閑話① ダブルバインド・デート
学園親睦パーティーを数日後に控えた日曜日。本来なら、冷泉トオルの策謀を練り直すべき貴重な休日だというのに、僕は今、大型ショッピングモールの広場で立ち尽くしていた。
「紫音くん、見て! この服、紫音くんの好みに合わせて選んでみたんだけど……どうかな?」
琴音が、清楚な白いワンピースを体に当てて微笑む。その瞳は、僕の反応一つで天国にも地獄にも転びそうな、危うい熱を帯びている。
「……ああ、似合っているよ、琴音」
「本当? 嬉しい……。じゃあ、これに着替えてくるから、どこにも行かないでね? 1秒でも目を離したら、私、死んじゃうかも」
冗談ではないトーンで囁き、彼女は試着室へと消えた。ふう、と溜息をついた僕の隣で、無機質な声が響く。
「水瀬さんの情緒不安定さは相変わらずね。朝霧くん、あなたが彼女を甘やかしすぎるから、不純物が混ざるのよ」
隣に立つのは、私服姿の内田アイリだ。かっちりとしたブラウスにタイトスカート。休日だというのに、彼女は「学園の浄化」という任務中のような格好をしている。
「内田さん……。君まで来るとは思わなかった」
「当然でしょう。あなたの隣という『聖域』を、彼女一人に任せるなんてリスクが高すぎるわ。私はあなたのパートナーとして、今日の行動ログをすべて記録し、最適化する義務があるの」
彼女は手元のタブレットに、僕たちの移動距離や消費カロリー、そして「琴音との接触回数」を淡々と入力していく。
NTRを回避するために、僕は琴音を囲い込んだ。その結果、彼女は僕を独占しようとする「怪物」になり、それを御そうとしたアイリまでもが「管理」という名の執着に目覚めてしまった。
これが、僕が望んだ「救い」の結果なのだろうか。
「お待たせ、紫音くん! ……って、なんで委員長が隣に座ってるのよ」
着替え終えた琴音が、般若のような形相で戻ってくる。
「私は朝霧くんの『資産価値』を維持するために同行しているだけよ。さあ、次は映画ね。席は私が中央、左右にあなたたちが座る配置で予約済みよ。不純な接触は認めないわ」
「はあ!? 紫音くんの隣は私の特等席なの! アンタはポップコーンのカスでも数えてなさいよ!」
モールの通路で火花を散らす二人。
周囲の視線が痛い。美少女二人に詰め寄られる僕は、端から見れば「勝ち組」に見えるだろう。だが、その実態は、いつ爆発するか分からない二発の不発弾を抱えて歩く爆弾処理班だ。
「……二人とも、静かにしてくれ。冷泉の目がどこにあるか分からないんだ」
僕が低く言うと、二人はピタリと動きを止めた。
「そうね。トオルや麗日リオナが、この休日を無策で過ごすとは思えないわ」
「……紫音くんを守るためなら、私、あいつらをこのモールから消してもいいよ?」
琴音がバッグの中から、カチリと「何か」が触れ合う音をさせた。……まさか、またナイフを持ち歩いているのか?
本当に危険だ。
平和なはずの休日デートは、今や「冷泉への反撃準備」と「内なる独占欲の牽制」が入り混じる、奇妙な軍事演習の場と化していた。
ふと、カフェのテラス席に目を向けると。そこには、優雅にコーヒーを啜りながら、こちらを見て楽しげに手を振る冷泉トオルと、不機嫌そうにスマホを弄る麗日リオナの姿があった。
「……チェックメイトだね、朝霧君」
冷泉がそう言った気がした。休日の休息さえも、彼にとっては盤上のゲームに過ぎないらしい。
僕の右腕にアイリが、左腕に琴音が、それぞれ逃がさないという意思を込めて強くしがみつく。
「大丈夫だよ、紫音くん。……壊れるときは、一緒だもんね」
琴音の甘い囁きが、モールの喧騒を塗りつぶしていく。僕たちの「いびつな休日」は、さらなる泥沼の深淵へと続いていた。
◇◆◇
大型ショッピングモールに併設された映画館。最新の音響設備を誇るシアター内は、平日の喧騒を忘れさせるような静寂と、微かなポップコーンの甘い香りに包まれていた。
僕の両隣には、示し合わせたように二人の少女が座っている。右には、どこか冷徹なまでの「管理」を崩さない内田アイリ。
左には、僕の体温を片時も離したくないという執念を見せる水瀬琴音。
上映が始まり、場内の照明がゆっくりと落ちていく。スクリーンから漏れる淡い光が、二人の横顔を怪しく照らし出した。
「……紫音くん、こっち向いて?」
暗闇に紛れ、琴音が耳元で熱い吐息を漏らす。彼女は僕の左腕を引き寄せると、自分の細い太腿の間にそれを挟み込んだ。
スカートの薄い生地越しに、驚くほど滑らかで、それでいて熱を帯びた肌の感触が伝わってくる。
「……っ、琴音。映画が始まってる」
「いいの。……私を見て。私だけを感じていればいいんだよ?」
琴音の指が、僕の手の甲をなぞり、そのまま指を絡ませる。彼女の指先は微かに震えていたが、その力は強引で、まるで獲物を締め上げる蛇のようだった。彼女の唇が僕の耳朶に触れ、湿った舌先が小さく動く。
一方で、右側に座るアイリも黙ってはいなかった。彼女は正面を見据えたまま、音もなく僕の右手に自分の手を重ねる。
「朝霧くん、動揺しているわね。心拍数が上がっているわ」
アイリの声は冷ややかだが、重なった手からは確かな熱が伝わってくる。彼女は僕の指の隙間に、自分の細い指を滑り込ませた。
規律と潔癖を重んじるはずの彼女が、暗闇の中では大胆に、僕の掌を爪でなぞり、官能的な刺激を刻み込んでいく。
「……内田さんまで」
「これは『確認』よ。あなたが不純な誘惑に負けていないか、私が直接確かめる必要があるわ」
アイリは僕の右腕を自分の胸元へと引き寄せた。カチリとしたブラウスの下にある、柔らかくも弾力のある膨らみ。彼女の鼓動が、腕を通じて僕の脳髄を直接揺さぶる。
左側からは、琴音が僕の首筋に顔を埋め、吸い付くような深い口づけを残していく。右側からは、アイリが事務的な「点検」を装いながら、僕の指先を執拗に弄ぶ。
スクリーンでは派手なアクションシーンが流れているが、僕の意識は、両隣から押し寄せる「少女たちの熱」に支配されていた。
琴音の独占欲と、アイリの崇拝。
二つの異なる歪みが、暗闇の中で混ざり合い、僕を甘美な沼へと沈めていく。
「紫音くん……大好きだよ。……私以外の女、もういらないよね?」
「朝霧くん……。あなたは私と一緒に、最高の秩序を築くのよ。……離さないわ」
二人の声が重なり、湿った吐息が交互に僕の肌を撫でる。
救い出すはずだった少女と、管理するはずだった少女。その二人に、僕は今、椅子に縛り付けられたまま「愛」という名の略奪を受けていた。
映画が終わる頃、僕のシャツの襟元は僅かに乱れ、指先は彼女たちの熱にすっかり馴染んでしまっていた。
照明が戻る直前、二人は何事もなかったかのように僕から離れ、平然とした顔でスクリーンを見つめた。
だが、僕の手のひらに残る、重苦しいほど愛おしい残熱だけが、この「ダブルデート」が地獄への招待状であることを物語っていた。




