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situation.19 鏡の中の世界

 気が付くとありさは真っ暗な闇の中に突っ立っていた。目の前にも自分が立っている。しかし、向こう側にいる自分の方が明るい。縦長の長方形に切り取られてしまった世界には、自分の部屋が写し出されていた。


『もしもし、ありさ? 聞こえるかしら』


 明るい側に立つ自分が話しかけてくる。今の自分は鏡側の世界にいるのだと、理解するのに若干の時間を要した。


「もしかしてそっちにいるのは、さりあ?」


 現実世界にいた筈のありさが大きく頷く。この大きさの光は、ハンガーラックに付いていた姿鏡のサイズなのか。まるで映画でも眺めているかのような現実にありさは衝撃を受けた。鏡の中にこんな世界があったなんて。見渡すと暗闇の世界の中にも、あちこち光が漏れているのが分かった。恐らく現実世界の他の鏡か何かだろう。上下左右にも点在していて、現実世界は星空満天に輝いていた。まるでプラネタリウムの中を漂っているかのような感覚に、ありさは驚愕の声を上げた。


「凄い。他の現実世界の様子もここから見られちゃう訳?」


 好奇心を隠しきれずに周囲を見渡す。


『現実世界の私が何も写し出されていない場合のみね。私の虚像が作り出されれば、貴方は私の虚像として強制的に場所を転移させられるわ。例えばこんな風に』


 明るい側にいた自分が、背を向けて椅子に座わろうと屈む。ありさの目の前が丸く縁取られた現実世界に変わった。これはいつも使っている卓上鏡のサイズだ。小さな丸い枠いっぱいにありさの顔が写っている。


『ねっ、面白いでしょう。もう一度私に触れてみて』

「こ、こうかしら……」


 戸惑いながら明るい丸枠に右手を添える。現実世界のありさは左手を添えた。瞬く間に光が消え、世界の上下が反転するような感覚に陥る。胃がひっくり返り、ジェットコースターの頂上から落下する恐怖。ありさは耐え切れずに目を瞑り、早く治まるよう祈った。




 ありさは椅子に座っていた。何故か制服を脱いでおり、下着姿のままだ。

 あれ?さっきまでハンガーラックの所に立っていたと思ったのに。振り返るとハンガーラックのいつもの所にセーラー服が掛けられている。自分が脱いだ記憶も、そこに掛けた記憶も無かった。


『気分はどう?ありさと私は五分程、入れ代わったのよ。この後お風呂に入るでしょうから、悪いけど制服だけ脱がせてもらったわ』鏡の中の自分が心配そうに見つめている。『これで入れ代わったと信じてもらえたかしら』


 そうだ。先程自分はさりあと契約を交わした。鏡の向こうの自分と両手を重ね合わせた。その後――――その後、自分はどうなってしまったのか。ありさは頭を抱えて直前の出来事を思い出そうと思考を巡らせた。

 駄目だ、思い出せない。思い出そうとしても、記憶が断片的に途切れてしまっている。鏡の前までしか思い出せない。これがさりあの言っていた代償なのか。


『ありさが戸惑うのも無理はないわ。記憶が欠落してしまっているんだもの。これが私に身体を貸すと言う事なのよ。分かって頂戴』


 ありさは曖昧に頷くと背もたれに深く体重を預けた。全身がだるい。経った今目覚めたかのように頭がぼーっとしている。さりあの言葉もよく理解できなかった。理解する気力もない。

 へぇ、本当にこんな事が出来ちゃうなんて。思っていたより使えそうじゃない。口元から自然と笑みがこぼれ落ちそうだったので、ありさはそれを片手で塞いだ。




 翌日。ありさは目覚めると朝一番に鏡に向かった。寝癖で前髪が跳ねている自分に向かって「おはよう」と呟いてみる。


『おはよう、ありさ』


 鏡の中にいたさりあもまた、返事を返してくれた。ひょっとしたら昨日の出来事は、全て自分の妄想や幻覚が生み出した産物かもしれないと思ったが、事実、さりあが目の前にいる。やはり昨日のあの出来事は夢ではなかったのだ。紛れもない現実。ありさは鳥肌を押さえつけるように自分の身体を摩った。温かい。これも夢ではない。昨日の自分とは打って変わった自分が、鏡に映し出されていた。


『早く支度しないと遅刻するわよ』


 さりあが優しい声で笑った。時刻を確認して急いで制服を着る。昨日の興奮を思い起こしたのか心臓が高鳴っていた。現実の中の非現実。非現実的な現実。もう一人の自分、さりあと交代出来る権利を自分は得た。これは事実だ。


「おはよ、ありさ」

「おはよう」


 いつもの停車駅で美波と合流する。今日の美波は髪の毛を後ろで高く縛っていた。自分とお揃いだ。


「今日も暑いねー。こう毎日暑いと学校に行くだけでも気が滅入るわー」

「そうだね。早く夏休みにならないかなぁ」


 至って友達の前では平然を装う。さりあの方も、出番がない限りは自分に干渉するつもりはないらしい。遠い目を外の景色に向けながら、ありさはいつもの通過ポイントを見送った。夏休みに入ればシフトを増やせられる。もっと長い時間店長と一緒にいられる。ありさは期待を込めて手すりを強く握った。視界が急に真っ暗になる。




 ありさはまた暗闇の中に立っていた。薄らとした光の筋が目の前に見え、自分と美波が楽しそうにお喋りをしている。

 ここは鏡の中の世界だ。ありさは慌てて周囲を見渡した。いつの間にかさりあと入れ代わってしまったらしい。鏡に触れていなかったのに、どうして?


『自分の姿が写るものに五秒間、触れるだけで交代出来るわ』


 そうか、電車の手すりに反射して写った自分に触れてしまったのか。ありさは偶発にもさりあと入れ代わってしまった事実に驚いた。鏡以外にも自分を反射しているのもは幾つもある。次からはそれも踏まえて入れ代わらなければならないだろう。

 不意に、光の筋が肌色に染まった。さりあの手に違いない。ありさも慌てて手を伸ばすと、再び視界が大きく揺れた。




「――――でさ、あたし遂に言ってやったのよ。もう店には来ないでって。そしたらあいつ、何て言ったと思う?」


 美波が不機嫌そうな顔で続きをありさに振った。頭がふらふらする。一瞬だが、さりあと入れ代わってしまった。ありさは手すりから離れて腕を組んだ。


「……何て言ったのよ」

「お前には関係ないだろ、引っ込んでろよ……ですって!」


 若干の物真似を交えて美波が抗議する。話の流れは分からないが、どうやら和田の事で怒っているらしい。美波は男子を極端に嫌う所があった。この間もシフトの無い日にまで美波が来店すると、和田が先に居て堂々と座っていたので腹が立ったらしい。客席で些細な口論を繰り広げていたのをありさは目撃していた。


「あいつ、ありさの何なの? もしかして彼氏になったの?」

「止めてよ、変に付き纏われているだけ。私もあいつの行動には迷惑しているんだから」

「ありさからも言ってやんなよ。あいつ、ストーカーを突き止める気、全然ないじゃない。使えない男!」


 ここまで激しく怒る美波も珍しいと思ったが、ありさはもう和田の事なんかどうでも良くなっていた。今の自分にはさりあが付いている。彼女に任せてストーカー野郎をさっさと退治してもらおう。ついでに和田も退治してもらうべきか。それもさりあに任せてしまおうかと考えている。


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