10.ごはんと、異世界についてのあれやこれや 2
サクッと説明は終わらせるつもりだったのに長くなってしまう……
無理やり設定こねくりまわしてぶち込んだ結果なので自業自得ですが
それは、これまでに気づいていなかったことだった。
気づかず、何も違和感を抱くことなく『そういうものだ』と受け入れていた事実。
そして、今、疑念を以て俯瞰したことで、ようやく気づくことができた"違和感"の正体。
そもそもの話。
アイリスは、なぜ、見ず知らずの土地で、他人と言語でも以て意思疎通ができているのか?
アイリスは、この場所を知らない。
何も知らない場所に、頼りになるものも、見識のあるものも何もかもがない場所にいる。
ならば、どうして。
どうして、自分は、見ず知らずの土地の人間とこうも簡単に言葉を交わせるのか?
どうして、オルビスや、ルイの言葉を、自分は理解できるのか?
土地が違えば、言葉も違う。
言葉とは、そこに住む人々の生活の象徴だ。
人々の営みの中で、意思疎通という最も重要な行程を為すための手段。
声を発するにしても、文字を記すにしても、身振り手振りで示すにしても。
それら一つ一つは、人々が「この言葉は、●●という意味だ」と認識しているいう前提が存在するうえで、意思の疎通が取れるのだ。
例えば、握手という動作があったとする。
これをある土地では和解や協調の証と捉えることもあれば。
別の土地では、戦争や決闘の引き金と捉えることも在り得る。
意味は対極にあり、一度誤れば、致命的なすれ違いが生じるのは必然だ。
そして、そういった意思疎通に使われる言葉や文字は、実際に見聞きする、誰かに教わる等の"学び"無しでは身につかない。
つまり。
見たことも聞いたこともない土地で、言葉による意思疎通ができないことは、なにも不思議ではないのだ。
むしろ、それが当然のことなのだ。
しかし。
アイリスは、最初からオルビスやルイと会話ができていた。
知ったうえで、欠片も疑問を持たないでいた。
「おかしいですよね!?
私は……私の頭は、どうなっちゃったんですか!?」
「アイリス、とりあえず落ち着」
「落ち着けることじゃないですよ、こんなの……っ!」
今使っている言葉が、以前――アイリスがこの世界に迷い込むまでと変わらないのであれば、まだ、"納得"はできただろう。
幸いにも、言語が共通しているがゆえに、意思の疎通が成り立つ。
他にどんな問題があるにせよ、それは周辺の環境の差異という一言で収まる。
だが、違う。
そんな、易しい問題ではないのだ。
「わ、私はっ、今話している言葉すら、本当は知らないはずなんですよ!!!」
自分が使っている言語が、別の言語になっている。
あろうことか、これが幼少から使っていた言葉のように、使いこなしている。
使いこなせてしまっている。
そして、言語を疑うということは。
「今の私は、誰なんですか……っ
本当に、私なんですか……っ!?」
――ともすれば、言語で表現しうる、自分自身をすら疑うにまで至る。
知らない言葉。
だけど、理解できる言葉。
それは矛盾した、支離滅裂だと捉えられかねない。
しかし、"それ"が、アイリスの中では確かに成立する"事実"だったことが引き金になってしまった。
「チッ……ここで気づいたか」
激情が、吐き出すべき言葉がのどに詰まったような嗚咽を漏らし、項垂れるアイリスに、オルビスが最初に示した反応は舌打ちだった。
ぐしゃぐしゃと寝ぐせまみれの頭を掻き、
「もう少し、ゆっくり馴染ませる予定だったんだが……しょうがねえな」
とんとん、とオルビスがテーブルを人差し指で叩くと、ホールを取り巻く紫煙をかきわけて、一人の男――昨日オルビスたちを迎え入れた青年が現れる。
「珍しくトラブってますね、オルビスさん」
「うるさくしてすまん、デッチ。
思ってもみないところで、地雷踏んづけちまった」
「構いませんよ。幸い、今は客もほとんどいないですし。
それに、ウチら【ミスマス】の存在意義は、【フォグ】の中枢の手が届かない場所の補助。
後ろ盾の何もない<来訪者>だって例外じゃないんで」
謝罪を口にするオルビスを、デッチと呼ばれた青年は笑い飛ばす。
それから、持っていたモノ――湯気の立つカップをアイリスの前に置いた。
「飲んでみてください。落ち着きますよ」
にこりと、人懐っこい笑みとともに促され、アイリスは弱々しく頷きながらカップを手に取る。
カップの中身は透明な緑色をしていて、少し青臭さが鼻をついたが、香りを嗅ぐと少し気持ちが安らぐような気がした。
そのまま、一口すすり、
「……おいしい、です」
口に含み、広がる味わいと熱に、ぽつりと感想を漏らす。
「気持ちを落ち着かせるハーブで淹れたお茶です。
お気に召したようなら、何より」
「ハーブだと?」
その言葉に顔をしかめたのは、オルビスだ。
「もしかして、本物か? プラント品じゃなく?」
「当たりです。仕入れルートは企業秘密で……あ、お代はサービスにしときますよ」
「……助かる」
「今回のメシ代だけで、十分いただけますからね。
そっちのお代はしっかり請求しますよ」
「分かってるよ」
山積みの皿を下げていくデッチの後姿を恨めしそうに見送った後、オルビスはアイリスに視線を戻す。
「……ごめんなさい。取り乱してしまって」
「気にしなくていい。
こんなことは、あんたが初めてってわけじゃない。
とりあえず、お茶を飲んで落ち着け。話はそれからだ」
「はい……ありがとうございます」
お礼を言いながら、ゆっくりとアイリスはハーブティーを口に含む。
少しずつ、少しずつ飲み込んだ温もりは動揺と恐怖で揺らいだ心を優しく宥めていく。
飲み干したころには、表情の強張りもほぐれていて。
ふう、と一息つくと、意を決した顔でアイリスは再び口を開いた。
「オルビスさん」
「なんだ?」
「もう一度、教えてください。
私が知ることのできる、すべてを」
「怖くないのか?
さっきみたいなことが、また、起きるかもしれないのに」
「本当は、怖いです……けど、知らないまま不安でいるのは、嫌だから」
自分が自分を信じられなくなるのは初めてで、落ち着いた今でも、恐怖していないとはとても言えない。。
だけど、同時に思えたのだ。
――安心、できたんだと、思います。
――私が、本当なら知る機会がないはずだった私の変化を、知ることができて。
変わったことを知らないままでいるなら、たとえその先に何があっても、知っておきたい。
そう、思えるから。
だから、
「お願いします、オルビスさん」
そう言ったアイリスの目に、迷いの揺らぎはなかった。
それを見たオルビスは、わかった、とうなずいて、
「なら、話そう。
さっきの反応からして、こっちとお前のいた世界とじゃ、だいぶ違いがあるようだから……少しずつ、な」




