愛せない理由
かつての街。
名も知らぬ、今はもう朽ち果てて消えた誰かが暮らしていたその都市の中心部に、祭壇は存在した。
石と土で作られたそれらは、ここに来た多くの研究者達からは単なる宗教的な施設、もしくは祭事に利用する場所程度にしか見られてはいなかった。
或いは、この国がこうはならずに長く調査を続けることができれば、また違った発見ができたのかも知れない。
だが、どちらにしてもそれに意味はない。
ニコラスは手に持った古文書を開く。
古代の文字により呪文が刻まれたページが、淡い光を放った。
触れてもいないのに、祭壇に置いてある篝火に青い灯が燃え、その中央にある台座が照らされていく。
ニコラスはその場所を顎で示した。
それまで無言で後を付いてきたシェーラが、ニコラスを見て笑う。
彼が愛した娘と同じその顔で。
娘とは似ても似つかない性格で。
何よりもあまりにも違い過ぎる、不気味な光彩を放つ、人ならざる証である瞳を向けながら。
「お父様」
娘は、シェーラはニコラスをそう呼びはしなかった。
シェーラはもっと聡明な子供だった。
今目の前にいる女ほど楽し気に笑うこともなかった。外で遊ぶことも少なく、控えめに、しかし妻によく似た顔で笑う子供だった。
「なんだ?」
「……シェ……あたしは」
この娘はもう、わかっていたのだろう。
まるで暴れ馬のような気性を持つが、決して物分かりが悪いわけではない。
もう自分が愛されていないことを。
自分が一生掛かっても、父である自分に愛されることはないということを。
だが、それでもニコラスの傍から離れなかった。
離れることができなかったのだ。ニコラスが、『秘宝』の研究をやめることができなかったのと同じように。
ほんの僅かな、吹けば消えてしまう程度の希望に縋らなければ生きていけないほどに、か細い生命だった。
「あたしは、お父様のお役に立てましたか?」
「ああ、充分だ」
ニコラスは王国の研究者だった。
人造兵を始めとして様々な計画に携わり、一時は英雄計画にすら意見を必要とされたこともある。
妻と子に囲まれ、順風過ぎる生活だった。
そのまま年老いて、娘を見送って死ねることが何よりの幸せだと思っていた。
ある日、全てが壊れた。
魔王戦役と呼ばれる戦いが起き、街が戦火に飲まれた。
研究のために王都にいたニコラスは被害を逃れ、そして妻と子だけが魔物の大群に飲み込まれるようにしてこの世を去った。
そして一人の男は狂った。
一時は己の死すら考えたが、何故かそれをしなかった。心の何処かで、禁忌にさえ手を染めればまだ何かが戻ってくると小さな希望を抱いていたからかも知れない。
そうして生み出されたのが、目の前の哀れな命だ。
持てる知識と技術を全て使い、娘と同じ姿に仕上げた。
これが成功すれば妻も再び蘇らせるつもりだったが……全ては失敗だった。
年を重ね、成長していくにつれて娘とは異なる性格になっていく。最初は娘の生き写しと可愛がってきたその姿も、そうなっていくうちに娘の姿を借りた質の悪い悪霊のようなものにしか思えなくなっていった。
「貴様の目が嫌いだった」
「……はい」
シェーラが目を細めて笑う。娘とはあまりに違う、その光彩が嫌に輝かしく見えるのは、彼女が泣いているからなのかも知れない。
「シェーラは笑わんのだ」
「はい」
「お前のようにへらへらと、人間に媚びるように笑わなかった」
「はい」
何のことはない。
結局のところ、このニコラスという男が最初から狂っていただけの話だ。
シェーラに罪などないとわかっていながら、それを受け入れるだけの心の余裕は、最早男には残されていなかった。
「せめて最期に役に立て、人造兵」
祭壇にシェーラが腰掛ける。
ニコラスが古文書に魔力を注ぐと、彼女が座る台座が輝き、周囲の篝火の灯が一層強まっていった。
「シェーラ!」
激しい足音と共に、声が飛ぶ。
一体の駆動鎧が、息を切らせた様子でその場に駆けつけてきた。
それを見ても、シェーラは台座から動かない。最早自分の最期の受け入れているかのように。
「シェーラ、一緒に帰ろう! わたしと、イングリッドと!」
「シェーラ」
ニコラスが名前を呼ぶ。
最愛の娘と同じ、忌むべき人造兵の名を。
それを聞いたシェーラは、ミラに向かって首を振った。
「駄目だよ、ミラ。あたしはお父様の役に立たないと」
「そんな男の言うことを聞いちゃ駄目だ! そいつはシェーラを愛してない! シェーラのことなんて見てないんだ!」
目の前の女は本当に愚かだ。
ニコラスは心の中で悪態を吐く。
それを代弁するように、シェーラが答えた。
「知ってるよ」
「だったら……!」
「愛されてないけど、あたしはお父様を愛してるの。だって、昔は優しかったんだもん。それにね、いつかまた愛してくれるかも知れないじゃん」
度し難い、愚かな人造兵だ。
その可能性を奪ったのは、他なならぬ自分自身なのに。
お前がシェーラでないから、もう愛せないのだ。
「ニコラス!」
くぐもった声が、ミラの怒りを教えてくれる。
だが、もう既にニコラスは彼女を見ていない。
全ての儀式は完成した。
「もう手遅れだ。これより全ては完成する。……この人造兵を生贄に、私の願いが成就するのだ!」
古文書が眩く光る。
同時に、祭壇も強い光を放ってその場の全員の視界を奪い去っていった。
――その場に残っていたのは、黒く醜い塊が一つだけだった。




