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NTRから始まる鬱ルートを回避するのに必死過ぎて、ヒロインが激重感情を持ち始めた話  作者: アルファベータ
第2部

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第15話 毒蜂の羽音、楽園の亀裂


 琴音の柔らかな膝枕と、シキが淹れたアールグレイの香りに包まれた「聖域」。アイリが僕の体調をタブレットで管理し、レナがマッサージと称して僕の腕に寄り添う、この完璧に制御された楽園。


 だが、校門に現れた「それ」を見た瞬間、僕の背筋に、冷泉家との死闘でも感じなかった種類の、嫌な汗が流れた。


「……紫音くん? 急に心拍数が上がったわ。……あっ……リュカさん、校門付近の不審者を特定して」


 アイリの鋭い指摘に、リュカが即座に端末を叩く。


「……確認中。編入生……1年C組、暁月ヒナタ……。あ、あれ……? 彼女、まっすぐこっちを……」


 屋上のフェンス越しに視線を落とす。


 そこには、真新しい制服を少し着崩し、太陽のように明るいオレンジがかった髪をポニーテールにした少女が立っていた。彼女は、屋上にいる僕たちを見上げると、いたずらっぽく、そして残酷なほど完璧な笑みを浮かべて――大きく手を振った。


 ――暁月、ヒナタ。


 その名を聞いた瞬間、僕の脳裏に、今の「朝霧紫音」ではなく、前世の「春野陽太」としての記憶が、激しい頭痛と共にフラッシュバックした。


 彼女は、乙女ゲーム『忘却のセレナーデ』のキャラクターではない。


 僕が陽太だった頃、現実の世界で僕を「陽太くん、またそんなゲームしてるの? 暗いんだから!」とからかい、事あるごとに僕の日常に土足で踏み込んできた、クラスのムードメーカー――そして、僕の「死」を知っているはずの同級生。


「……どうして、彼女がここに……?」


「紫音くん、あの女の子、知り合い……?」


 琴音の声が、氷のように冷たく響いた。


 彼女は膝枕を解き、僕の顔を両手で包み込んで、その瞳の奥を覗き込もうとする。回復してからというもの、彼女の「可愛らしさ」の裏側には、底なしの独占欲が張り付いている。


「……いや、知らない。……知らないはずだ」


 僕は必死に声を絞り出した。ここで「前世の知り合いだ」なんて言えば、アイリたちが彼女をどう「処理」するか、想像するだけで恐ろしい。


 だが、僕の願いは、無慈悲な放送によって打ち砕かれた。


『――2年生の朝霧紫音先輩。1年の暁月ヒナタが、至急お話したいことがありまーす! 屋上まで迎えに来てくれないと、ここで先輩の「秘密」、全部バラしちゃうぞっ!』


 学園中に響き渡る、元気はつらつとした、けれど悪意に満ちた声。放送室の子が止めようとしている声まで聞こえる。


「……っ!?」


 アイリのペンが、パキリと音を立てて折れた。レナの拳が、みしりと音を立てて握り込まれる。シキの瞳から光が消え、彼女の右手がスカートの内に隠した暗器へと伸びた。


「……紫音くん。あの『秘密』って、何のことかしら?」


 琴音が、満面の笑みで僕に問いかける。


 その笑顔は、今まで見たどんなナイフよりも鋭利だった。



◇◆◇


 5分後。


 屋上の重い鉄扉が、バタン! と威勢よく開け放たれた。


「やっほー! 久しぶりだね、陽……じゃなくて、紫音センパイ!」


 現れたヒナタは、周囲を囲む5人の少女たちの、殺気に満ちた視線を一切気にする様子もなく、僕の元へと駆け寄ってきた。


「ちょっと、何これ! 囲まれすぎじゃない? センパイ、この世界でも相変わらず『忘セレ』やってるんだ。ウケる!」


「……暁月、さん。何の話だか……」


「あはは! その白々しい演技、懐かしいなー。ねえ、みんな聞いてよ! この人、中身は――」


「――そこまでよ」


 アイリが、ヒナタの言葉を遮るように立ちはだかった。


「編入初日にしては、随分と不作法ね。彼女の素性をリュカさんが洗ったけれど、不自然なほどデータが綺麗すぎる。……あなた、何者?」


「えー、怖い。メガネの委員長タイプ? センパイ、趣味変わってないね」


 ヒナタはアイリの顔を覗き込むと、ニヤリと笑った。


「私はね、この『偽物の楽園』を壊しに来たんだ。だってさ、陽太くん。死んだ後の世界で、理想の女の子たちに囲まれてふにゃふにゃしてるなんて、ズルすぎるでしょ?」


 ヒナタの言葉に、屋上の空気が凍りついた。『陽太』という名前。『死んだ後の世界』という言葉。


「……紫音くん。この女、何を言っているの?」


 琴音が、僕の腕をギチギチと音が出るほど強く掴んだ。彼女の回復した瞳に、かつての「蹂躙」の際に見せた黒い霧が戻りつつある。


「……さあ、どうだろう。紫音くんは、私の『所有物』なの。あなたのような不純物が、その口で彼に触れるのは……許されないわ」


 シキが、音もなくヒナタの背後に回った。だが、ヒナタは驚くべき反応速度でそれをかわし、楽しそうに笑った。


「無駄無駄! 私はあんたたちの『設定』なんて全部知ってるんだから! 陽太くんが夜な夜なやり込んでたゲームのキャラでしょ? あー、この子が狂気担当の水瀬さんで、こっちが格闘担当の……」


「……黙れッ!!」


 レナの鋭い回し蹴りが、ヒナタの顔面数センチで止められた。紫音が、震える手でレナの肩を掴んだからだ。


「……レナ、やめるんだ。……彼女は、僕が話す」


「でも、先輩!」


「お願いだ……。これ以上、誰も傷ついてほしくない」


 紫音――いや、僕の中に眠る「春野陽太」としての良心が、彼女を見捨てられなかった。かつての日常で、僕を一番イラつかせ、けれど一番近くにいた「現実」の象徴。


 ヒナタは、僕のその甘さを見透かしたように、肩をすくめた。


「相変わらず甘いなー、陽太くん。だから、こんな『依存の沼』に沈められちゃうんだよ。……いい? みんな。私は、陽太くんを『現実』に連れ戻しに来たの。あんたたちの薄気味悪い愛なんて、私が全部、完膚なきまでにぶち壊してあげる!」


 暁月ヒナタという「外敵」の宣戦布告。


 それは、暴力や知略ではなく、この世界の根幹である「前世の秘密」を武器にした、最も残酷な妨害の始まりだった。


「……ふふ、あははは!!」


 琴音が、お腹を抱えて笑い出した。


 彼女は僕の胸に顔を埋め、ヒナタを、まるで道端に落ちている汚物を見るような目で見据えた。


「壊す? 私たちの幸せを? ……いいわよ。やってみれば。……その前に、あなたが呼吸をすることを忘れるくらい、徹底的に『教育』してあげるから」


 救世主として祭り上げられた少年の周囲に、新たな嵐が渦を巻く。前世の意地悪な同級生と、今世の狂愛に満ちた怪物たち。紫音の穏やかだった日常は、1枚の古い写真のように、無慈悲に引き裂かれようとしていた。


「……さあ、ゲームスタートだよ、陽太くん!」


 ヒナタの元気はつらつとした声が、夕暮れの屋上に、不吉なファンファーレのように響き渡った。



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