第4話
私立法隆青山学園の親睦パーティー。それは、学園という枠組みを超えた、政財界の縮図だ。
きらびやかなシャンデリアの下、高級なドレスやタキシードに身を包んだ大人たちが、笑顔の仮面を貼り付けて欲望をぶつけ合う。
その渦中に、僕は立っていた。
左腕には、純白のドレスに身を包んだ琴音。右腕には、漆黒のドレスで身を固めたアイリ。
まるで、光と影の女神に守られた騎士のように見えるだろう。だが、その実態は、二人の少女の執着という名の鎖に繋がれた囚人だ。
「紫音くん……。緊張してる? 大丈夫だよ、私がずっと傍にいるからね」
琴音が僕の腕を強く抱きしめる。その瞳は、周囲の豪華な装飾には一切興味を示さず、僕だけを見つめていた。その純粋すぎる独占欲が、僕には何よりも重い。
「朝霧くん。動揺は禁物よ。冷泉や麗日は、あなたの僅かな隙を狙っているわ。……私が、あなたのステータスを完璧に管理してあげる」
アイリは僕のネクタイを整え直しながら、タブレットでパーティーの出席者リストをチェックしていた。彼女の「管理」は、もはや愛を超えて、一種の信仰儀式に近かった。
「おや、朝霧君。素晴らしいエスコートぶりだね。まるで、二人の女王を従えた王様のようだ」
人混みをかき分けて現れたのは、冷泉トオル。彼は純白のタキシードを完璧に着こなし、周囲の視線を一身に集めていた。その完璧な微笑みの裏に、どれだけの毒が隠されているか、僕は知っている。
「冷泉……。君の招待に応じた。……何の用だ?」
「おっと、そう急ぐなよ。今日は親睦を深めるパーティーだ。……ほら、リオナも君を待っているよ」
冷泉が指差す先には、真紅のドレスを纏った麗日リオナが、取り巻きの女子生徒たちを引き連れて立っていた。
「あら、朝霧紫音。……相変わらず、庶民じみた格好ね。そのスーツ、レンタルかしら?」
リオナが扇子で口元を隠し、嘲笑う。
彼女の取り巻きの女子たちも、一斉に僕を冷ややかな目で見つめた。
「朝霧くんって、ただの特待生でしょ? なんで、こんな高級なパーティーに?」
「水瀬さんも、内田さんも……。あんな男に縋り付いて、恥ずかしくないのかしら?」
彼女たちの言葉は、冷泉の意志を代弁する「毒蜂」の針だった。
NTRルートを回避するために、僕は彼女たちを囲い込んだ。
その結果、僕は彼女たちを「他のヒロイン候補」から孤立させ、僕自身を「敵対視する女子」たちの標的にしてしまったのだ。
「……私の紫音くんに、触れるな……ッ!」
琴音が、僕の腕を振りほどき、リオナの前に立ちはだかった。
その瞳には、かつてないほどの漆黒の殺気が灯っている。
「琴音、待て……!」
ああ、やはり一筋縄ではいかない。
◇◆◇
シャンデリアの光が、網膜を刺すように眩しい。立食形式の会場には、選民思想を煮詰めたような芳醇なワインと香水の香りが充満している。
「……ふん、相変わらず身の程知らずな女。その安いドレス、私の家の犬の寝床に敷いてある布と同じ質感ね」
麗日リオナが、扇子の隙間から冷ややかな嘲笑を漏らす。彼女の背後には、取り巻きの女子たちが壁のように控え、琴音を値踏みするように見下していた。
「な……っ」
琴音の肩が細かく震える。だが、それは屈辱ゆえではない。僕という「聖域」を汚されたことへの、沸騰間際の殺意だ。
「麗日さん、言葉を慎みなさい。水瀬さんのドレスは、朝霧くんが彼女のパーソナルカラーを考慮して選んだ『最適解』よ。あなたの成金趣味な装飾品より、よほど規律正しい美しさがあるわ」
アイリが事務的な口調で割り込む。彼女のタブレットには、既にリオナの実家の不祥事リストが並んでいるのだろう。眼鏡の奥の瞳は、害虫を駆除する機械のように無機質だ。
「内田……。あなた、いつからそんなに落ちぶれたの? 特待生の『犬』の、そのまた世話係なんて」
リオナが合図を送る。
取り巻きの一人が、給仕から受け取った赤ワインのグラスを、わざとらしく僕の足元へ滑らせた。
(……来る!)
