5‐31
ノール・オーヴァの王城跡地。
アルテウルの立場で言うならば、未だ魔王の墓が残るそこはすぐにでも再封印を施し、厳重な監視体制に置くべき場所だった。
しかし、今のアルテウルにそれをするだけの力はない。仮に上の貴族達が命令したところで、それらを迅速に実行するだけの余力も残されていないのだ。
それは同時に、多くの者達にそこに魔王が眠っているなどと言うことを知らせてはいなかった弊害でもあるだろう。
とにかく、幾つかの理由が重なったことで瓦礫の山と化したノール・オーヴァはしばらく捨て置かれることとなっていた。
その瓦礫の山に、一人の男が立っていた。
「く……ふふふっ……」
銀色の長い髪。
見上げるほどの長身に、鍛え抜かれた肉体。
褐色の肌、鋭く炎のように燃える赤い瞳。
ある少女と同じような特徴を持ったその男は、瓦礫の山の上で笑う。
時刻は夜。
男の背には巨大な満月が、まるでその存在を世界に知らしめるかのように輝いている。
「フハハハハハっ! 久々の大地だ! 足を踏みしめる痛みすらも心地よい!」
男は背後を振り返り、眩いばかりの月光に目を眇める。
「見よ! 月の灯りすらも私の帰還を祝福しているではないか! 嬉しいのはわかるが、些か眩すぎる! 少しは加減せよ」
当たり前だが、そんなことを言っても月の光が揺らぐことはない。
それだけの高揚感、一見すれば滑稽に見える行動の全てが、腕を振り声を張り上げる、長く地の底にいては成すことができなかった一挙一動一声全てが彼にとっては意味を持つ。
ここにいること。
この大地に再び立てたことの証明と、今は消えてしまった誰かへと勝利宣言。
両手を広げ、男は声をあげる。
その姿は不審そのもので、もしここにアルテウルの騎士でいたら直ちに取り押さえられたことだろう。もっとも、できればの話だが。
「聞けぇ! この大地よ、土よ草木よ風よ! 私の名はヴォルフ。かつてこの大地を蹂躙した災厄にして、世界を焼き尽くす燎原の火。私がこの世界に蘇ったからには貴様達全ての存在は等しく同一! 全てはこのベーオヴォルフの名のもとに統べられるであろう!」
朗々とした声が、夜に響く。
しんと静まり返った世界は、ヴォルフの声に何ら反応を示すことはない。この辺りは立ち入り禁止にされているのだから、当たり前ではあるが。
そんなことをヴォルフが知るわけもなく、辺りを見渡す。
「なんだ。私の言葉に誰一人として拳を挙げぬとは情けない。……いやしかし」
改めて、辺りを見る。
「ひょっとしたらここは廃墟なのか? 思えば私が目を覚ます原因の一つであったあの怖気がするほどの神域の魔力……連中め、また性懲りもなくこれだけの規模の破壊魔法を使ったと言うのか」
呆れたように、ヴォルフが腕を組んだ。
そうして辺りを見渡していると、何かが動いたのが目に入る。
瓦礫の影に隠れながらこちらを観察していた人影が、その特徴的な青い髪色に月光が反射して、偶然にも目に飛び込んできた。
「おい、そこの貴様」
びくっと、青い影が震える。
「姿を現せ。そうでなければこちらから行くが、その場合は貴様にこの偉大なる原初の王、その手を煩わせたとして相応の罰を与えることになるが」
よく通る声が、夜の闇の中に響いた。
隠れていた人物はその圧力に耐えられなかったのだろう。おずおずと、申し訳なさそうに姿を現した。
「……ほう」
あれだけのことを言っておきながら、その姿が露になるとヴォルフは自ら立っていた高い瓦礫の山から飛び降りて、その人物の前に立つ。
「……ぅ」
その行動に大きく身を震わせたのは、少年とも少女ともわからない綺麗な顔をした子供だった。
青みが掛かった髪に、その瞳は不思議な色彩で彩られている。
華奢な見た目だが、所々が壊れた鎧を着て、腰にはせめてもの護身用なのか折れた剣を指している。
