第6話
インターホンの電子音が鳴り響く。モニターの中で、麗日リオナは嘲笑を浮かべ、背後の黒服たちにドアを破る合図を送ろうとしていた。
「開けなさい、朝霧紫音。あなたが隠し持っている『不純物』を、私の手で処分してあげるわ」
だが、その傲慢な言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「……うるさい」
低く、地這うような声。
僕の腕の中から、琴音が音もなく抜け出していた。彼女の足取りは、もはや恐怖に震える少女のものではなく、獲物を屠る瞬間の野獣のそれだった。
「琴音、待て! 出るな!」
僕の制止も虚しく、琴音は玄関のロックを解除し、ドアを勢いよく蹴り開けた。
「あら、自分から出てくるなんて――」
リオナが勝ち誇った笑みを浮かべた瞬間。
銀色の閃光が走った。
「――っ!?」
鈍い音がして、リオナの白い肩から鮮血が噴き出す。琴音が隠し持っていた果物ナイフが、迷いなくリオナの肉を割き、骨に達していた。
「あ、あああぁぁぁ……ッ!!」
悲鳴を上げるリオナを、琴音は馬乗りになって床に押し倒した。黒服たちが動こうとしたが、部屋の隅でスタンガンを構えていたアイリが、その無機質な瞳で彼らを牽制する。
「動かないで。彼女の頸動脈を切り裂くのが先か、あなたがたが私たちを制圧するのが先か……賭ける価値はないわよ」
アイリの冷徹なバックアップを受け、琴音はリオナの喉元に、血に濡れた刃先を突き立てた。
「ねえ、リオナさん。紫音くんのこと、ゴミみたいに言ってたよね?」
琴音の瞳は、一点の曇りもない漆黒。
返り血を浴びた頬を歪め、彼女はうっとりと微笑んだ。
「今すぐ冷泉に電話して。スピーカーにして。……私が今から言うことを、そのまま伝えなさい」
リオナは恐怖でガタガタと震えながら、震える指で冷泉の番号をタップした。
『やあ、リオナ。無事に「害虫」を駆除できたかな?』
スピーカーから流れる、冷泉の余裕に満ちた声。
「冷泉……。よく聞いて。……今すぐ、紫音くんに関するデマを全部取り消して。……全部だよ? 『僕の捏造でした』って、実名で謝罪文を出しなさい」
琴音の声に、電話の向こうが沈黙する。
『……水瀬さんか。面白い冗談だ。リオナはどうした?』
「……トオル、助けて……っ! こ、この女、本当に、刺して……っ!」
リオナの悲痛な叫びに、冷泉の息を呑む音が聞こえた。
冷泉にとって、リオナは利用価値のある駒であり、婚約者候補という「所有物」だ。それを壊されることは、彼のプライドが許さない。
「選択肢は二つだよ、冷泉トオル。……このまま麗日リオナが、私の手で『ゴミ』として処分されるのを見るか。……それとも、負けを認めて、紫音くんを自由にするか。……どっちがいい?」
琴音の刃先が、リオナの皮膚を僅かに切り裂く。赤い筋が、リオナの首を伝い落ちた。
「……っ、ふふ……。あはははは! 素晴らしい、水瀬琴音! 君をここまで『完成』させたのは、朝霧君、君の仕業か! 最高だ、これこそが僕の見たかった地獄だ!」
冷泉の声には、怒りよりも、狂気じみた歓喜が混じっていた。
だが、彼は悟ったはずだ。
今の琴音には、理性など一片も残っていない。彼女は、僕のためなら、自らの手を血で染めることに躊躇がない。
『わかった。……僕の負けだ、水瀬さん。……デマの撤回、特待生資格の復帰、すべて手配しよう。……ただし、朝霧君。君は一生、その「化け物」の愛に食い殺されながら生きることになる。……それが僕からの、最大の復讐だよ』
電話が切れる。
琴音はナイフを捨て、力なくリオナの上に崩れ落ちた。
「……やったよ、紫音くん。……これで、二人きりだね」
血まみれの琴音が、僕に向かって手を伸ばす。NTRルートは、完全に、物理的に粉砕された。冷泉は屈服し、社会的な地位も取り戻せるだろう。
けれど、僕の目の前にいるのは、愛する幼馴染ではなく、僕を守るために「人」であることを捨てた、美しくも恐ろしい怪物だった。アイリが静かに歩み寄り、血の海の中で僕たちの写真を撮る。
「……これで、私たちの『生活』の基盤が整ったわね、朝霧くん。……もう、誰にも邪魔させない」
勝ち取った勝利。だが、僕の隣に残されたのは、血の香りと、二人の少女からの、逃げ場のない「激重感情」だけだった。




