここまでの戦いはあくまでも前座、この先に待ち構える鬼紋王との戦いこそが真打なのである。
「……その話、当然わたくしも一枚かませてくれますのよね?」
突如として聞こえた涼やかな声、秋隆が顔を上げると桔梗城から一人の女性がこちらに向かって歩いてくるところであった。
「……凍子」
「敵が鬼紋王、しかも截教仙女だというのならば、わたくしも同行いたします」




