situation.13 夜道の尾行者
今日は美波ともシフトが被る日だった。事前に和田が根回しをしていたようで、彼女も和田が来店する予定を知っていた。
「和田君が協力してくれるってのが意外だけど、これでストーカーがはっきりするといいね」美波がバイト先の制服に着替えながら問う。「で、いつから二人は仲良くなったの?」
「仲良くなんかなってないわよ。あっちが一方的に構ってくるだけ。美波は嫌じゃないの? バイト先にまであいつが来るの」
まだ頭痛がしていた。ありさは鏡の前で湿気に逆らう髪を縛り直すと、制汗スプレーを振り撒く。桃の甘い香りが狭いスタッフルームいっぱいに広がった。
上履きは放課後、泥だらけになって自分の下駄箱に返却されていた。洗えばまだ使えそうなので、ビニール袋に入れて鞄の中にしまってある。今日ありさは一日中来客用のスリッパで過ごしてみたが、美波や由香里はおろか、担任の先生まで誰も何も言わなかった。暗黙の了解がなされているかのように、皆見て見ぬ振りをする。現実は雨の様な冷たさで満ちていた。二人に関しては、自分が話すまで触れないでおこうと考えているのか、ストーカーの仕業だと考えているのだろう。時折美波からは心配そうな視線を感じていた。
「同じクラスメイトの奴が来るのは嫌だけど、早く犯人見つかって欲しいじゃない。あたしも協力するから、ありさは危険を感じたらすぐ逃げるんだよ」
両肩をぽんぽんと叩かれる。心配はしてくれるが、所詮美波にとって自分は他人事なのだ。その無邪気な振る舞いがありさの神経を逆撫でする。曖昧に頷くとそのままタイムカードを切った。
午後八時過ぎ。宣言通りに和田が素知らぬ顔で来店してきた。軽く雫をはらって傘をたたむ。部活帰りなのか、背中には竹刀が入っていると思しき袋を背負っていた。少し目立つのではないか。ホールに出ていた美波と素早くアイコンタクトをとった。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「えっと……アイスティーと、サンドイッチ下さい」
メニュー表を指しながら答える。一瞬だけ顔を上げたが、和田は何も言わずに代金を払い、トレイを持って一番奥の席に着いた。その席からは大きな姿鏡と、スタッフルーム、トイレに通じるドアが見える。完璧他人の振りをしている。ありさは少しでも動揺してしまったのが悔しかった。
「アイスティー、ワン。お願いします」
「あいよ」
新條がグラスに氷を注いで、冷蔵庫からアイスティーを取り出す。その際に厨房にいる店長へオーダーを通した。ああ、きっと店長の姿を見られた瞬間に、和田は意中の人物を当ててくるだろう。顔を強ばらせながら和田の様子を伺う。男女間に関しては彼の方が何枚も上手に決まっていた。
和田は荷物を向かいの席に置くと、竹刀を壁に立て掛けて携帯をいじり始めた。何か仕出かすつもりじゃないだろうか。冷や冷やしながら他の客にも目を配らせる。今日は朝見かけたポールスミスの男に、一番疑わしい眼鏡の大学生がいた。他には大きな紙袋を下げた買い物帰りの女性二人と、おばあちゃんが一人。外は未だに雨が降り続いている。閉店まで後一時間弱。和田はきっとラストまで居座り続けるのだろう。自分が見張られているようで胃がきりきりと痛んだ。
午後九時を回り、最後のポジション交代をする。ありさがドリンクカウンターに行き、ホットのカフェラテを注いでいる所で和田が席を立った。レジにいた美波と目を配らせる。何か行動を起こすのかと思いきや、普通に出て行くではないか。滞在時間およそ四十分。和田はアイスティーとサンドイッチを平らげて満足していったのだった。
「ちょっと、あいつ何しに来たのさ。まだあの大学生いるじゃない」
美波が囁きながら店内に残っている彼に目を光らせる。あの大学生を尾行するのではないのか。ありさは和田の真意が掴めず、思わず外の通りに目をやった。和田が傘をさして立ち去ろうとしている。自分を置いて行くつもりなのだ。
少し酷くはないか。ありさは身勝手にも和田が最後まで残ってくれて、自分を家まで送り届けてくれるものだと信じていた。いや、あの告白を聞いたら誰でもその気になってしまうだろう。やはり彼の戯言だったのか。ありさは和田に冷やかされた気分でマグを乱暴に置いた。
午後十時過ぎ。閉店作業を終えたありさ達は、スタッフルームで着替え終わると外に出た。雨は既に上がっている。店長に別れの挨拶をすると、美波と一緒に駅へ向かった。
「あーあ、結局あいつ何もしてないじゃん。うちらの事、見に来ただけかよ」
二人になった途端に美波の愚痴が炸裂する。ありさも和田の態度には腹が立っていた。
「本当、冷やかされただけって感じ。今日は様子を見に来ただけなのかなぁ」
「だったらそう言ってよね! あたし、あいつが何か仕出かすんじゃないかって、期待してたのに馬鹿みたいじゃん」
