第14話 百合と鎖のテラスセット
冷泉家との死闘、そして九条シキの解放から数カ月。私立法隆青山学園には、表向きには何事もなかったかのような、眩いばかりの春の陽光が降り注いでいた。
だが、その「日常」の内実を識る者は、学園広しといえど、もはや僕と彼女たちしかいない。
「……紫音くん、見て見て。今日の髪飾り、アイリちゃんが選んでくれたんだよ? 似合ってるかな?」
昼休みの屋上。かつての荒廃した戦場は、今や高級ホテルのラウンジさながらのテラスセットが設えられ、色とりどりの花が咲き乱れる「僕たちの箱庭」と化していた。
目の前でくるりと回ってみせるのは、水瀬琴音。あの日、脳に絶望的な衝撃を受け、一時は再起不能とも囁かれた彼女だったが――奇跡的な回復を遂げていた。
「……ああ、よく似合ってるよ。琴音」
僕がそう答えると、琴音は顔を林檎のように赤らめ、以前よりもどこか幼く、そして破壊的なまでに「可愛らしく」なった笑顔を向けた。
人格が崩壊したわけではない。ただ、彼女の中から「紫音への遠慮」というブレーキが完全に消滅していた。
潤んだ大きな瞳、柔らかくなった表情。以前のトゲが抜けた彼女は、まるで触れれば折れてしまいそうな、それでいてこちらを絡め取って離さない、猛毒を秘めた百合の花のようだった。
「えへへ、紫音くんに褒められちゃった。……ねえ、ご褒美に、お膝に乗ってもいい?」
「琴音さん、節度を守りなさい。朝霧くんの午後の授業の集中力に支障が出るわ」
ピシャリと制したのは、内田アイリだ。
彼女はタブレットから目を離さず、冷淡な口調を保っているが、その座る位置は僕の左隣、肩が常に触れ合うほどの至近距離を死守している。
「内田さんの言う通りです! 先輩は今、リハビリの最終段階なんですから。……ほら、先輩、今日の高タンパク弁当です。あーん、してください」
右側からはレナが、かつてないほど「女」を意識した柔らかな所作で箸を差し出してくる。その瞳には、もはや空手部の主将としての厳格さはなく、ただ一人の男を慈しむ「雌」の熱が宿っていた。
「……あ、あの。……デザート、剥きました。……紫音くんの、好きな……ウサギさん、リンゴ……」
僕の背後、影のように寄り添うリュカが、震える手で皿を差し出す。彼女の操作する端末には、学園中の防犯カメラの映像がリアルタイムで流れ、僕に近づこうとする「不純物」を秒単位で検知・排除していた。
そして。
「……皆様、お茶のお代わりを。朝霧様、お口に合いますでしょうか」
給仕として控えるのは、かつての殺人マシン、九条シキ。彼女は冷泉家から戸籍ごと抹消され、今や「朝霧家の遠縁」として学園に編入していた。無表情ながらも、僕が一口紅茶を飲むたびに、その喉元の動きを熱心に観察する彼女の忠誠心は、もはや信仰の域に達している。
――穏やかだ。
暴力の嵐は去り、冷泉アラタという脅威も「処理」された。僕の周りには、僕を愛し、守り、崇拝する五人の美しき少女たちがいる。
けれど、この平穏は、極薄の硝子の上に成り立っていることを、僕は痛いほど理解していた。
「紫音くん、どうしたの? ぼーっとして。……もしかして、他の女の人のこと、考えてた?」
琴音の瞳が、一瞬だけ、底の知れない暗色に沈む。彼女の指先が、僕の頬を優しく、逃がさないように撫で上げた。
「……まさか。君たちのことだけを考えてるよ」
「……本当? なら、いいんだけど。……もし、紫音くんが私以外の世界を欲しがったら……。私、今度は何をしちゃうか、自分でもわからないから」
鈴を転がすような、清らかな声。
だがその言葉には、かつて冷泉家の私兵を蹂躙した「怪物」の残滓が、甘い蜜に溶けて混ざり合っていた。
「朝霧くん、顔色が0.5度分、青ざめたわ。……リュカさん、屋上の空調設定を2度上げなさい。シキ、ブランケットを」
「了解。……最適温度に、調整します」
「……はい。朝霧様を、冷えから死守します」
一斉に動き出す少女たち。
過剰なまでの、窒息しそうなほどの愛。
僕は彼女たちの献身に包まれながら、ふと校門の方を見下ろした。そこには、新学期と共に現れた「新しい編入生」の姿があった。
どこか見覚えのある、不敵な笑みを浮かべる少女。嵐は過ぎ去ったのではない。
この歪な楽園を、外側から引き裂こうとする「第2の物語」が、静かに幕を開けようとしていた。
「……さあ、紫音くん。お昼寝の時間だよ。……私の腕の中で、ずっと、ずっと……」
琴音の柔らかな抱擁に身を沈めながら、僕は、遠くで響く新しい崩壊の予音を、一人静かに聴いていた。
──Fate:other 2nd if story




