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23:親と子と

 その後四人は穏やかに、今までの経緯を話していた。


「そうなの……健一君、本当にありがとう。警察官になって、もういいと言っても探し続けてくれて」

「いいえ。俺はおじさんとおばさんと絶対見つけるって約束してましたし、それに、俺自身の贖罪のためなんです。そもそも、怪我は俺と練習してる時に痛めたところを悪化させたのが原因ですし……本当に、後悔してたんです。俺が工藤の人生潰したって」

「そんなこと……」

「いいんだ、工藤。だから、こんなにも俺はおまえを探してたのかもしれない。俺は、おまえに許してほしかったんだよ。自己満足のためにおまえを探していたようなものだ。だから、感謝なんて、必要ないんだ」


 保坂は晴れやかな顔で工藤の両親に向き直る。


「俺に、ずっと探させてくれて、ありがとうございました。見つからなかったと、その報告に行くのが憂鬱になっても、おじさんとおばさんが優しく迎えてくれたから、探し続けられたんです」


 それから、と工藤の方を向く。


「生きていてくれて、ありがとう。本当は、おまえは死んだんじゃないかって、もう見つけられないんじゃないかって思ったこともあったんだ。……だけど、そんな時にコウキ君に会って、おまえに会えたこと、本当に奇跡だと思う。おまえが生きていたから、もう一度会えた」


 工藤はただ、首を振るだけだった。


「俺は……帰るのが本当に怖かった。あの時俺は、世の中全てが理不尽だと思っていて、世間に反している大人が、なぜだかカッコよく見えていた。その内一人が、俺に自由をくれると言ったんだ。バカだったんだよ。自由なんてなかった。どん底だった。自分が底にいるのがわかるくらいに。死の恐怖が側にある世界だ。生きたいと、それしか思えなかった」


 工藤以外の三人は、静かに話を聞いている。


「帰りたくなった。だけど、自分で出てきたんだ。自由になると粋がって、全て捨てたんだ。そんな奴に帰る所なんてもうないと言われた。その通りだと、思った」


 そんなこと、と母親が呟いた。


「その時の俺にとって、自分がいる世界が、自由をくれると言った人が、全てだった。だけど、歳を取って搾取される側から搾取する側になった時に、やっぱりおかしいと、そう思った」


 工藤は悔しそうに、拳を握りしめながら話を続けた。


「だから、俺みたいに、何も知らないばっかりにどん底まで落ちていくやつを少しでも助けたいと思って、喫茶店を開いた。駆け込み寺、みたいなのを作りたかったんだ。俺にできることなんてたかが知れてる。だけど、そこに来た奴が、俺のおかげでまともになろうって思えたって、そう言ってくれるようになった。時間かけてでも本当の自由を取り戻して、俺の所から巣立っていくのを見て、俺もいつかは、自分と向き合わなきゃいけない、そうは思ってたんだ。ただ、きっかけがなかった。二十五年、だ。おまえに帰る場所はないって言葉は、無意識に俺を縛っていた。帰った所で、おまえなんてもういらないと、そう言われるんじゃないかと、怯えたんだ」


 工藤は父親と母親へ視線を向けた。


「こんな大人になっても、人に背中を押してもらわないと帰ってくる決断ができない、そんな不甲斐ない男だ。それに一度あなた達から自由になると、そう勝手に決別した。それでもまだ、息子と呼んでもらえるだろうか。父と母と、呼んでいいのだろうか」


 工藤の目に力がこもる。

 カグヤには涙をこらえている様に見えた。


 父親が、ゆっくりと口を開いた。


「おまえがやったことは、自分勝手で、親の気も知らない、おまえに関わった人全てを不幸にすることだった」

「ちょっと、お父さん」


 母親が咎めるように言うが、最後まで聞きなさい、と父親は続けた。


「だがな、おまえにとって私たちが唯一の親であるように、私たちにとっても、おまえはたった一人の息子だ。親は、子が何歳になっても、親であり続ける。それが例え、二十五年会っていなかったとしてもな。生きているか死んでいるかさえわからん息子が、生きて健やかでいることを願い、いつかまた会いたいと、一目でいいから会いたいと、そう思うのが、親だ。私はそう、思っている」


 父親の表情はまだ硬いが、先ほどよりは幾分か柔らかくなったようだ。


「おまえが成長して変わったように、二十五年という歳月は私たちの姿も変えてしまっただろう。だがな、おまえも私たちを親だと思っている様に、私もおまえを息子だと思っているよ」


