22:久しぶりの故郷
次の日。早朝カグヤはあの喫茶店にいた。
男が二人、今日の経路について話し合っている。
「遠回りだけどこの道を行こう。で、おまえの親父さんの好きな甘味買って行こう」
「保坂、親父の好みなんてどうやって知ったんだよ……」
「そりゃ、おまえの捜索で仲良くなったからに決まってるだろう。この甘味もおまえ探してる時に見つけたんだ。それ持っておまえが帰る。いいじゃないか」
保坂が明るく笑った。
工藤はため息をつくと、ぼそりと呟いた。
「……まだ、ちゃんと会うって決められたわけじゃねえからな」
「はいはい。で、おまえのお袋さんには花買って行こう。今日、見舞い行くって言ってあるから、その辺も大丈夫だ」
「おまえ、俺の話聞いてんのか」
「当たり前だろ。おまえが悩んでるのなんて、わかってる。まあ、行ってみて決めりゃいいけど、行こうと思った時に手ぶらで恥ずかしいわ、ってなったら嫌じゃないか」
俺は若い女か、と工藤がぼそりと呟くが、保坂の笑顔に口を噤む。
「まあ、長く遠くから見てた相手に、告白しに行くようなもんじゃないか。俺、おまえとこんな風に話せるのが本当に嬉しいんだ。いやあ、本当に交番勤務やってて良かったよ」
ははははは、と声を上げて笑う保坂を見ながら、工藤はもう一度ため息をついた。
店の前に止めてある保坂の車に乗り込むと、二人は出発した。
工藤の母親が入院する病院まではここから三時間ほどかかるらしい。病院に行けば、父親にも会えるように、保坂が手配したようだ。
二人にはおまえが行くこと言ってないから、気負わずに行こう、と保坂がまた笑った。
途中の道のりでは、二人にとっては懐かしい話を続けていた。
どうして工藤は家出したのか。どこで何をしていたのか。昔あんなことをやってどうの。こんなことがあってどうの。そんな話を延々と続けている。
少し静かになっても、小さく流れるラジオの音が場を持たせているようで、しばらくすれば、どちらかが口を開いた。
カグヤは保坂の車の後部座席が座り心地が気に入り、座って窓の外を眺めながらその話を聞いていた。
なぜ、コウキも工藤も、守ってもらえる家から外に出るんだろうかと考えた時に、自分もある意味家出なのかもしれない、と思い始めた。
現状に満足していない、自分が知らないことをもっと知りたいと思って家出する。
この通りではないだろうか。
まあ、カグヤの場合は家族に黙ってではないけれど。
自分もコウキと同類だったのかと、少し面白くなった。
車は進んで、高速道路に乗り、だいぶ走った所で高速を降りた。
工藤の父親への菓子と母親への花を買った後、しばらく道を走っていた。
辺りは田んぼや畑が多い所で、この先三十分ほど車を走らせた所にある街に、工藤の母親がいる病院があると保坂が話している。
工藤の表情は硬い。
「……久しぶりに見た故郷はどうだ」
住宅が増えてきた頃、保坂が前を見て運転しながら問いかけた。
この近くに工藤の家があるようだ。
二人にとっての、生まれ育った場所。
工藤はああ、と返事をし、ぼんやりと窓の外を見ている。だがよく見れば両目はせわしなく景色を行ったり来たりしており、自分がいた頃から変わっていないもの、変わってしまったものを探しているようだった。
「おまえが行ってから、この街もだいぶ変わったよ。中心の方に行けば、もっと変わってる。それだけの年月が経ったっていうことだな」
「そうだな」
それからは、車のエンジンとラジオの音だけが響いた。
そして、車は無言の二人を乗せたまま、病院に到着した。
「大丈夫か」
駐車場に車を止め、保坂が工藤へ顔を向ける。
工藤は見てすぐわかるほど、顔色が悪かった。
「……ああ。菓子買った辺りで覚悟は決めた」
「そうか。良かったよ。じゃあ、行くか」
保坂が車を降りる。工藤もその後に続いた。
保坂が勝手知ったる様子で病室に向かっていく。どうやら一度見舞いに来たとのことだった。
カグヤは一旦二人の側を離れ、ぐるりと病院内を見て回る。病院によって雰囲気がこんなに違うのか、と思う。入院していると思われる患者はほとんど高齢者だ。コウキのような若いヒトはほとんどいないようだった。病院の規模自体も小さく、病棟数も多くはなかった。
