歪んだ黒きモノ
咆哮が上がる。
この世のものとは思えないほどの、悍ましい叫びが。
まるで金属が擦り合わされるような、本能的に身体が泡立つような異音。シェーラを救出した黒い球体からはそんな音が、衝撃を伴って放たれた。
『ノゾ、ミヲ、ネガイヲ、ナゼ』
声にならない声が、言葉にならない言葉が洞窟の中に反響する。
ルクスがつけた傷は塞がり、ぎょろりと動いた目がその場の全てを睨みつける。
『スクイヲモトメタハズナノニ、ギセイノモトノセイゾンヲネガッタハズナノニ』
凄まじい魔力が放出され、ルクスが吹き飛ぶ。
辛うじてシェーラを傍に立っていたミラに預けることには成功し、そのままルクスの身体は遠くに吹き飛ばされていく。
石の瓦礫に叩きつけられそうになったところを背後から受け止めてくれたのは、ベオだった。もっとベオの体格では勢いを完全に殺しきることはできず、二人して地面を転がる羽目になったが。
「ありがとう、怪我は?」
「問題ない」
それでも、何もなく叩きつけられるのと痛みは全く別物だ。
二人はすぐに立ち上がって、まるで暴走状態のように魔力を放ち、黒い刃や触手を伸ばしている球体へと視線を向ける。
「救出は完了。後は背を向けて撤収と行きたいところだが?」
「難しいそうだね。あいつは、僕達を逃がすつもりはないみたいだ」
「それはそうだろうな。あれがあのじゃじゃ馬を魔力源にしていたというのなら、無理矢理それを取り除かれた形になる。で、あれば次の生贄という名の心臓を求めるだろう」
ベオの視線が、ルクスを見た。
「そしてここにあるのはよくわからんが強大な魔力を持つ私と、もっとよくわからんが強大な魔力の塊であるお前の心臓だ」
ベオの小さな手が、ルクスの心臓に触れる。
その手つきは優しく、何故か労わるようでもあった。
「……知ってたんだ」
「お前のことならな。それと何故かアディは狙われん。理由はわからんが……まぁ、私達それぞれがよくわからんのは今に始まった話ではない」
何処か投げやりにそう言いながら、ベオが両手に炎を灯す。
彼女は完全にやる気だった。
それはルクスも同じことで、剣を構える。
「ニコラス博士。英雄じゃない僕には、貴方を救うことはできなかった。……でも」
ベオの炎の援護を受けながら、ルクスは前進する。
僅かに残った黒い触手や刃を切り払いながら。
放たれた魔力波すらも、その黎明の剣は斬り裂く。
大英雄アレクシスから託された剣は、ルクスの意思に沿うようにその力を次第に増し始めていた。
「アディ! 彼女達を!」
「は、はいぃ!」
シェーラもまた、黒い球体のターゲットになりうる。
最後の力を使い果たし殆ど動けないミラと共に、アディの背後に下げて彼女に守ってもらうことにした。
迫りくる攻撃を何とか捌きながら、アディもルクスを援護してくれる。
そうやって次第に距離を詰めたところで、少し後ろにベオの姿があることに気付いた。
彼女は魔法を撃ちながらも、ルクスが抉じ開けた道をなぞるようにして後を付いてきていた。
「生半可な攻撃では奴は倒せない! わかっているな、ルクス!」
頷き返す。
ベオの掌には、これまでとは比べ物にならないほど明るい炎が灯っている。
「ベオ、それって」
それは、かつて魔獣と戦った時にベオが他叩きつけた一撃だ。
絶大な破壊力があったが、その代償として彼女の両手は焼け焦げて、しばらくの間その機能を失っていた。
ルクスの心配そうな表情を見てか、ベオが少しだけ嬉しそうに笑う。
「私を誰だと思っている? ほんの少し研鑽を積めば、この程度の魔法は十全に操れる。もう、代償を支払う必要もなくな」
そう言い残して、飛び跳ねた。
彼女に殺到する攻撃を、全てアディのクラゲが叩き落とす。
更にそれを足場にして、ベオは軌道を変える。そのまま、黒い球体の眼球に腕を突き刺すような勢いで、炎を叩き込んだ。
「消えろ、歪んだ古き神よ!」
一点に集中した炎が爆ぜ、黒い球体を中心に爆炎が巻き上がる。
その中でもベオは一切動きを鈍らせることなく、無事にその爆心地から脱出することに成功していた。
それを見て安心したルクスは、そのまま炎の中に飛び込む。熱が身体を焦がすが、ベオの炎がルクスに本気で牙を剥くことはない、これは甘噛み程度の痛みでしかなかった。
『ノゾミヲ、ノゾミヲ、スクイヲ、スクイヲ、スクワレヌモノニ、クチハテルアワレナルイノチニ』
