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NTRから始まる鬱ルートを回避するのに必死過ぎて、ヒロインが激重感情を持ち始めた話  作者: アルファベータ
蛇足編

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ifルート︰③ 最終話 愛と哀のセレナーデ


 降りしきる雨は、夜の街を冷たく塗り潰していた。逃亡の果て、紫音が辿り着いたのは、かつて学園の屋上から眺めた、建設途中で放棄された時計塔の最上階だった。


 隣には、もはや自力で立つことさえ叶わなくなった九条シキが横たわっている。彼女の人工筋肉は完全に焼き切れ、銀色の冷却液は雨水に溶けて虚しく流れていく。


「……九条、さん。……もう少しだ。もう少しで、街の外へ……」


「……無理、です……紫音、様。……私の、中枢回路は……もう……」


 シキの瞳から光が消えかけている。彼女は最期に、人間らしい微かな微笑みを浮かべ、紫音の血に濡れた手を握りしめた。


「……『救済』……。……ありがとうございました。……冷たい機械になった……だった私に……最後だけ……『痛み』という、命を……」


 その言葉を最後に、シキの手から力が抜けた。彼女の機能は完全に停止し、かつての「掃除屋」は、ただの動かない鉄の塊へと戻った。


「……あ……、あぁ……」


 絶叫さえも喉に張り付き、声にならない。


 紫音は、唯一の「理解者」であり「共犯者」であった彼女の死骸を抱きしめ、天を仰いだ。だが、そこにあるのは自由な空ではなく、無数のドローンの赤い警告灯と、摩天楼の巨大モニターに映し出された「彼女たち」の姿だった。


「――お疲れ様、朝霧くん。……長くて、悲しい追いかけっこだったわね」


 時計塔の扉が静かに開く。


 現れたのは、もはや逃げようとする紫音を追うことさえやめた、確信に満ちた歩みの五人だった。中央に立つアイリ。その隣には、右腕を機械の義肢に換装し、異様な威圧感を放つレナ。端末を胸に抱き、紫音の視界の全てをジャックしているリュカ。そして、一歩下がって、狂おしいほど美しい微笑みを湛えた琴音。


 その後ろには、自我を奪われ、アイリたちの忠実な「人形」へと再構築された冷泉トオルとアキトの姿もあった。


「……どうして、そこまでして……僕を追い詰めるんだ。……僕はただ、君たちのいない場所へ……」


「いない場所なんて、この世界のどこにも存在しないわ。……あなたの口座、あなたの戸籍、あなたの記憶のバックアップ……。全ては、私たちの中で生きているのよ?」


 アイリが歩み寄り、絶望に震える紫音の頬を、氷のように冷たい手で包み込んだ。


「……逃げようとすればするほど、世界はあなたを拒絶するように作り替えたわ。……今、外の世界で『朝霧紫音』は、九条シキを殺害して逃亡中の、凶悪な精神異常者として指名手配されている。……あなたが帰るべき『現実』なんて、もうどこにも残っていないのこれが私達の《《アイ》》」


 紫音の顔から、完全に血の気が引いた。


 彼女たちは、紫音の肉体を閉じ込めるだけでなく、彼の「社会的な存在」そのものを食らい尽くし、自分たちの所有物として再定義したのだ。


「……嘘だ。……そんなの……」


「嘘じゃないよ、紫音くん」


 琴音が、紫音の背後に回り込み、その首筋に顔を埋めた。彼女の甘い香りが、雨の匂いを上書きしていく。


「……私たちはね、決めたの。……あなたが、どうしても私たちの愛を『重い』と感じて逃げ出すのなら……。心(意志)なんて、もういらない。……ただ、私たちの腕の中で、静かに呼吸を続けてくれる『完璧な偶像』になってくれれば、それでいいって」


「……っ、琴音……!」


「大丈夫。痛くないよ。……リュカちゃんが、あなたの脳の『自我』を司る部分だけを、優しく眠らせてくれるから。……あなたは永遠に、私たちが作った、美しく幸せな夢を見続けるの。……そこには、九条シキも、冷泉アラタも、苦しみもない。……ただ、私たち五人に愛され続けるだけの、天国」


 リュカが、震える手で一つの端子を差し出した。それは、紫音の首筋にある、かつてアイリが埋め込んだ端子へと直結するためのもの。


「……紫音くん……。……さよなら。……そして、おかえりなさい……」


 リュカの指が、決定的なスイッチを押した。


「――ぁ、が……あぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 紫音の脳内に、天文学的な量の情報が流れ込む。前世の記憶、今世の苦悩、逃亡の恐怖……。それらが全て、五人の少女たちとの「幸福な記憶」によって、暴力的に上書きされていく。


 かつての図書室の記憶が、琴音との初恋の場面に書き換わる。ヒナタとの別れが、アイリへの永遠の誓いに書き換わる。


 戦った痛みは、レナの抱擁の熱に。


 孤独な夜は、リュカの囁きに。


 紫音の瞳から、最後の「光」が消えていく。激しく抵抗していた身体の力が抜け、彼は、自分を囲む怪物たちの海へと、静かに沈んでいった。


 数カ月後。


 私立法隆青山学園の最奥、一般生徒の立ち入りが厳重に禁じられた「特別温室」。そこには、世界で最も美しい「標本」が鎮座していた。豪奢な椅子に座り、虚ろな、けれど穏やかな笑みを浮かべた少年、朝霧紫音。


 彼の目には、もう現実の景色は映っていない。彼の脳内では、永遠に終わらない、五人の少女たちとの「幸せなセレナーデ」が鳴り響いている。


「……紫音くん。今日のおやつは、あなたの好きなメロンパンだよ。……はい、あーん」


 琴音が、かつての「現実」を嘲笑うかのようなメロンパンを、紫音の口元に運ぶ。紫音は、意志のない機械のように、素直に口を開けた。


「……おいしい、よ。……琴音」


 その声は、かつてのどの声よりも甘く、そして、死んでいる。アイリは学園と街を影から支配する「女王」として。レナは誰一人寄せ付けない「騎士」として。リュカは世界の情報を検閲する「神」として。


 九条シキ(のパーツを組み込んだ新たな警護ロボット)は、紫音の影として。


 五人の怪物たちは、自分たちの「神」を檻の中に戴冠させた。

 

 そこは、救済なき楽園。


 愛が哀しみを食らい尽くし、虚構が現実を塗り潰した、この世で最も残酷で美しいバッドエンド。


 遠くで、止まない雨の音が響いている。


 だが、その音も、紫音の耳に届くことは二度となかった。


『忘却のセレナーデ』――Ifルート:Bad End 【愛と哀の楽園】

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