前世のゲーム知識が警報を鳴らす。原作では、ここで服を汚された紫音が中座し、孤立した琴音が冷泉に連れ去られる「隔離イベント」が発生する。
「させないわ」
アイリが僕の前に踏み出し、まるで見えていたかのように手にした資料ファイルでワインの飛沫を完全に遮断した。一滴の汚れも僕のスーツには届かない。
「……計算通りね。朝霧くん、あなたの『純潔』は私が守るわ」
「ちっ……。小癪な真似を」
リオナが舌打ちした、その時。
会場の喧騒を切り裂くように、一人の女性が乱入してきた。
「琴音! 琴音はどこ!? 冷泉様、お約束通り連れて行きますわ!」
派手なだけの安物のドレスに身を包み、形振り構わず叫ぶ女。
琴音の母親、水瀬紗季だ。
「お母さん……? なんで、ここに……」
琴音の声から血の気が引いていく。
「あんた、朝霧の坊ちゃんと遊んでる場合じゃないわよ! 冷泉様が、うちの借金を全部肩代わりしてくださるって仰ってるの! その代わり、あんたを冷泉家の別邸で『教育』してくださるって!」
会場にいた大人たちが、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべてこちらを見る。
これが冷泉トオルの真骨頂だ。
学生同士の諍いなど、彼にとっては余興に過ぎない。親という「絶対的な支配者」を買い取り、法と金でヒロインを合法的に拉致する。
「さあ、朝霧君。どうするんだい?」
冷泉が、群衆を割って悠然と歩み寄る。
その手には、一枚の債務引受書類。
「君に水瀬家の数億円の借金が払えるかな? できないなら、彼女を僕に譲るべきだ。それが『大人のルール』だよ。……君がどれだけ彼女を洗脳しようと、戸籍と金までは変えられない」
琴音の顔が、絶望に染まる。彼女は僕の腕を掴んでいた力を緩め、力なく項垂れた。
「……紫音くん。ごめん、ね。……私、やっぱり汚れてるんだ。紫音くんの隣にいる資格、なかったのかも」
冷泉の勝利の笑みが深まる。だが、僕は動じなかった。この展開さえも、NTR回避のシミュレーション済みだ。
「……冷泉。君の言う通りだ。僕には数億円なんて金はない。……けれど、君の父親である理事長が、『君の裏口座』の存在を知ったらどうなるかな?」
「……何?」
「アイリ、例のデータを」
「ええ。暗号化解除、完了したわ」
アイリがタブレットを冷泉の目の前に突きつける。そこには、冷泉が北条隼人らを使って行っていた、学園内での不当な金銭搾取と、それを洗浄するための海外口座の記録が克明に記されていた。前世の記憶もあって、このゲームの攻略が捗ったわけだ。
「これを今ここで、理事長……いや、会場にいる国税庁関係者のスマートフォンに一斉送信する。君が琴音の家の借金を払うのが先か、君が『逮捕』されるのが先か。……賭けてみるかい?」
冷泉の完璧な仮面が、初めて醜く歪んだ。
「……朝霧紫音……ッ! てめええええ!!」
「紫音くん……?」
琴音が顔を上げる。僕は彼女の手を、もう一度強く握りしめた。
「言っただろ、琴音。君を地獄に行かせたりしない。……たとえ、僕が本当の悪魔になったとしても」
会場の空気が一変する。救い主を演じていた冷泉が、今や追い詰められた犯罪者のように肩を震わせている。
ようやく冷泉を追い詰めた。だが、その代償として、僕は「学園の王」を本気で激昂させてしまった。
そして何より。
僕に守られた琴音の瞳には、感謝を通り越した、深淵のような「狂愛」が再び宿り始めていた。
「……あは、あははは。紫音くん、すごい。冷泉まで壊しちゃった。……ねえ、紫音くん。……そんなに強いなら、もう私を一生、どこかに閉じ込めてよ。誰もいない、二人だけの場所に……」
回避したはずのNTRルートの果てに、僕は自ら「監禁ルート」の扉を蹴り開けてしまったのかもしれない。