「貴方が何者なのかはわからない……。かつては、人を救っていた英雄のようなものだったのかも知れないけど」
両手で剣を握る。
心臓が強く高鳴る。
ルクスの中の『彼等』が力を貸してくれているのがわかった。
心臓の鼓動は次第に黒い稲妻を伴い、黎明の剣がそれを纏った。
英雄殺しの黒い雷。
英雄に憧れる少年に与えられたのは、余りにも皮肉な力だった。
『スクワネバ、タスケネバ、カナエネバ、ダカラ、ニエヲ、ダイショウヲ、オマエタチヲツムグタメノ、ダイショウヲ』
「今の貴方には、誰も救えない!」
一閃。
縦に振り下ろされた一撃が、黒い球体の瞳に線を走らせた。
「これでぇ!」
動きが止まった隙をついて、更に真横に剣を振るう。
目玉から十字に裂かれた黒い球体は、そこから霧のような何かを吐き出しながらその身体を震わせた。
「ルクス君、まだ! 神は、神はこの程度じゃ死なない!」
悲鳴のようなアディの声に、ルクスは反射的にその場から飛びのいた。
『どうしてだ』
聞き覚えのある声が、球体から響いた。
それは先ほど奴の胎内で出会った、ニコラス博士のものだった。
『どうして誤ったのだ』
誰にいうわけでもない疑問。
恐らくは、ニコラス博士が生きているわけではないだろう。彼はルクスが見ている前で、その身体を崩れさせていったのだから。
球体が震え、再生し、肥大化する。
まるで地下都市の闇と一体化するように巨大化し、霧のような姿になって広がっていった。
広大な空間に充満する黒い霧、既に形をなくした古き神の一柱。
その中心にぎょろりと、球体のときと変わらない巨大な目を出現させる。
『わかっていたというのに、あれがシェーラではないと』
「……ニコラス博士……?」
『例え何を差し出されようと、例え命を繋いだところで、対価と引き換えに仮初の未来を手に入れたところで、何も』
空間が震える。
地下都市が崩れ、ぱらぱらと小さな瓦礫が降り注いでくる。
『何も救われはしない、生命の輝きなどはなく、ただ絶望と呪詛に満ちた日々だけが、残されるというのに』
その言葉に意味はない。
かつて誰かが言った言葉を、ニコラスの声で語っているだけに過ぎない。
この古き神が何者で何をしていたとしても、今を生きているルクス達にとっては関係のないことでしかない。
だが、例え言葉に意思がなかったとしても。
この古き神がルクス達をここから逃がさないという意思は変わらないようだった。
黒い空間に、口のようなものが生える。
そこから黒い刃を吐き出し、古き神は攻撃を仕掛けてくる。
「こいつ……!」
ベオと合流し、その目を睨みつける。
その目からは感情を読み取ることはできないが、視線は常にルクスの方を向いている。
『救いを、救いを寄こせ。命を、心を、未来を、全てを救え、そのための代償だ、そのための昏き日々だ』
「避けろ!」
ベオがルクスに飛びつき、そのまま地面に押し倒す。
空間全てを覆い尽くすような魔力波が、まるで暴風のように吹き荒れた。
幾つもの瓦礫が舞い上がり、それすらも凶器になって降り注ぐ。
「くっ、こいつは……!」
「暴走してる、のか?」
その攻撃に目標はない。
ただ近くにいる生命に、怒りをぶつけるためのものだった。
それはまるで、八つ当たりだ。
魔力の暴風が収まっても、古き神の攻撃は止まらない。
再びその目を輝かせた。
「次がくるぞ!」
そう忠告するベオだが、彼女自身にもその対策は考えられてはいないようだった。
アディ達の方を一瞬みると、無事のようだが、首をフルフルと横に振っている。
せめて次の一撃を耐えられるように、剣を構えてベオを背中に護る。
「隣だ、私の位置は!」
しかし、すぐにそう言ってベオが両手を掲げた。
「魔力で相殺できるかやってみるが、期待はするなよ! 生きていたら、あの目玉に再び一撃を与えてやれ! あんな姿になったのだ、効いていないということはないだろう!」
一切の恐れを滲ませることもなく、ベオが指示を出した。
ルクスもアディもそれで覚悟が決まり、敵の攻撃に備える。
目が怪しい色に染まり、黒い魔力が充満する。
再びあの魔力の暴風がくる。
怒りと憎悪が入り混じった、この場の全てを引き裂く魂の嵐。
その一撃が放たれる刹那。
――背後から飛来した一本の槍が、古き神の目玉を貫いた。




