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NTRから始まる鬱ルートを回避するのに必死過ぎて、ヒロインが激重感情を持ち始めた話  作者: アルファベータ
第2部

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第16話 メロンパンと猫のチャーム

 私立法隆青山学園の屋上で、毒を吐き散らしていた暁月ヒナタ。だが、かつての――「春野陽太」が生きていた現実の世界での彼女は、ただの「元気すぎるほど元気な、お節介で意地悪な同級生」だった。


「……あ、またやってる。陽太くん、それ、何周目?」


 しんと静まり返った放課後の図書室。


 窓際の席で、家庭用ゲーム機を抱えて没頭していた陽太の耳に、聞き慣れた、けれど一番聞きたくない声が飛び込んできた。


「……暁月。静かにしろよ、ここ図書室だぞ」


 陽太が視線を上げると、そこにはオレンジがかった髪をポニーテールにまとめ、短いスカートを揺らしたヒナタが、机に身を乗り出して覗き込んでいた。


「いいじゃん、誰もいないし。それより、またその『忘セレ』? よく飽きないねー。そんなにその二次元の女の子たちがいいの?」


「……いいだろ。別に誰にも迷惑かけてない」


「かけてるよー! 私が話しかけてるのに、画面ばっかり見てるんだもん。あ、また琴音ルート? 陽太くんって、本当はああいう重たい女の子がタイプなんだ」


 ヒナタはケラケラと笑いながら、陽太の隣の席に勝手に座り込んだ。彼女はいつもこうだった。陽太が「一人になりたい」と思う場所に、まるでGPSでもついているかのように現れる。


「……お前には関係ないだろ」


「関係あるよ。陽太くん、放っておくとすぐ死んだ魚みたいな目になるんだもん。ほら、これあげる。塾の帰りに買ったの」


 ヒナタが陽太の鼻先に突き出したのは、少し潰れたメロンパンだった。


「……いらない」


「食べなさい! 脳みそ使ってゲームしてたら糖分足りなくなるでしょ。はい、あーん!」


「っ……、自分でするから! やめろよ!」


 顔を赤くしてメロンパンをひったくる陽太を見て、ヒナタは満足げに目を細めた。彼女にとって、陽太をからかい、その無機質な表情を崩すことは、日課のようなものだった。


「……ねえ、陽太くん。もしさ、そのゲームの世界に行けるってなったら、行く?」


 ふとした瞬間の、問いかけ。


 窓から差し込む夕日が、ヒナタの横顔をオレンジ色に染めていた。


「……行くわけないだろ。あんなの、虚構だ。現実じゃないから楽しめるんだよ」


「ふーん、意外と冷静なんだ。……でもさ、もし本当に行っちゃったら、私が連れ戻しに行ってあげるね。陽太くん、ああいう『依存系女子』に囲まれたら、絶対ダメになっちゃうから」


「……余計なお世話だ。大体、お前みたいなうるさい奴がいない世界の方が、よっぽど快適だと思うけどね」 


「あはは! ひどーい! でも、私がいないと陽太くん、自分の靴下さえ左右揃えられないくせに!」


 そんな、どこにでもある、退屈で、けれど穏やかな日常。意地悪を言われ、反論し、二人で半分こしたメロンパンの味。


 陽太にとってヒナタは、自分の聖域ゲームを汚す侵入者であり、同時に、自分をこの退屈な世界に繋ぎ止めている「錨」のような存在でもあった。


「……じゃあね、陽太くん。また明日!」


 校門の前で、元気よく手を振って去っていくヒナタの背中。それが、陽太の記憶にある「最後の暁月ヒナタ」の姿だった。


 ――まさか、あんな約束が、あんな形で果たされることになるなんて。


 学園の屋上。


 狂愛の瞳をした少女たちに囲まれ、呆然と立ち尽くす紫音(陽太)を見つめながら、ヒナタは心の中で、かつての図書室と同じように呟いた。


(……ほらね、言ったでしょ。陽太くん、私がいないと、すぐデレデレになっちゃうんだから)


