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situation.16 過去の彼女を追って

「新條君、休憩だよ」

「やりー、休憩いただきまーす」


 ホールにいた吉川に言われて、新條はへらへらしながらエプロンを脱いだ。奥の厨房からドアを開けて外に出ると、予めポケットに忍ばせていた煙草とライターを取り出す。もうとっくに日は沈んでいると言うのに、昼間の蒸し暑さは健在だった。特にここの出入口はエアコンの通風孔がもろに当たるので、常に熱風が吹き付けている。


 新條はドアから数メートル離れた路地で煙草に火を付けると、一気にニコチンを吸い上げた。あのガキ、狙いはありさちゃんじゃなかったのかよ。吉川が最近よく来る剣道部のガキに、しっかり手を握られていたのを思い出す。やはり自分は、まだ吉川に未練があるのだった。


 吉川とは高校時代恋人同士だった。話も気も合い、同じ大学を目指した似た者同士。合格発表の時は泣きながら手を取り合ったのを今でも覚えている。しかし、彼女はそれすらも覚えていないのだろう。新條はやるせなく煙草の灰を、地面のコンクリートに押しやった。今の吉川に当時の面影は無く、まるで別人のように人が変わってしまったのだった。




 吉川が変わり始めたのは大学一年の秋。丁度ここで働き始めてしばらく経った頃だ。自分に何の相談も無しに突然髪を染め、ピアスをあけたのだった。服装も派手な色や装飾を好むようになり、以前の吉川からは考えられないような趣向になっていった。いや、なろうとしていたのだった。それまではどちらかと言うと地味で清楚な服装を好み、高校時代は校則だってきちんと守るような女の子だったのに。

 彼女の露骨な変化に初めは戸惑ったが、所謂大学デビューを果たしたのだろう。新條はそう思う事にして何とか受け入れようとした。彼女が変わりたいのなら、自分も合わせてやる必要がある。新條もなるべくお洒落な服装を身に纏い、彼女の隣に相応しい男であるように心がけた。


 最初の行き違いはデートの約束だった。吉川が観たい映画があると自分に言ってきたので、今度一緒に見に行こうと約束を交わした。しかし、当日いくら待っても彼女は一向に現れない。あろうことかこの喫茶店で働いていたのだった。新條が吉川に問い詰めた所、彼女はそんな約束をした覚えはないの一点張りで、お互い口喧嘩にまで発展した。それから吉川は度々約束をすっぽかすようになり、また自分との共有した時間を忘れるようになった。その頃の吉川は異常なまでに感情が激しかったのも覚えている。電話越しで怒っているのかと思えば、急に泣き出す。機嫌が良いのかと思えば、急に怒鳴り散らす。精神疾患を疑いたくなる様な変貌っぷりに、新條は心身共に疲れ果ててしまった。また、そんな彼女を支えてやる自信も喪失していた。


「もう別れてくれないか。はっきり言ってお前は変わった、ついて行けない」

「そう……じゃあね」


 これが恋人との最後の電話だった。三年も続いた割には何とも素っ気ない別れ方。しかし、ようやく女の我儘から開放されたのだ。新條もしばらくは独り身を楽しみながら学校生活を送った。


 吉川と別れて半年以上経過した大学二年のある日、文化祭で吉川のいるグループと共同で作業を行うことになった。元々彼女とは学部も専攻も違ったため、別れてから滅多に姿を見る機会はなかった。故に最初の打ち合わせの際、気まずさが倍増されてしばらく新條は顔を伏せていたのだが、そんな姿の自分に吉川はこう言った。


「初めまして、新條君。文化祭までよろしくね」


 真っ直ぐな視線に揺るぎない微笑み。初対面の人に対する表情だ。新條は驚愕して言葉を見失った。幾らお互いに気まずいからって、それはないだろう。新條が返事をする前に、彼女は首を傾げながら尋ねた。


「あれ……以前、何処かでお会いしましたっけ?」


 少し髪型を変えたくらいで、元恋人を見間違う事なんてありえるのだろうか。彼女の目は本気だった。自分の存在自体を脳裏から消し去っていたのだ。

 新條はあまりの出来事にその場から逃げ出した。逃げて、逃げ続けて彼女のここ数ヶ月を徹底的に調べ上げた。おかしい。何がどうなっているんだ。彼女はやはり病気だったのか。病気なら、治してあげられないのか。様々な行き違いや変貌を振り返っていった結果、新條は彼女が働いている喫茶店にたどり着いた。思えばここで働き始めてから、吉川は少しずつ変わっていった気がする。


 元恋人が働いている店に自分も働くのはどうかと考えたが、新條は単純に真実が知りたいのだと行き着いた。自分が振り回された原因、吉川が変わってしまったきっかけがあるのなら、元の彼女に戻ってくれる可能性だってあるかもしれない。吉川は覚えていなくても、自分は覚えていた。未だ過去の吉川が自分の心に根付いている。はっきりさせなければ前にも進めないような気がした。


 新條は覚悟を決めて、吉川とは初対面の振りをしながら働き始めた。四ヶ月が経った今、少しは慣れたとは言え正直辛い。しかし、彼女の身に何が起きたのか分かるかもしれない。いや、絶対に見つけ出してみせる。