不服そうな美波と別れ、自宅の最寄り駅で降車すると改札をくぐった。一歩外に出るとそこは静まり返った住宅街の中で、他に乗り合わせていた数人も吸い寄せられるかのように散り散りになる。街灯が頼りなく立っているだけの道にありさだけが取り残された。ここから自宅まで約五分間。雨も上がったし、走って帰れない距離でもない。ありさは鞄を抱えると、自宅まで一気に走り出した。
たっ、たっ、たっ、たっ。
だっ、だっ、だっ、だっ。
後ろの方でも駆け足が聞こえる。もしかして例のストーカー野郎か。ありさは周囲に誰かいないかと確認した。今度は不思議と気持ちに余裕がある。二回目なのと、お守り代わりに防犯ブザーを持ち歩いているせいかもしれない。
不意を突いて正体を見てやろうか。逃げるだけではあっちの思うツボだ。ありさは大胆にも道の真ん中で立ち止まると、振り返った。後ろで走っていた男が慌てて周囲を見渡し、近くの電信柱の陰に隠れる。しかし、背中に背負った竹刀が丸見えだった。
「あいつ……!」
疾走と怒りで体温が一気に上昇する。ありさは汗を強く握りしめると、大股で隠れた男に近づいた。
「和田っ! 何しているのよ!」
大声で名前を叫ばれ、仕方なしに和田が電信柱の陰から出てくる。申し訳なさそうに頭を掻いた。
「急に走って振り返るなんて卑怯だなぁ」
お前のせいで失敗したと言わんばかりに目が訴えている。和田の行動が理解不能なありさは喚き散らした。
「何であんたがつけてくるのよ! もう最低、そんなに怖がらせて楽しい?」
「違うって、落ち着けよ。そんなに大声出したら近所迷惑だろうが」
和田が大げさに耳を塞いで周囲を確認する。
「酷いわ……冷やかすような真似ばっかりして」涙で目の前が霞み、和田の顔がぼやけた。「酷い……酷いよぉ」
堪えきれずにその場で涙を零す。ストーカーに怯えている自分に対して、あんまりではないか。和田が慰めようとありさの肩に手を回した。
「悪かった、だから泣くなって。本当は渡辺のストーカーを追っかけていたんだが、途中で見失って俺だけが渡辺を追う形になってしまったんだ」
なら何故もっと早く出て来なかったのか。電信柱に隠れる必要だってないはずだ。結局和田は自分を囮にしたのだと気付き、慌てて突き放した。
「嘘吐き。どうせ私を囮にして犯人が出てくるのを待っていたんでしょう」
「うっ……結論から述べてしまえばそうなるな」和田が悲しそうな顔で呟く。「そりゃ、お前を送ってやる方も考えたさ。でも、それじゃあストーカーは現れないだろ?渡辺一人の時でなきゃ奴も動かない。もし俺がストーカーで、渡辺を狙うとしたら一人で自宅に帰る道のりだけだ。この辺は住宅地で細い路地が結構あるからな」
和田の議論はもっともな気もするが、どうも納得いかない。それならそうと事前に本人に説明を通しておくべきではないのか。ありさは反論した。
「だったらそうやって説明しなさいよ。あんた、一々まどろっこしいのよ」
「説明したら、絶対反対するだろうが。俺が勝手にやってるだけだ、文句言うなよな」
何よ、別に一言も頼んでなんかいないのに。ありさは涙を拭うと、和田を放置して歩き始めた。和田が名誉挽回欲しさに慌ててついてくる。
「待てよ、渡辺を尾行して分かったこともある。あの大学生、恐らく白だ。それに尾行なんて到底できっこない」
「どうしてそう言い切れるのよ」
「一応数十メートルだけ後をつけてみたんだが、何もない所で転ぶわでとにかく落ち着きがなかった。見るからに鈍臭そうだしな。最後まで尾行も気づかれなかったし、渡辺をつけるより断然楽だったぜ」
「そう。でも演技だったかもしれないじゃない。あっちもあんたに気付いてさ」
「そうか? ……でもそいつは困ったなぁ。また尾行やり直しかよ。てか、今俺達が見られたら計画失敗だな」
和田が立ち止まってきょろきょろする。ありさは無視して自宅の門を潜ろうとしたが、和田に手首を掴まれた。
「ごめん、本当に悪かったって。脅すつもりはなかったんだ。ただ、びっくりして隠れただけなんだってば」
この謝罪文句は以前にも聞いた。ありさは苛立ちを隠しきれずに舌打ちすると、振り返った。
「もう信じられない。好きだ、守りたいとか言ったくせに、ちっとも実行してないじゃない。私の事もおちょくってばっかり。いい加減にしてよ!」
「じゃあ、お前を守りきったら信じてくれるんだろうな」
和田の熱い視線にありさは押し黙った。その目から逸らせらない。やがてゆっくりと和田の顔が近づき、寸前の所で時が止まる。ありさは息苦しさに悶えて突き飛ばした。
「――――知らないっ!」
急いで家の玄関に逃げ込む。鍵を閉め、チェーンまでかけた所で急に全身の力が抜けた。そのままずるずると玄関先でへたれ込む。
あいつ、何考えているのよ。あからさまに今、キスしようとしてきた。もう、最悪。最悪最悪最悪。ありさは顔から火が出る勢いを沈めようと、両頬を抱えて一人蹲った。




