28:真実と後悔と
翌朝、カグヤはコウキの所に顔を出した。
昨日連絡が来て、富岡とは昼過ぎに会うらしい。ばあちゃんの病棟で面会って言われました、と笑っていた。
もやもやとする心に気づかないふりをして、カグヤも微笑んだ。
その後、中庭へ向かう。
今日も外は暖かかった。
中庭を囲む桜はまだ蕾が多いが、カグヤが気に入っている桜は七つ八つの蕾が開き始めている。
桜の幹に座って、中庭を眺める。
視界が薄いピンクに覆われて、心なしかより暖かく感じた。
昼まではあと少し。
カグヤは桜色の木漏れ日の中、目を閉じて、頬に当たる風を感じていた。
コウキの後をついて、指定された時刻に富岡の病棟へ向かう。
「いやあ、まさか、ばあちゃんが一つ上の階に本当にいるとは思いませんでした」
コウキがエレベーターに降りて周りを見回しながら言った。
「あら、私は言ったわよ。上だって」
「そうっすけど、真上の病棟とは思わなかったですよー」
インターフォンを押し、面会であることを伝えると、面談室前で待つように言われガラスドアが開く。
「病室だとうるさくなるからですかねー。なんかドキドキしてきた」
「私は富岡に、家族の話の邪魔はするな、と言われているから、いったん消えるわ」
面談室と書かれた部屋の前でソワソワしているコウキを置いて、カグヤは遠慮なく姿を消した。
え、かぐやさん?! と驚く声が聞こえたが、気にせず病棟内を飛び、富岡の元へ向かう。
病室では、富岡が車いすに移されている所だった。リクライニングができる車いすの背を倒し、看護師数人が体を支えてベッドからスライドさせている。
「うっ、やっぱり痛いねえ」
「動くのはもう終わりましたよ。体勢整えるので、もう少しだけ頑張りましょうね」
川島ではない看護師が今日は担当のようだ。見たことがあると思えば、滝川が死んだ時に一緒に処置をしていた、後輩看護師の小森だった。
富岡の体を支えている他の看護師と息を合わせて車いすの背を上げた。車いすの背が上がり、富岡がふう、と一息ついた。
「悪いね、わがまま言って。でも、孫にはちゃんと座って、話をしたかったんだ」
「お気持ちわかりますよ。だから、主治医の田畑先生も許可してくれたんです。少し体勢整えますね」
小森は富岡が座りやすいようにクッションで体の向きを調整し、車いすを押し始めた。
そして、コウキの待つ面談室前まで移動する。
「あ、ばあちゃ……ん?」
コウキがようやく来たか、という表情をした後に、驚きに固まった。
富岡が数日前に比べて、顔色が悪かったからだろう。
小森が面談室内の席をセッティングする。椅子を端に寄せ、車いすをテーブルに近づけた。
姿を消しているカグヤは、富岡の後ろに立った。彼女の死角になり、話の邪魔にならないと考えてだ。
「では、お約束の三十分後にお迎えに来ますからね」
「すまないね。頼んだよ」
「はい。では、失礼します」
小森が一礼して出ていった。
「ばあちゃん、調子良くないの?」
コウキは扉が閉まるのと同時に、富岡に問いかける。
富岡は、少し考えこんで、そして口を開いた。
「コウキ、おまえにはきちんと話しておきたいと思った」
そして、コウキと視線を合わせる。
コウキがぐっと拳を握りしめた。
「私は、末期がんだ」
コウキが目を見開いた。
「直腸がんで、半年前に見つかった。その時には転移が多くて手術できなかった。化学療法もしたが、残念ながら私にはあまり効果はなかったようだ。色んなところに転移しているのを、毎月のように確認しに行くだけになっちまった。だから、辞めたんだ。腰の骨にまで転移して、放射線療法も続けてた。だが、とうとう限界が来ちまったみたいでね。腰の骨がつぶれてるってさ。だから立ち上がることも、可愛い馬鹿孫を殴ることも、もうできない」
時が止まったように、コウキは微動だにしない。
それでも富岡は話し続けた。
「あのいけ好かない子に言わせれば、私の命は残り三週間程度だろうとさ。本当にいけ好かないが、一つ感謝はしてるんだ。コウキ、おまえに会わせてくれたことだよ」
富岡は動かないコウキを見つめる。
「八年だ。おまえが馬鹿息子と喧嘩して、家を出てからね。どうやって生きてきたのか、それはこの間聞いた。おまえが家族に合わせる顔がないと思ってることもね。だが後生だ。おまえの両親と妹に、会ってやってほしい」
富岡が、ゆっくりと首を前に下げる。体が痛く動けないなりの彼女の礼のようだ。
コウキは少ししてはくはくと息を吸い、そして富岡から目を逸らした。
「ごめん、ばあちゃん……俺ちょっと、よくわからない。ばあちゃん、死ぬの? 三週間後に? カグヤさんも知ってた? でも、この間は検査してるだけだって……」