 彼女の瞳には、かつての微笑ましさとは似て非なる、執着と愉悦の色が混ざり合っていた。



◇◆◇


 学園の屋上を吹き抜ける風が、急速に湿り気を帯びていく。中心に立ち尽くす紫音を巡り、世界は「狂愛の守護者」と「現実の侵入者」の二つに、無慈悲に割れようとしていた。


「救い出す? ……陽太……紫音くんを、こんな場所から? 笑わせないでよ」


 琴音が、一歩、また一歩とヒナタへ歩み寄る。その足取りは以前の軽やかさではなく、獲物を追い詰める捕食者のそれだ。


 琴音の回復した瞳は、今やヒナタという「異物」を認識し、それをどう排除すべきかという計算だけで塗りつぶされていた。


「紫音くんはね、ここで初めて『愛されている』ことを知ったの。現実のあなたたちが彼を独りにして、冷たい図書室に追い込んでいた間……私たちは、彼のために命を懸けて戦っていたんだよ?」


「あはは! 命を懸けて? ……ただのプログラムの分際で、偉そうなこと言わないでよ」


 ヒナタが挑発的に鼻で笑う。彼女の「元気はつらつ」な仮面の下から、前世で陽太を翻弄し続けた、傲慢で独善的な「現実の傲慢」が顔を出した。


「陽太くん、聞いてる? この子たちがやってるのは、愛じゃない。ただの『バグ』だよ。自分たちが消えたくないから、あなたを鎖で繋いで、自分たちの都合のいい『神様』にしてるだけ。……そんなの、偽物だって私が教えてあげる!」


「……そこまでよ、暁月ヒナタ」


 アイリが、端末を閉じる音を鋭く響かせた。


「あなたの発言は、朝霧くんの精神衛生に対する重大な侵害行為とみなすわ。……リュカさん、彼女の編入記録を『抹消』して。今すぐ、学園から、この街から消えてもらうわ」


「……う、うん。……完了。……暁月さん、もう……どこにも、居場所はないよ……?」


 影で端末を叩くリュカの瞳が、青白く光る。デジタルという武器を使い、ヒナタの社会的権利を瞬時に奪い去る冷徹な暴力。だが、ヒナタは動じない。彼女は懐から、古い、けれど見覚えのある「小さなチャーム」を取り出し、紫音に見せつけるように掲げた。


「陽太くん、これ覚えてる? 誕生日に私が無理やり押し付けて返されちゃった、変な猫のストラップ。……これが本物だよ。この傷も、汚れも、全部私たちがいた『現実』の証拠。……あんたたちみたいな、綺麗なだけの記号には、これ一つ分も勝ち目なんてないんだから!」


「――ッ!!」


 そのチャームを見た瞬間、紫音の胸を激しい痛みが貫いた。陽太としての記憶。冷たい教室。自分をからかうヒナタの笑い声。それは確かに痛かったが、同時に「生きていた」という実感を伴うものだった。


「……紫音くん、それを見ないで」


 琴音の声が、奈落の底から響く。彼女の手が、紫音の視線を遮るようにその目を覆った。


「その女の言葉は毒だよ。……私たちを壊して、あなたを『独り』にするための、呪いなの。……死なせてあげる。そんな毒を吐く口、二度と動かなくしてあげる……!!」


 琴音が、隠し持っていたナイフを抜いた。


 それと同時に、レナが「守護」の構えを取り、シキがヒナタの退路を断つように音もなく回り込む。


「待て、琴音! やめるんだ!」


 紫音が叫ぶが、彼女たちの暴走はもう止まらない。彼女たちにとって、ヒナタはもはやただの「敵」ではなかった。自分たちの存在そのものを「偽物」と断じた、許されざる「神を惑わす悪魔」なのだ。


「あはは! 来なよ、美しき怪物たち! 陽太くんを連れ戻すためなら、あんたたちを一人残らず初期化してあげるから!」


 ヒナタが、カバンの中から護身用の特殊な警棒を引き抜く。屋上のフェンスが火花を散らし、激突の音が響き渡る。

 

 紫音を守るために「怪物」となった少女たち。紫音を救うために「毒」をまき散らす少女。


 夕闇の学園で、救済という名の蹂躙が、再び幕を開けた。紫音は、自分を巡る二つの正義が互いを食い荒らす光景を、ただ血の気の引いた顔で眺めることしかできなかった。

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