「ここだ」
二人の所へ戻ると、ちょうど部屋に着いたところだった。
大部屋の部屋の入り口で止まっている。
保坂が真剣な顔で工藤を見た。工藤は、表情をさらに硬くし、握りしめた手は握ったり開いたりを繰り返していた。
「入るぞ?」
保坂が心配げに問いかける。工藤は小さく、頷いた。
ゆっくりと保坂がある部屋のカーテンに近づき、失礼します、と声をかけた。
「保坂です。おばさん、入ってもいいですか?」
「あら、どうぞ」
老年の女性の声が聞こえた。工藤の体がびくりと揺れる。
保坂はその様子に気づきながらも、ゆっくりとカーテンを開ける。
「おばさん、お久しぶりです」
「健一君も久しぶりね。この間も今日も、わざわざお見舞いありがとう」
カーテンの隙間からは、まだ保坂しか見えていないようだ。
「いえいえ。ちょっと今日は、連れてきたい人がいたんでお邪魔したんです」
その時だった。
「博則……!」
男のかすれた声が、一瞬静かになった病室に響いた。
工藤たちが先ほど立ち止まった入口に、痩せた老年の男が立っていた。
「おまえ、おまえ、本当に……!」
男が一歩踏み出した。
工藤の顔がこわばる。
保坂がすっと間に入った。
「おじさん、お久しぶりです。こいつの事も含めて、お話ししたいので、少しお時間いただけますか」
「ひろ、のり……!」
後ろでも声が聞こえた。白髪の女が、カーテンから顔をのぞかせていた。
「あなた、そうなんでしょ? 博則、なんでしょ? ねえ、そうよ! この首元のほくろ、あの子にもあったもの!」
「お、おばさん、落ち着いて。ちょっと、どこか部屋借りれないか聞いてきますから、いったん廊下出ましょうか。他の患者さんの迷惑にもなっちゃいますし」
保坂が工藤の背中を押して、廊下に出る。
工藤の父親は口を固く結び、母親はあまりのことに動転して、点滴台をがしゃがしゃ鳴らしながら後に続いた。
保坂が看護師へ事情を説明し、部屋を借りたいことを伝え、面談室の一つを貸してもらえるようになった。
無言のまま、四人で面談室に入る。
四つある席に、工藤と保坂、工藤の父親と母親が向かい合って座った。
「おじさん、おばさん、今日は何も言わずに連れて来て、すみませんでした」
保坂が頭を下げる。
「……本当に、博則なんだな」
父親が結んでいた口を開いた。
工藤はやや間を開けて、こくりと頷き、うつむく。
がたん、と音を立てて父親が立ち上がった。
「おまえ……今まで、どこで何をしてた! 突然出ていって、もう何年だ! おまえがいなくなって、どれだけ、どれだけ探したと思ってるんだ!」
「あなた、落ち着いて」
激高した父親を母親が腕を引いて座らせた。
だが、おまえ、と父親は興奮した様子で続けようとするが、母親の落ち着いた顔を見て、口を閉じた。
「さっきは私も気が動転してしまって。今も、これが夢なんじゃないかと思ってるわ。……博則、なのね。よく顔を見せて頂戴」
工藤はのろのろと顔を上げた。
母親はじっくりと工藤の顔を見て、そして笑った。
「あなたが書置き一つして家をでてからもう、二十五年経ったわ。あなたが高校二年生になってしばらくして、だったわね。捜索願を出したけれど、見つからなかった。死んだかもしれないと考えた時もあった。……生きているなら、高校生だったあなたは、もう四十二歳。どんな大人になったのか想像していたけれど、実際に会ってみたら、やっぱり違うものね」
工藤は視線を下に落とし、膝に置いた手を握りしめている。
わずかに肩が震えていた。
「……だけどね。私は、私達は、あなたが博則だとすぐにわかったわ」
母親は、穏やかな目をして工藤を見ている。
工藤はゆっくりと母親と視線を合わせた。
母親の顔に笑みが広がる。
「だってあなた、お父さんの若いころにそっくりなんですもの。ほくろがなくたって、わかったわ」
そして、再び笑った。
「おかえりなさい、博則。本当によく、よく帰ってきてくれたわ。ねえ、あなた」
硬い表情だった父親は、眉間にしわを寄せながら、それでも小さく頷いた。