 新條が重たい腰を上げると、店のドアから店長が出てきた。店長も煙草休憩なのか、手にはライターを持っている。暑そうに額の汗を拭った。その仕草が一々自分よりかっこいいので、新條はいまいち店長の事を好きになれない。


「店長、お疲れ様です」

「お疲れ様。厨房も暑いけど、こっちも暑いね」


 そう言って煙草に火を点ける。自分はさっさと退却した方がよさそうだ。新條は夜食を頂きに戻ろうとしたが、捕まった。


「ねぇ、新條君。最近うちの店で特に変わったこととか……ないよね?」

「変わったこと?」


 質問の意味が分からず首を傾げる。店長は煙を外に吐き出した後、笑って誤魔化した。


「いや、何もなければいいんだ、それで」

「……何かあったんすか?」


 店長は必要以上に自分とは話そうとしない。自分はまだ他のスタッフに比べて勤務の浅い部外者なのだ。それくらい理解していた。


「いや、僕の勘違いだったら悪いけど、最近レジのお金が合わなくてさ。少し変だなぁと思って」


 店長の視線がはっきり自分の瞳を追っている。疑われているのだ。新條は一気に胸糞悪くなって顔を歪ませた。


「俺の事、疑っているんですか?」


 店長が困ったように腕を組んだ。


「君だけじゃなく、他のスタッフ全員だけどね。ネズミが紛れ込んでいるのは事実だから」


 店長も罰が悪そうに目を伏せる。レジ金はスタッフが随時確認し、その日の最後に店長が売上と合わせていた。それが合わないのなら、スタッフを疑うしかない。そう言いたいのだろう。


「そんなに合わないっすか?」

「そうだなぁ……大した額じゃないけど、こう立て続けにされると、ちょっとね。事は穏便に済ませたいけどなぁ」


 煙草を地面のコンクリートに押し付ける。その後ろ姿に自分が自白するのを待ち望んでいるような気がした。新人の自分が一番疑われている。新條は苦い唾を飲み込んだ。


「俺も注意して見てみます」

「ありがとう。そうしてもらえると助かるよ」




 厨房に戻ると、店長が用意してくれた夜食が置いてあった。今日はオムライスだ。新條は乱暴に冷蔵庫を開けてケチャップを取り出すと、必要以上に塗りたくって食した。いくら何でも自分を嫌ってあんな事を告げたとは思わないが、これを機に切り捨てられるかもしれない。店長を含め神田の二人が、自分の事をあまり好いていないのを感じていた。別に仲良くするつもりはないが、身に覚えのない罪で追い出される気は毛頭ない。目的を遂げるまでは何としてもここに居座るつもりだった。

 急に居心地が悪くなった厨房を見渡す。木の扉一枚を隔てた、ドリンクサーバーの前には渡辺が立っていた。忙しなくポニーテールの黒髪を揺らしながら、ミルクポットを温めている。


 この喫茶店『フェリーチェ』で働き始めていくつか気になる点があった。まずはこの店の設備だ。個人経営でこんなに立派な厨房や、ミルクジャーまで付いたエスプレッソマシンを手に入れられるのだろうか。あれはチェーン店のコーヒーショップで見かけるようなタイプだ。多額の軍資金があったのならともかく、店長は今年で三十二歳とまだ若い。他に協力者もいる話も聞いた事がなかった。店長一人の力で、ここまで店を切り盛りするのは可能なのだろうか。


 それに神田に対してもおかしな点がある。今年で二十五歳だと本人は言っているが、あの見た目はどう考えても三十は越えている。何故嘘をついているのか。女性ならともかく、男が年を誤魔化す理由が分からない。単に見栄っ張りなだけなのか?

 新條は店長が戻ってこないのをいい事に、机の引き出しを開けてみた。中には書類が大量に入っており、神経質なのかきっちり項目ごとに分けられている。殆どが取り扱い説明書だ。そして一番下の引き出しには鍵が掛かっていた。ここには売上金が入っている。新條は慌ててその場から離れた。今こんな所を見られたら、真っ先に自分が疑われてしまうだろう。派手に動き回るのは止そう。


 新條は厨房からこっそり客席を覗いた。あの剣道部のガキはもういない。やっと目障りな奴が消えたか。新條は安堵して時計に目をやった。午後九時。閉店まで後一時間か。ふとレジにいる吉川に目が止まった。派手な爪でお金を素早く数えている。

 そう言えば行動力も変わったと新條は思い返した。昔の吉川は何処かとろくさい所があって、何をやるにしても慎重と言うか、人の倍は時間をかけるタイプだった。そんな奴がテキパキ仕事をこなせるとは到底思えない。やはり吉川は別人にでも生まれ変わってしまったのか。そう考えなければ説明つかない状況が多々あった気がする。


 金を数え終えると、吉川は五百円玉を一枚手の平に隠した。ドリンクサーバーにいた渡辺はホールに出ている。吉川はその手をエプロンのポケットに突っ込んだ。嘘だろ。新條は今しがた直面した光景が信じられなくて瞬きをした。吉川は何事も無かったかの様にドロアを閉め、トレイを拭く作業に戻った。その横顔に罪の意識は感じられない。


「吉川……」


 一体、彼女は何処まで変わってしまえば気が済むのだ。新條がその場からゆっくり後退ると、背後に店長が立っていた。


「どうしたの、深刻そうな顔をして」


 心臓が止まるほど驚いた。


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