9.ごはんと、異世界についてのあれやこれや 1
やっと説明回入れられた……
テンポ悪すぎるのどうにかならんものか
目の前に、器がある。
器を満たしているのは液体で、熱を持っているのかふわりと湯気を立てている。
匂いを、嗅いでみる。
それは今まで感じたことのないモノではあったが、体は食物のそれだと認識したのか、しきりに胃を刺激してくる。
器の脇に添えられた匙に手を伸ばし、持つ。
液体に浸し、持ち上げると、とろりとした質感で匙に絡み、何らかの具なのか固形物も一緒に掬い上げられる。
目の前の、この知らない液体は何なのか。
自分が食べても、問題ないモノなのか。
そんな疑問と躊躇は、しかし空腹の前では何の障害にもならずに、匙で掬ったものを口の中に入れる手は、迷いなく。
――そこから先のことは、よく覚えていない。
食べる。食べる。食べる。
ひたすらに器から匙で掬い、口に運び、咀嚼し、飲み込む。
器を一つ空にすれば別のものに手を伸ばす。
中身の残っているものが無ければ、次が運ばれてくるまで匙を握りしめたまま、ひたすらに黙りこくったまま、テーブルを見つめている。
それを、繰り返している。
一言も声を漏らさず、ただ一心に。
その卓では、ただ黙々と、食事が続けられている。
「……もう、これで何人前だ?」
「わからない。わたしはもう、数えるのはやめてる」
その光景をテーブルの向かい側から眺めながら、既に幾分か腹を満たしたオルビスが、呆れたように呟き。
訝し気な目をしながらぶつぶつとつぶやいた後、オルビスの隣に座るルイは諦めて首を振る。
二人の視線の先には、食器の山があった。
否、本当にみているのは、その向こう、本来なら食器に載っていた料理の数々を瞬く間に平らげ、空いた皿を積み上げるに至った少女――アイリスの姿だ。
今、3人がいるのは、宿を取った建物の1階。
裏口から入ったアイリスには分からなかったが、表に面している部分は広いホールになっていた。
ホールは客の吸う煙草によるものか、紫煙に満ちていて、3人が座っているのはその片隅にあるテーブル席の一つだ。
部屋を出て階段を降り、オルビスを先頭に喧騒と紫煙を掻き分けて席に着いた時はまだ、アイリスはそれまでと大して変わらなかった。
緊張と好奇心で視線をさ迷わせ、辺りを見回して客と目があいそうになってはすぐに視線を反らし、俯く。その繰り返し。
だが、それはオルビスが頼んだ料理が運ばれたときに終わった。
好奇の視線は料理へと、表情はきゅっと引き締まり、手は食器へと向かう。
それから先に続くのは、淀みのない"食事"だった。
食べる。食べる。食べる。
飲む。食べる。食べる。
手が、口がせわしなく動き、空いた皿が次々と重ねられる。
積み上げる皿が増えるたび、オルビスはお代わりはいるかとジェスチャーで尋ね、最小限の動きで以てアイリスは肯定の頷きを返す。
そこに言葉のやり取りは無い。あるのは、オルビスが注文する時だけだ。
言葉を交わさない、ということは当然、料理の品目などの話もしていないということだ。
オルビスはその話は一切していないし、アイリスも何の希望も発していない。
追加を求められるたびオルビスはロクに確認も取らずに適当な料理を注文しているが、それにアイリスが不平を漏らすことは無い。
ただ出されたものを食べ続けるだけだ。
「……これは、予想外だな」
「食いだめる、栄養を蓄える<ギフト>……そういうのも、あるの?」
「どうだろうな。ついぞお目にかかったことは無かったが……もしそうだとして、まさか、俺たちのところに転がり込んでくるとは思わなかった」
その手が止まったのは、どれほどの皿の山が築かれ、テーブルを占領しては下げられを繰り返した後だろうか。
「――ふはぁ、おなかいっぱいです」
グラスに注がれた水を一気に飲み干し、満足げな顔でそう言ったアイリスは、しかしその直後に呆れかえっているオルビスとルイにひぅ、と小さく声を上げて身をすくめた。
「あの……もしかして、食べ過ぎてしまった、でしょうか……?」
「食い過ぎたとか、そういう次元の話じゃない気もするが……まあ、そうだな」
オルビスが曖昧に肯定すると、ひぅ、と一層身をすくめるアイリス。
「ごめんなさい……ご飯を食べたの、久しぶりだったので」
「だろうな。<ゲート>からあれだけ遠いところにいたんだ、歩いたにせよ、走ったにせよ、だいぶあの荒野を彷徨っていたんだろう」
疑問を抱く風もなく頷くオルビスに対し、アイリスは首をかしげる。
「げーと……?」
そこからか、とオルビスが呟く。
「まあ、こっちに来たばかりだからな。一から説明していこう」
「……はい。お願いします」
グラスの水で喉を潤しながら、オルビスは話し始めた。
「まず大前提として、ここは、あんたが知っていた場所とは世界すら違う」
「せかい、ですか……?」
「島や大陸、星が違うなんて小さな話じゃない。
物理法則が違う、働いている力も違う。
元居た場所と似通った部分があるかもしれないが、全くの別物と思ってくれていい」
「……?」
キョトンとした顔で、アイリスは首をかしげる。
「あー……少し難しかったか?」
「……はい。いくつか、分からない単語が」
「単語?」
「しま……たいりく……ほし……って、何ですか?」
「は?」
そこで、それまで表情を変えなかったオルビスが疑問を口にする。
「単語自体は、分かるよな?
<来訪者>……お前たちには、伝わるようになっているはずだ」
強い口調で問い詰めるオルビス。
それは、事実を突きつけるような。
そうでなければおかしい、とでも言いたげで。
「はい。その、オルビスさんの言った単語自体は、分かります」
アイリスは答えつつ、しかしその言葉は確信に欠けるような、怯えとは違う不安を帯びていた。
「単語自体は、分かるんですけど……頭の中で、意味が結びつかないんです」
視線をどことも知れない宙にさ迷わせながら、アイリスはゆっくりと言葉を選ぶ。
何かが、引っかかる。
何かが、違う気がする。
その出所が、どうしてか思い浮かばない。
「ちぐはぐ、なんです。
オルビスさんの言っていることは、分かります。
言葉も、分かります。
だけど、私がいた場所には、そんな単語は無いんです」
「……意味が、よく分からないんだが」
オルビスが指摘しても、アイリスは弱々しく首を振るばかりだ。
「私にも、その……うまく、説明できません」
この引っ掛かりは、何だろう?
「そもそも、その言葉自体が使われたことがない、と言いますか、」
何が、違うんだろう?
「私がいた場所では、存在しなかったと言いますか、」
在るのに、誰も使ったことがない。
一度として使われたことがないなら、どうしてその存在を知っているのか?
「なのに、単語自体の意味は、頭の中ですっと出てくるんですけ、ど……っ!?」
――頭の中ではわかる言葉、
――だけど、使ったことが、使われたことが無かった言葉、
それらが指す事実は、
つまり、
「どうして、ですか!?」
その"違和感"の正体に気づいたアイリスが口にしたのは、悲鳴にも似た叫びだった。
「どうして……どうして、私はオルビスさんの言葉の意味が分かるんですか!?
私は、何を聞いて、話しているんですか!?
それが何なのか、私は知らないのに!」




