生贄
その日の夜、イングリッドはニコラスの研究室の前に立っていた。
屋敷の中に灯りは一切なく、窓から差し込む月光が不気味に廊下を照らしている。
目の前の扉からも灯りは漏れておらず、念のために長い耳をあてても中から一切の音は聞こえてこない。
間違いなく、ニコラスは自室にいるはずだ。
「『開錠』」
掌に生み出された光と共に、ガチャリと音がする。
魔法によって鍵を開けたイングリッドは、できるだけ音を立てないように部屋の中へと侵入していった。
大量の書類や本が乱雑に積み上げられた部屋の一角、いつもニコラスが研究している机へと向かう。
そこに開かれたままの古文書の前に、魔法によって生み出された灯りを近づけていった。
そこに書かれている文字は、イングリッドにも読むことができない。
「古代エルフ文字か」
現在一部の、森の奥で暮らすエルフ達の間で使われている文字にも似ているが、あくまでも似ているだけで同じものではない。
イングリッドにわかることは、現在探し求めている『秘宝』とはやはりアルテウルの神や人間由来ではなく今では亜人種と呼ばれる者達の祖先からもたらされたものというだけだ。
その横にある紙は、ニコラスによって殴り書きされたメモがある。一目見て、それらが古文書の解読分であることがわかった。
「凄まじい執念だ」
そこに込められた筆圧、文字の乱雑さからもニコラスの感情が伝わってくる。だが、それが激情であることがわかっても、歓喜か悲哀か、それとも憤怒なのかは理解できない。
イングリッドはそれらを読み進めていく。
「願いを叶える秘宝、古代遺跡……」
ニコラスが探し求めた願いを叶える秘宝は、この辺りにある古代遺跡に眠っている。
だが、それは当然だが全ての願いを叶えてくれるものではない。魔力を注ぐことで、願望を形にしてくれるというのが正しいところだろう。
「……魔力を……?」
解読している限りでは、それを起動させるのにはかなりの魔力が必要だった。
ニコラスの願いが何かはわからないが、たった少量の……それこそ人一人が魔法を使う程度の魔力でなんとなできるものではないだろう。
で、あれば。
書類を捲り、イングリッドは思わずそこにあった言葉を口にする。
「……生贄」
かつてはそれを起動させるため、高い魔力を持った人物を生贄に捧げたと書かれている。
それによって干ばつや不作、それ以外にも大きな災害から多数を護ったと。
高い魔力を内に秘めた者。
それは勿論、イングリッドやベオ、少し形は違うがアディなども数えられる。
だが、そこまでではないにせよニコラスには一人の駒がいる。
彼のいうことを裏切らず、猛進する少女。
人造兵と呼ばれる、魔力を秘めた心臓によって駆動する人間が。
ごっ、と。
鈍い音が静かな部屋に響いた。
「ぐっ……!」
後頭部に鈍い痛みが走り、イングリッドの視界が歪んだ。
「お、お前……!」
振り返れば、そこには鈍器を手に入れたディン。そしてニコラスが立っていた。
「警戒しておいて正解だった。お前はあいつの友人の中では最も有能だが、同時に厄介な娘だ」
ニコラスは感情の籠らない声で、そういい放った。
「ニ、コラス……! 娘を……!」
「娘? そんなことは奴が勝手に言い続けているだけに過ぎん。所詮、人造兵だ。今はもう、単なる駒に過ぎんよ」
「それ、でも……シェーラは……!」
視界が歪む。
立ち上がって彼等を睨む。
魔法を発動させようと試みても、頭がぐらぐらして魔力を集めることができなかった。
「ディン……君は……!」
口が回らず、言葉にならない。
せめてもの抵抗に彼にそう声をかける。
ディンの表情は悲壮感に満ち、歪んだものだった。それでも彼は武器を持ち、それをイングリッドに振り下ろすことに躊躇いはない。
「くっ……!」
両手を突き出し、魔法を発動させる。
だがそれは、僅かな光を残して瞬く間に霧散するという結果に終わってしまった。
「馬鹿な女だ」
興味を失ったように、ニコラスが背を向ける。
ディンが手に持った鈍器を振り下ろしたのは、それとほぼ同時だった。
再度鈍い音が静かな部屋に響き、今度こそイングリッドは意識を失った。




