5‐30
ミリオーラの街はずれ。
門をくぐった先にある草原に、月光に照らされる銀の髪が見えた。
あの日、魔獣と戦ったその場所で、ベオは静かに座りながら月光浴をしているように見えた。
草を踏みしめる音で気付いたのだろう。ベオは頭の上の獣耳をぴくりと動かして、声を発する。
「何の用だ?」
「なんのって……ベオがいなかったから」
「騒がしいのは嫌いではないが、今日は気分ではないからな」
そう言いながら、自身の隣をぽんぽんと叩く。
その指示に逆らうわけもなく、素直に横に腰掛ける。
ルクスが座るのと同時に、少し強めの風が吹いた。
草花が揺れる音と共に、その香りが届いてくる。
少し火照った身体に心地よい涼風に身を委ねていると、隣に座っていたベオが口を開いた。
「ノール・オーヴァには奴の墓があったな」
「……ウィルフリードはそう言っていたね」
「これで、私が魔王でないことは確定したわけだ。……無論、そんなことはもう予想はしていたのだが」
以前、ベオは自分からそう語ってくれた。
聡明な彼女はある程度の材料が揃ったところで、判断できたのだろう。そしてやはりそれは間違っていなかった。
ノール・オーヴァには魔王が眠っている。で、あればベオは魔王ベーオヴォルフではない。
――だとするのならば。
「私は何者なんだろうな? 魔王の記憶を持ち、魔王ではない誰か。誰でもない、世界から弾きだされた存在なのかも知れん」
その疑問が湧いて出るのは必然だった。
改めてそれを目の当たりにしたことの不安を、ベオはずっと押し込め続けていた。
魔王ではない、魔王の記憶を持った誰か。
それは恐らく、人間に与する側ではないのだろう。
だからと言って亜人達に協力するような義理もない。
ベオは今、自分だけがふわふわと宙に浮いているような不安を感じているのだろう。
「私は何のために、誰が生んだ? どうして魔王の記憶を植え付けた? この力は、誰からもらったものだ……?」
掌に小さな炎が灯る。
ウィルフリードに匹敵する彼女の魔力でさえも、魔王の力でないのだとしたら何処から来たのかもわからない。
「私は……誰だ……?」
ベオが顔を上げる。
ルクスもそれに合わせて上を向くと、大きな月が煌々と二人を見下ろしている。
その光は優しくて、まるで孤独に震えるベオを包み込み慰めるようでもなった。
しかしそれでも、ベオの心のざわめきが消えることはない。
「あの地の底で、ベーオヴォルフは生きていた。ひょっとしたらウィルフリードは、あの国の一族はそれを護っていたのかも知れない。……いつか来る復活の日を待ちわびながら」
魔王の復活。
それが何を意味するのかはルクスにはわからない。
魔王戦役や魔王再誕のような大きな被害を人々にもたらすのか、それともそれとは全く違う何かなのか。
「……それじゃあ、ノール・オーヴァにもう一回行ってみる?」
「……は?」
ルクスの提案に、ベオは目を丸くしてこちらを見つめていた。
「なんでそうなる?」
「だって、ベオはその魔王の記憶を持ってて、ノール・オーヴァにその人……? いや、人かはわからないけどとにかく眠ってるんでしょ? だったら、もう少し調べてみれば何かわかるかも」
「いや、お前それは拙いだろう。もし何かの手違いで復活したりしたらどうするんだ?」
「ベオが自分を魔王だと思って記憶を持ってたなら、少なくとも話がわからないわけじゃなさそうだし……」
「ん、まぁ、それはそうかも知れんが」
ベオは自信を魔王だと思っていた。
そのうえで破壊衝動に身を任せたりをしなかったのであれば、以前に戦った魔王とはまた違う存在なのだろう。
「でもベオと同じぐらい乱暴で我が儘だったら困るか……」
「噛むぞ」
ギラリとベオの犬歯が覗く。
「いや、それ以前の問題だ。そもそも英雄を目指すお前がそんなことを……」
「僕は英雄にはなれないよ」
改めて、二度アレクシスに言われた言葉を自身で口にする。
想像よりもすんなりと出てきたことに、ルクス自身が小さな驚きを覚えた。
最初はアレクシス自身のルクスに対する無関心から、そして二度目は彼の願いにも似た感情が込められたその言葉は、最早ルクスの心を傷つけることはない。
「……ルクス」
「でも、英雄を目指すのはやめない。アレクシスが託してくれた、彼等とは違う英雄の姿を目指す。そのために、まずはベオのためになることをしないと」
「……貴様……」
「それにベオは自分が何者かで悩んでるみたいだけど、簡単だよ。ベオはベオだよ」
「そんな簡単な話では……いや」
言いかけて、ベオが口籠る。
何者でもない人造兵の少年は、今英雄に託されて歩み始めた。
で、あればその隣を歩く少女は――。
「確かに、そうかも知れんな。お前がいれば、私はベオだ。お前がルクスであるようにな」
片や英雄を目指した成れの果ての人造兵。
片や偽りの記憶を持った少女。
何者でもない二人だが、少なくともルクスとベオではある。
彼等と、そのギルドの仲間達の間においては。
「……いつかだ」
「いつか?」
「いつかそのうち、ノール・オーヴァに行く。そして私が何者かのかを明らかにする」
「今じゃなくていいの?」
「戦士にも休息が必要だ。私達もいい加減、得てきた栄光を享受する時間がいる」
「つまりは少し休みたいってこと?」
「そんなところだ。仕事はするぞ? 相変わらずうちのギルドの家計は安定していないのだからな」
「それはベオとアディがアイスとケーキを食べ過ぎるから……」
こつんと、ルクスの肩にベオの頭が寄り掛かってくる。
頬に当たる柔らかな髪の感触と、腕が触れ合ったベオの体温で、ルクスはそれ以上何も言えなくなっていた。
「必要だな、休息が」
「……そうだね」
ふわふわの尻尾が伸びて、ルクスの背中や地面に付いた手を優しく撫でる。
「あまり心配を掛けさせるな」
「お互い様だよ」
「……確かにな。まぁ、無事だったから許してはやるが。ちゃんとウィルフリードを倒してこれたんだな」
「ベオが助けてくれたからね」
「当然だ。お前一人の力じゃないぞ。……だが、褒めてやる」
二人はお互いにしか聞こえない声で、そんなことを語り合っていく。
ここ数日の戦いであったこと。
それからギルドの仲間達に対する話。
基本的にベオが厳しいことを言って、ルクスがそれに対して諭すような形ではあるが。
「妙な奴等が集まったものだ」
「それはまぁ、僕達から始まってるからね」
「……む」
一瞬尻尾がぱたんと跳ねたが、否定する材料もない。特に何も言うことなく話題は次へと移っていく。
その二人の時間は、ベオがルクスの肩に頭を預けたまま静かに寝息を立て始めるまで続いていた。
それからルクスはベオが風邪を引かないように優しく抱き上げてギルドに運んであげて、それをギルドのメンバーに目撃されてニヤニヤと視線を向けられるのだが、幸いなことにベオが眠っているので炎が放たれることはなかった。




