怨念の魔獣
「ちぃ!」
初撃の牙を横に飛んで避けたベオは、手から炎を放ち魔獣を牽制する。
「べ、ベベベベオさん!」
「前を交代しろ!」
「はいぃ!」
ベオが後ろに下がって、アディが前に出る。
目の前にウーズの壁を展開し、魔獣の背後には透き通ったクラゲのような何かが出現してその触手で四肢を絡めとる。
「ち、力が……強いです!」
「参ったね」
ベオの少し後ろで、イングリッドがそう呟いた。
ベオは視線だけを背後に向けて、彼女に言葉の続きを促す。
「まさか魔獣の生き残りがいるとは思わなかった。もしかしたら、そういう術式だったのかも知れない」
イングリッドの視線が、あの老人の死体があった場所を指す。
「ボク達の様な魔力を持った者達がくるのを待っていたのかもね。餌にして、再び蘇るために」
「それで?」
イングリッドの言葉は冷静だが、それはそうしようと努力しているようにも思えた。
この状況に全くの焦りを見せていないベオとは真逆に。
「見たところボク達は後衛揃いだ。魔獣の相手をするのは、些か分が悪い」
「ああ、そういうことか」
ベオはそこで、イングリッドが言いたいことを理解した。
「ふんっ、余計な心配だ」
両手に炎が灯り、五本の爪を伸ばしたような形を取った。
「後ろで魔法を撃つしか能がないのだとしたら、それは貴様だけだ。私達を舐めるなよ?」
「……何を……?」
「御託はここまでだ。杖を抜け、タイミングは貴様に合わせてやろう」
それきり、ベオはイングリッドの方を振り返ることはなかった。
背後で彼女が腰に差していた杖を構えて、魔力を収束させていくのが伝わってくる。
「ベオさん! こいつ……!」
「交代だ!」
バチンと、魔獣を引き付けていたアディのウーズとクラゲが千切れる。
動き出し、目の前の得物を喰らおうとした魔獣の前にベオが立ちふさがり、両手に灯った炎を叩きつけた。
腐り切った魔獣はその一撃によって身体を抉られ、悲鳴を上げる。
飛びのくと同時に地面に落ちた肉片が広がり、口のような器官が形作られる。それは次第に四肢を持ち小型の魔獣となってベオ達に襲い掛かろうとしたが、その前に放たれた炎の波によって全て焼き尽くされて消滅した。
魔獣が唸り、地を蹴る。
「さ、させません!」
魔獣の足元に泥が広がり、そこから発生したアディのウーズによる触手が足を絡めとる。
「一か所に集中すれば!」
「そのまま留めていろ!」
ベオが炎の波を放つ。
魔獣の全身を包み込み炎で巻き上げるが、それでも赤々とした渦の内側から聞こえてくる獣の声と、怨嗟の唸りは消えることはない。
「まだ再生するか」
「あ、あああの、ベオさん、その、あんまりアディのあれごと焼き払わないで欲しいんですけど」
「何か問題があるのか?」
「いえ、ないです。でもちょっと傷つきます……」
「戦闘中だぞ。……来る!」
炎を纏った魔獣が飛び出してくる。
二人は咄嗟に飛びのいてその急襲を避けると、両側から同時に反撃に打って出た。
「そろそろじゃないのか!」
炎を叩きつけながら、ベオが叫ぶ。
魔獣が怯んだすきに、三度のアディの拘束がその動きを地面に縫い留めた。
二人の視線は、同時にイングリッドに向けられていた。
彼女はこちらに杖を向けて、その先端には強い魔力の高まりを感じ取ることができた。
「浄化の光よ!」
「うぅ、苦手な魔法です……あの時のあの騎士団の人と同じ属性の……!」
珍しく、アディが顔を顰めている。
彼女が言っているのは先日、ノール・オーヴァで一時共闘したクラウスという男の使う光の魔法のことだろう。
残念なことにベオはその人物と会ってはおらず、一応ルクスから事の顛末は聞いたがとっくに記憶の片隅に追いやっていた。
「貫きの矢となれ!」
先程、あの老人とそこにあった黒い水たまりを浄化したものと同じエネルギーが、その比ではない量を圧縮されて打ち出された。
真っ直ぐに飛んできた光の矢は、魔獣の顔に突き刺さり、そのまま貫通する。
これまでとは比べ物にならないほどの魔獣の断末魔が上がり、次第にその身体が解けて空に消えるように消滅していく。
「……ふぃ……」
アディがまず息を吐き、完全に消滅するのを見届けてから、ベオが手に灯った炎を解除する。
「……いや、参った。君達は本当に強いんだね」
少しばかりバツが悪そうな顔で、イングリッドがこちらに歩いてくる。
「貴様もな。なかなかの魔法の使い手だ」
上機嫌に肩を叩きながら、ベオがそう言って、イングリッドも緊張が解けたようだった。
「実戦なんて数年ぶりだから、どうなるかと思ったが上手く行ったようだ」
言いながら、イングリッドが杖を振る。
そこから散った光の粒子が、魔獣のいた場所や老人の死体があった場所に降り注いで、そこに透き通る結晶体が出来上がっていた。
イングリッドはそれを一つ一つ丁寧に拾っては、ベオとアディにも分配する。
「これが魔力の結晶だ。浄化して、物質化しておいた。売ってもいいし、自分達のために使ってもいい」
「どうやって使うんだ? 齧るのか?」
「それでも不可能ではないと思うけどね。手に持って念じれば、そこにある魔力が体内に流れて同化するよ」
言われた通りにやってみると、確かにベオの手の中で結晶が解けるように消えて、体内に流れ込んでくる。
「ふむ、悪くない」
内側に、より強力になった魔力を感じる。
これでまた使える魔法の幅が広がるかも知れないと、そんな期待すら浮かんでくる。
アディも同様のようで、少しばかり顔色も良くなったような気がした。
「え、栄養……」
「栄養なのか」
尋ねると、アディはこくこくと頷いた。
「……いや、ありがとう。おかげで色々と助かったよ」
イングリッドは自分の分の結晶を懐にしまい込むと、そのまま手近にあった木の根元に座り込んでしまった。
「ど、どうしました? 何処か痛いとか?」
「そうじゃないが、生憎と体力に自信がなくてね。ここまで歩いたのと、予想外の魔力の行使でへとへとだ。ボクは少し休憩してから帰るとするよ」
「……流石にこんなところにおいては置けまい」
あの魔獣の襲撃は、イングリッドの予想外の出来事だった。
だとすれば他にもまだ、何らかの危険が潜んでいないとも限らない。
幾らベオでも、こんな場所に少女を置き去りにするのは気が引ける。
なので、アディに視線を向ける。
「持っていってやれ」
「アディが?」
「そうだ。まさかこの私の細腕で持っていけと言うわけではあるまい」
「……いいですけど」
少しばかり不満そうだったが、アディは了承する。
ウーズを呼び出して、イングリッドを持ち上げてそのまま運搬することにした。
「不満そうだな」
「アディ使いの荒さに抗議を言いたいところですけど、アディとしてはこれでエリアスさんのような扱いにされるのもあれなので黙っておこうと思っていたところです」
「賢い判断だ」
悪びれもせず、ベオが先頭を行く。
その後をアディが付いて行き、ずるずると這いずる何かに乗せられたままのイングリッドが最後尾に続いた。
二人のやり取りを見ながら、イングリッドは小さな溜息を吐いた。
「本当に、やりにくそうな相手だよ」
その呟きは、マルザの森の静かな空気の中に溶け込み、すぐに消えていくのだった。




