自動ドアの旅立ち
どこかに行こう。そう思った。
そう思ったのは、町の小さなスーパーの入口に取り付けられた自動ドアだった。
自動ドアというものは、だいたい同じ人生を送る。人が近づけば開き、人が通れば閉じる。それだけだ。朝から晩まで、それを繰り返す。
開く。閉じる。開く。閉じる。
ときどき強い風が吹いて、ちょっとだけガタガタするくらいが、唯一のイベントである。
だが、その日、自動ドアはふと気づいた。
「……わたし、一歩も動いていない」
設置されてから八年。毎日たくさんの人が通った。子どもも、大人も、犬も、たまにカートをぶつけてくる人も。
だが、自分はずっとここだ。
入口。
それだけ。
外の景色は見える。道路、電柱、向かいのドラッグストア。季節もわかる。春には花粉で人がくしゃみをし、夏にはアイスを持った子どもが駆け込み、冬にはコートの人が足早に通る。
だが、自分はそこへ行けない。
開く。閉じる。
それだけ。
「つまらないな……」
つぶやくと、隣から声がした。
「急に哲学するな」
声の主は、マットだった。入口に敷かれている、あの「WELCOME」と書かれたやつである。
「だってさ」
自動ドアは言う。
「みんな、どこかへ行くじゃない」
「そりゃ行くよ」
「でも、わたしは行けない」
「そりゃドアだからな」
身もふたもない。
自動ドアは少し黙った。
その時、センサーが反応する。
ウィーン。
開く。
おばあさんが通る。
ウィーン。
閉じる。
「……ねえ」
自動ドアは言った。
「もし、わたしがここから出たらどうなると思う?」
マットは少し考えた。
「店長が困る」
「それはそう」
「あと、客も困る」
「それもそう」
「あと、たぶんニュースになる」
「ニュース!?」
自動ドアは驚いた。
「『スーパーの自動ドア、行方不明』って?」
「いや『自動ドアが歩いて逃走』じゃないか」
「歩けないよ!」
そんな会話をしていると、また客が来た。
ウィーン。
開く。
閉じる。
自動ドアはその動きを繰り返しながら、考え続けた。
もし。
もしも。
このレールから外れたら?
その夜。
店が閉店した。
シャッターが降り、店内の電気が消える。
外は静かだ。
自動ドアは、ゆっくりと言った。
「今だ」
「なにが」
マットが聞く。
「旅に出る」
「無理だって」
「いや、できる気がする」
「どうやって?」
自動ドアは答えない。
代わりに、モーターをゆっくり動かした。
ウィーン。
開く。
閉じる。
開く。
閉じる。
それを、何度も繰り返す。
「なにしてるの」
マットが言う。
「ウォーミングアップ」
「ドアに?」
やがて。
ガタン。
レールが、少しだけずれた。
「お?」
もう一度。
ガタン。
自動ドアは、ぐっと力を入れる。
そして――
ごとん。
外れた。
「外れた!」
自動ドアは叫んだ。
「外れちゃった!」
「ほんとに外れた!」
マットも驚く。
自動ドアは、壁にもたれながら立っている。
自由だ。
しかし問題があった。
「……どうやって動くの?」
マットが聞く。
「わからない」
「計画なしか」
自動ドアは考える。
そして、ひらめいた。
「開閉だ」
「は?」
「開いて、閉じて、その反動で前に進む」
「絶対うまくいかない」
だが、自動ドアは試した。
ウィーン。
開く。
閉じる。
ドン。
少しだけ前に倒れる。
「進んだ!」
「倒れただけだろ!」
だが、何度か繰り返すうちに、本当に少しずつ前に進んだ。
ウィーン。
ドン。
ウィーン。
ドン。
カニのような、不思議な移動である。
ついに、入口の外へ出た。
夜の道路。
街灯。
冷たい風。
「広い……」
自動ドアは感動した。
今まで見ていた景色の中に、初めて自分がいる。
その時。
遠くから自転車の音。
高校生が近づいてくる。
そして、止まった。
「……え?」
自動ドアと目が合う。
しばらく沈黙。
高校生は言った。
「……ドア?」
自動ドアは、反射的に開いた。
ウィーン。
高校生は、つい通った。
「なんで通ったの!?」
マットがいないのでツッコミはない。
高校生は振り返り、言った。
「……便利」
そのまま去っていった。
自動ドアは思った。
なるほど。
外でも役に立つ。
それから、自動ドアはゆっくり町を進んだ。
ウィーン。
ドン。
ウィーン。
ドン。
道行く人は驚いた。
「ドアが動いてる」
「夢?」
「疲れてるのかな」
だが、誰も止めない。
むしろ、通る。
みんな、つい通る。
自動ドアは、だんだん誇らしくなってきた。
どこにいても、自分はドアだ。
人を通す。
それが役目だ。
やがて夜が明ける。
朝の光が町を照らす。
自動ドアは、川のそばで止まった。
水が流れている。
鳥が鳴く。
「ここ、いいな」
自動ドアは言った。
しばらく、ここにいよう。
そう思った。
どこかに行こう。そう思った。
そして、本当に来てしまった。
次はどこへ行こうか。
ウィーン。
ドアは静かに開き、誰もいない朝の風を通した。




