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英雄になれると思った男

 このディンという男がニコラスと出会ったのは、本当に偶然だった。

 魔王戦役から、しばらくは盗みなどの悪さをして飢えを凌いでた。殺しをやるほどの度胸もないこの男には、それが精一杯の生きる手段だった。

 今更正道に戻れるほど大した人間ではない。

 かといって外道に染まれるほどの覚悟があるわけでもない。

 そんな灰色の人生を送ってきたディンは、とある仕事をニコラスから受けたことで知り合った。

 それも何でもない、ちょっとした盗みの依頼だ。

 ある研究所から、ディンにとっては何に使うのかもわからない薬品を盗んでくることだけ。それなりに困難だったが、報酬は美味しかった。

 ディンには薬や魔導の知識はない。だからニコラスには何も聞かず、当時は僅かにいた盗み仲間にも何も語らない。

 それがニコラスにとって都合がよかったから、何度か仕事を頼まれることになり、そのまま彼の元で汚れ仕事を続けることになった。

 汚れ仕事といっても、大半は盗みや恫喝だ。彼の研究の邪魔が入らないように。

 ニコラスには娘がいた。

 それが人造兵であると、鈍いディンはすぐに気が付くことはなかった。

 別に彼女に対して何か特別な想いを抱いたわけではない。雇い主であるニコラスが冷たく当たるから、ディンもそうしている。たったそれだけの話だ。

 だが、そいつは笑っていた。

 笑って、父や他の誰かのために一生懸命だった。

 何度失敗してもめげないその姿は、ディンにとっては目障りだった。数度の失敗で転がり落ちたディンにとっては。


 ――鬱陶しい存在だった。


 雇い主が造った人造兵、たったそれだけのはずだった。

 だというのに、何故だろうか。

 剣を構える。大したことのない、戦場跡で拾ったロングソードだ。魔物を倒したことはあるが、人を傷つけたことは殆どない。

 目の前の少年もまた、人造兵だ。

 シェーラと同じ光彩の瞳、それがディンを見つめている。


「勝負しろ、人造兵」


 面食らう二人に再び告げる。


「ディン、お前は」


 ミラが何かをいおうとする前に、ルクスが前に出た。

 人造兵の少年が、剣を構える。

 暗闇の中にあっても眩く光るその剣が何処から来たものなのか、かつて誰の手にあったのかを、ディンは知らない。


「わかりました。僕が、やります。ミラさんは先へ」

「し、しかし……!」

「大丈夫です。すぐに追いつけますから」


 ルクスの言葉に圧されたのか、ミラはそれ以上は何も言わずに先に行く。


「すぐに追いつくだと……? てめぇ、俺を舐めてんのか!」


 叫ぶ。

 声を上げる。

 かつてシェーラや、彼女の友達にそうしていたように。

 その中で誰よりも弱く、何も持たない。

 何者にもなれない自分を誤魔化していたあの日々と同じように。

 ディンという男は、所詮はチンピラに過ぎない。

 少しばかり情を抱いたとて、光を見つけたとて。

 それに手を伸ばすほどの勇気もない男だ。

 これまでも、これからもそうすることしかできない。


「おらああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」


 虚勢を叫び、躍りかかる。

 一方のルクスはそれに対して冷静に備えていた。

 ディンのロングソードを、黎明の剣が受け止める。

 どのような金属で作られた名剣なのか。

 どれほどの技術を持っているのか。

 美しく澄んだ音を立てて、二つの剣が交差する。

 直後、ディンの剣に罅が走る。


「人造兵如きがぁ! てめぇをやれば、てめぇをやれば!」


 ニコラスは言った。

 ルクスの心臓を身代わりに、シェーラを助けてやることができると。

 彼女の笑顔は輝かしいものだった。その価値に気付くのが、ディンは遅すぎただけの話だ。

 だからこそ、勝たなければならない。


「くそっ……!」


 無茶苦茶に剣を振り回す。

 ディンの息が上がってきているのに、ルクスは全くといっていいほど疲れた様子がない。

 どれだけ激しく斬りつけても、足元の土を蹴り上げて視界を奪おうとしても、彼は一切動じずその全てを避けきっていた。


「このっ、このぉ! なんでだ……! なんで俺には、俺には力がねえんだ! なんでてめぇが人造兵で!」


 疲れと焦りで思考がまとまらない。

 ルクスの言葉は正しかった。

 彼がディンを倒すのに、時間は必要ない。

 本当にそれだけの実力差が、二人にはあった。

 単なるチンピラであったディンと、死線を潜り抜けてきたルクスとの絶対的な差が。


「人造兵の癖に、人間に逆らうんじゃねえ!」


 ルクスは何も言わない。

 ただ一瞬、寂しそうな表情を浮かべただけだった。

 そしてそれを見て、ディンは気が付いてしまった。


(……ああ、違うな)


 シェーラに対して僅かな情を抱いたと思った。

 彼女を助けて、彼女の英雄になれると錯覚してしまった。

 それを否定する言葉を、ディンは無意識に口してしていた。


(俺は、別にシェーラを助けたかったわけじゃねえ)


 そこにはほんの僅かな良心があったこともまた、事実だろうが。

 そんなものでは人は救えない。もし助けたかったのなら、もっと前に行動しておけばよかっただけの話だ。

 所詮は打算。

 ここで何かをすれば、何かが起ころうとしているときに少しだけ手を出して、それまでの自分と違う誰かになれると、そう思い込んだディンの身勝手と愚かさの発露。

 ただそれだけの話でしかない。

 そんな男の小さな願いも、数秒の祈りも。

 必死になってみた一太刀すらも、本当に誰かを救おうとしている者の前では邪魔な小石に過ぎない。


「ごめんなさい。貴方が何者かは知らないけど、今は時間がないんです」

「なんで、なんでてめぇが! 関係ないだろうが!」


 その程度の男だから、こんな言葉しか口にすることができない。

 黎明の剣が閃く。

 背筋が凍るほどの美しい音がして、ロングソードの刀身が折れ飛んだ。

 ルクスは、ディンの問いには答えない。

 答える必要もないし、彼の中ではとっくに結論が出て切るのだろう。

 知らない誰かを助ける理由など、英雄を目指した少年にはもう、必要ない。

 鈍い音がして、ルクスの拳が腹にめり込む。


「がっ……!」


 短い悲鳴を残して、ディンの意識は刈り取られその場に崩れ落ちる。

 倒れた彼を一瞥もすることなく、ルクスは先に行ったミラの元へと走り去っていった。


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