レイヴン
ニコラス博士の拠点に戻ったシェーラは、ミラを取り戻せたからか上機嫌だった。
館の廊下を、まるで弾むように歩いていく。ミラは駆動鎧の整備と一応は捕虜になっていた彼女の休憩のために一度分かれたので、今はシェーラとイングリッドの二人だけがここにいる。
「ミラを取り戻したから、お父様喜んでくれるかな?」
「……どうだろうね」
無邪気なシェーラの質問に、イングリッドは微妙な表情を浮かべることしかできない。
ニコラスとにとってはシェーラは駒でしかない。そしてシェーラの友人であるミラとイングリッドも、付属品だ。彼にとってはいようがいまいが、どちらでもいいのだ。
広い廊下を並んで歩いていると、ニコラスの研究室の扉が開く。
そこから出てきた男は、シェーラの知らない人物だった。
黒衣に黒髪の青年。二人からすれば見喘げるほどの長身で、その目は鋭くまるで刃物を彷彿とさせる。
「おや」
男は二人を見ると、そう声を上げた。よく通る、低い声だ。
「これはこれは、ニコラス博士のお嬢さんと……」
「イングリッド。彼女の友人でエルフだ」
「ほう。エルフと友とは、随分と高い徳をお持ちだ」
「へへー、でしょ?」
簡単な誉め言葉に、シェーラは上機嫌で頷く。
「貴方は?」
イングリッドは警戒を崩さず、そう問いかけた。彼の一見すれば友好的な言葉とは真逆で、警戒心を隠そうともしていない。
「これは失敬、私の名はレイヴン。大公家からの使いでやってきたものです」
「……たいこーけ?」
「どうしてそんな偉い人達がここに?」
「少し噂を耳にしましてね。ニコラス博士の研究について、こちらから情報提供と資金援助を申し出にやってきました」
「情報と資金を?」
「ええ。ですが、必要なかったようです。既にニコラス博士は結論へと辿り着いてた。こうなっては、我々が少しばかりの利益を頂くことも難しい。流石にそれは、紳士的ではない」
あくまでも丁寧に語る男だが、イングリッドはその裏になる何かを読み取っていた。
隠し切れない負の感情、エルフであるイングリッドはそういったものを読み取ることに長けている。
レイヴンもまた、それがわかっていながら隠すつもりもないと、そんな気すらしてくる。
「さて、私はこの辺りでお暇致します。シェーラ嬢も、存分にお父様に褒めてもらってくるといい」
「お父様、褒めてくれるかな?」
「ええ。あの方がこれから得るであろう大きな成果は、全てシェーラ嬢ありきのものでしょうから」
最後にそう言い残して、レイヴンは廊下を歩き去っていく。
彼の言葉が真実だとは、イングリッドには到底思えなかった。
ニコラスはある事情から、シェーラに対して憎しみに近い感情を抱いている。それでも彼女を傍に置いているのは、単純にシェーラが彼の被造物であり駒であるからだ。
「じゃあ、行ってくるね!」
「え、ああ……」
考え込んでいる横で、シェーラがそういい残してニコラスの部屋に飛び込んでいく。入る間際、擦れ違いに今度はディンがやってくる。
また何かシェーラに文句をいうのかと警戒したが、意外なことに少しだけ言葉を交わしただけだった。
「おい」
ディンがこちらに近づき、イングリッドとすれ違う瞬間、彼が口を開いた。
「何かな?」
「……シェーラは……」
その時のディンの表情。
それはこれまでイングリッドが知っていた彼の粗暴さからは想像もできないほどに悲壮感に満ちたものだった。
「ちっ……」
だが、それも一瞬のことだ。
ディンは舌打ちをして去っていく。
その態度を不思議に思っていると、話を負えたであろうシェーラが勢いよく扉を開けて飛び出してくる。
「イングリッド! やった! あたし、お父様に褒められたよ!」
「……何?」
「ミラを助けたことを言ったらね、よくやったって! あたしのおかげでお父様の研究が完成するから、少し休んでていいって! ルクスに負けたことも言ったけど、怒られなかった!」
「……そ、そうか」
イングリッドの脳裏に、嫌な予感がよぎる。
それは別に、自分が予想を外したという理由からではない。
現れた大公家の使いレイヴン、態度のおかしなディン。
そしてシェーラに対して怒りをぶつけないニコラス。
その全てが、イングリッドの知っているこの屋敷の光景ではなかった。
本来はそうあるべきである全てが、違和感の塊でしかない。
「……まぁ、そういってもらえたならよかった。ミラと一緒に少し休もうじゃないか」
「うん!」
シェーラはとびっきりの笑顔を見せてから、廊下を小走りで駆けていく。きっとミラにも、同じように報告をしたいのだろう。
そんな彼女の小さな背中を見ながら、イングリッドは一人決意を固めていた。