 工藤の目から、ぽろり、と涙が一しずく落ちた。


「よく帰ってきた、博則」


 工藤の嗚咽が聞こえた。伏せられた顔は、涙で濡れている。

 保坂がそっと、ハンカチを工藤に握らせた。




 工藤が落ち着いたころ、保坂が切り出した。


「今日、工藤を連れて来るに当たって、おばさんの病状が思わしくないとは伝えてあります。すみません、勝手なことをして」


 母親は赤くした目をぬぐいながら、いいのよと笑った。


「こうして会えたのだもの。病気にはなってみるものね」

「……俺が聞いてもいいのかわからないが、病状はどんな感じなんだ、ですか」

「敬語なんていいわよ。さっきお父さんも言ったでしょ。あなたと私たちは親子よ。昔みたいに話して」

「……善処する」


 まあ、しょうがないわね、と母親は笑い、続ける。


「明日、手術なの」


 え、とは工藤と保坂、どちらが言ったのか。


「前に健一君が来てくれた時は、ちょうど手術前の抗がん剤をしてる時で、本当に体調が良くなかったの。でも、なんとかそれも終わって、腫瘍も小さくなったから、手術することになったのよ。それが明日」

「がん、だったのか」

「ええ。大腸がん、と言われたわ。小さくなって手術できるけど、しばらく人工肛門を作って生活しないといけない、と言われて。あなたたちが来る前に、看護師さんが説明に来て、それを作る場所に印を付けていったわ」

「人工肛門……」

「そんな、悲しい顔をしないで。はじめは周りに小さな転移があって、手術も難しいと言われていたのよ。それが手術できる。まだ、生きていられる。それだけで幸運なことだわ」


 それに、と母親は話し続ける。


「あなたに、会えた。二十五年会いたいと願い続けていた息子に会えたのよ。あなたとたくさんの思い出をまだ作りたいわ」


 工藤はゆっくりと頷いた。


「明日の手術、俺も待っていてもいいだろうか」


 母親は少し驚いた顔をして、破顔した。


「もちろんよ。こんな心強いこと、ないわ」




 そうして再び四人で話し始めたころ、控えめなノックがされ看護師が入ってきた。

 他の患者の病状説明で部屋を使いたいが、まだかかるか、との確認に来たようだ。

 もう出ることを伝え、母親の病室へ戻る。


「あ、これ、さっき渡しそびれちゃったんですけど」


 保坂が病室に置きっぱなしになっていた紙袋から花束を出すと、工藤に渡す。


「こいつが選んだんですよ。ほら、工藤、おまえから渡せって」

「え、あ、いや……明日、頑張ってくれ」


 ぎこちない動作で、工藤が花束を渡した。


「ありがとう。綺麗なお花ね」


 ふわりと花の匂いを嗅いで、柔らかないい匂い、と母親は喜んだ。


「あと、これはおじさんに。ほら、工藤」

「え、これはおまえが……保坂が、おや、親父が好きだって言ってたから、買ってきたんだ」


 厳めしい顔つきをした父親にも、菓子折りを手渡す。


「あら、あなた、それ気に入って全部ひとりで食べちゃったお菓子じゃない。残念ねえ、しばらくは絶食だから、またあなたに全部たべられちゃうのね」

「おまえが食べられるようになったら、また買ってきてもらえばいい」


 それもそうね、と嬉しそうな声が病室に満ちた。




 カグヤはゆったりとその様子を見ながら、満たされている自分に驚いていた。

 工藤に忠告した時のような、もやもやとした気持ちはすっきりとしている。

 部屋を離れて、空へふわりと飛びあがった。

 眼下には小さな街と、まだ何も植えられていない田んぼや畑、若い緑に染まり始めた山が見える。

 風に流されながら目を閉じた。


「ヒトがいいことをした時に良い気分になるって、こういうことなのかしら」


 私はヒトじゃないのに、とカグヤは笑った。


「ヒトって、愚かね。愚かだけどとても面白いわ。一つの決意が、人生を良くも悪くも変えてしまう。ああ、なんて難しいのかしら」


 カグヤは工藤が会えばいいと思っていた。

 会えば、何かが変わるだろうと。

 けれど、こんなに穏やかな笑い声が満ちるなんて、思っていなかった。


 ヒトの感情は揺れるものだ。だからこれからも、関係が変わることはあるかもしれない。

 けれど、例えば親子というような、一つの確固たる芯があれば、こんなにも強く結ばれるものなのだと、カグヤは改めて知った。


「私は、たくさんのことを知っているけれど、本当の意味では知らないのかもしれないわね」


 風に流れる体を止め、空を見上げた。

 青く広がる空のさらに向こうに、無数に星が輝いているのを、カグヤは知っている。


「私は、どうしてここにいるの。わたしに親と呼べるものはいるのかしら」


 思考の隅を占める白いもやが、返事をすることはなかった。




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