「不思議な生き物だな。耳長でもなければ獣人でもない……。或いは私と戦い既に滅びた種か……いや、それにしても」
その存在の名前は人造兵。
数日前にオーウェンと戦い、逃亡した最後の一人だった。
しかし、近年で生み出されたそれをヴォルフは知らない。
「ぁ」
「ええい、目を伏せるな」
何とか隠そうと顔を伏せようとしたところを、ヴォルフが掴んで止めさせる。最初は首を横に振って振りほどこうとしたのだが、あまりの力の差に諦めたようだった。
「私が知らんと言うことは、この大地にある種ではないな。人間どもとも違う……まあいい、そう言うこともあるだろう」
「……あ、あの」
「気にすることはない。例え生まれがどうであろうと、この大地に生きるのであれば私の民だ。等しく、その庇護のもとに生きるがいい」
「……い、え……」
「なんだ? 言いたいことがあるならはっきりと言え。私の威光を浴びて慄き平伏したくなる気持ちは痛いほどよくわかるが」
「……あの、服」
「ふく?」
「服を着てください……」
どうやら目を背けている理由は、瞳の光彩を見られたくないからだけではないらしい。
「ハハハハッ! 何を細かいことを! この私の身体に恥ずべき部分など何もない。それ即ち、隠す必要もないと言うことだ」
ふるふると必死になって首を横に振る。
「……ではつまり、貴様はこの原初の王であろうと服を着た方がいいと言うのだな?」
頷く。
「……ふむ。まあ第一の家臣の最初の進言だ。確かに無視をしては今後に関わるか」
「かし、ん……?」
「ああそうだ。貴様の珍しい瞳が気に入った。それに私が目覚めてからすぐにここに馳せ参じたその忠誠心もな」
「ちゅ、忠誠心とか……ない、です。ここに来たのも、他に行く当てもないからで……後、それに」
「行く当てがないなら丁度いいではないか。私もこの現世に目覚めたからには、何かしらの大きいことをやってやろうと思っていたところだ」
忠誠心がない、の部分に関しては完璧に無視だった。
「この眼、この瞳……みんな嫌がる、ので」
「ふむ?」
額を抑え、髪をかき上げるように覗き込む。
再び首を振って嫌々しようとするが、ヴォルフの力の前には無駄な抵抗だった。
「私には気にならん。むしろ美しさすらあるではないか。そう言った意味でも、やはり第一の家臣として相応しい」
どうやらヴォルフの発言が本気であること、そして何よりも逃げ出せないことを理解したのか、人造兵が項垂れる。
「そう言えば貴様、名は?」
「……ないです」
「なんだ、名前もないのか。どうしようもない奴だな。まあいいか、どうせならいい名をつけてやる……」
しばらく考え込み、ほどなくしてそれを思いつく。
「ルミエルだ。やはり第一の家臣にはそれなりの名を与えてやる必要がある。かつて何度も私と戦い、遂には討ち取った英雄の名をくれてやろう」
「く、くれて……その、勝手に……」
「構わん。私が許可する。ではいくぞ、ルミエル。まずは服を調達しにな」
そう言って、ヴォルフは歩き去っていく。
後に残されたルミエルを振り返ることもなく。
その気になればそこから全力で逃亡することもできただろう。しかし、ルミエルはそれをしなかった。
二人の距離がある程度離れてから、小走りでその後ろ姿を追いかけ始める。自信満々に露出を続けている肉体からは必至で目を背けながら。
古き夢、ノール・オーヴァ。
激しい戦いが行われたばかりのこの戦場跡。
一人の男が復讐の炎を灯し、その野望によって多くの血が流れた。
神の雷に焼かれ、英雄に憧れた二人の男が雌雄を決したこの地に、かつて世界を焼いたと言われる災厄が再び蘇ったことを、本人達以外はまだ誰も知る由もなかった。
哀れな人造兵を伴い、ヴォルフは征く。
忌むべき者とされ、魔王としてその存在を抹消された古き者である彼がこれからどんな道を歩むのか、それを知るものは誰もない。