「そう言うように、私が言ったのさ。おまえには、私が直接言いたかったんだ……カグヤ、いるんだろ? 出てきたらどうだい」
突然ね、と思いながらも、カグヤは姿を現した。
そして、コウキの側に行くと、頭を下げた。
「コウキ、本当のことを言えなくてごめんなさい。あなたに嘘は言いたくなかったのだけど、本当の事も言えなかった」
コウキが立ち上がり、カグヤの肩を掴んだ。
「カグヤさん知ってたってことですよね? ばあちゃんの病気も、いつ死ぬのかも! 三週間の一日がどれだけ大切か、わかってますよね?! なんで、なんで教えてくれなかったんですか! 検査だって聞いて安心したのに! カグヤさんのこと信じてたのに!」
コウキが泣きながらカグヤの肩を揺さぶる。
カグヤは、何も答えられなかった。
「コウキ! やめないか!」
富岡の鋭い声が飛んだ。
コウキはカグヤの肩を掴んだまま、富岡を見る。
「カグヤは何も悪くないよ。あんたがするのはその子を責めることじゃないだろ。残り三週間もあるんだ。死ぬ前に会わせてくれたことに、感謝しなきゃいけない。一日がなんだい? そんなことを後悔するってことは、これからの三週間、この婆に付き合う覚悟があるってことかい? そうだったら、その子を責める前にちゃんと質問に答えな!」
コウキに向かってぴしゃりと言い切る。直後、顔が歪んだ。
「ばあちゃん!」
コウキが慌てて駆け寄り、しゃがんで顔を覗き込む。
富岡は大丈夫だと言うように少し手を上げた。
「興奮して動いて痛んだだけさ。まったく、ちょっとは冷静にならないか、この馬鹿孫が」
「う……ごめんなさい」
コウキがしゃがんだまま車いすの肘掛に手を置き、うつむいた。
まったく、と言いながら富岡はその頭にゆっくりと手を置く。
そして、優しくぽんぽん、と撫で始めた。
カグヤはその様子を見て、姿を消し、富岡の見えないところに移動する。
「おまえは昔から変わらないね。カッとしやすくて、でも後で反省して、同じ恰好で私に懺悔じみたことをして」
富岡の思考を覗き見すると、幼いコウキの姿が見えた。
今より若い富岡が肘掛椅子に座っていると、うつむいたコウキがやってくる。肘掛に両手を置いて椅子の側にしゃがみこみ、下を向いた顔を腕で隠しながら、今日の後悔を話し始めるのだ。富岡は涙で震える頭をぽんぽんと撫でていた。
そんなことが、コウキが幼い頃に何度かあったようだ。
「これすると、後悔したことを吐き出せて、ばあちゃんに撫でてもらえるのがすごく安心で、次の日明るく過ごせたんだ」
コウキがぽつりと言った。
富岡はそうかい、と言って、コウキを撫で続けている。
覗き見た映像と、目の前で流れる空気の温かさは、何一つ変わっていなかった。
そうしてしばらくしてから、コウキは顔を上げた。
「俺、みんなに会うよ。会ってちゃんと、謝るよ」
富岡は目を瞬かせてから、微笑んだ。
「そうしておくれ」
コウキはうん、と頷いた。
「ばあちゃん、ごめん。この間も言ったけど、勝手に家出して、本当にごめん。ちゃんと、相談すれば、家を出なければ、こんなことにはならなかった」
「……もう、いいんだ。私が生きてる間に帰って来てくれただけで、いいんだよ」
コウキは再び顔を腕に隠し、小さな嗚咽を漏らし始めた。
カグヤはそれを見届けて、壁をすり抜け部屋を出た。
部屋の外では、小森が様子を伺っているのかうろうろしている。
どうやら大声が聞こえたと思ったら、すすり泣いているような声が聞こえて、どうしようか迷っているようだ。
「もう少し、時間をくださいな」
カグヤは少し遠くから姿を現して小森に声をかけた。
「あら、あなたは……」
「さっきまでその部屋にいたの。今はもう大丈夫だから、予定通りお迎えに来てもらえればいいと思うわ」
「そうなのね。大きな声が聞こえたから、何事かと思って来たの。でも、大丈夫なら良かったわ。また後で伺うわね」
カグヤの言っていることは信じるべき、と認識を歪めたため、小森はすんなりと信じ、ナースステーションに帰っていく。
その後ろ姿を見送りながら、カグヤは壁の向こうで泣いているコウキを想った。
『カグヤさんのこと信じてたのに!』
痛い言葉だ。
責められるのはわかっていた。
信頼を裏切るというのは、心が抉れるような痛みを伴うのだと、初めて知った。
「それでも、あなたの信頼を得ていたことを、とても嬉しく思うわ」
例えその信頼が既になくなっていたとしても、約束は守るべきだろう。
空のお散歩。
コウキの喜んでいた顔が忘れられない。
「約束は必ず守るから」
少しだけ、側を離れることを許してほしい。
頼まれてもいないのに側にいたから、許しもなにもないのだろうけれど。
そうしてカグヤは病院を出て、まだ日の高い空に向かって飛び始めた。




