5‐25
全てが凍り付いた白い世界。
そこに立ったウィルフリードは、白い息を溜息のように吐き出す。
「……まだ生きてやがんのか、てめぇは」
氷の中、身体の半分以上が凍り付きながらも、ルクスはまだ剣を握ってその場に立っていた。
ウィルフリードの残った魔力の大半を注ぎ込んだ大技でも、彼の息の根を止めることはできなかったと言うことだ。
それはあのアレクシスの剣による守護なのか、それとも強靭な肉体を持つ人造兵だからなのか。
もしくは別の可能性があるのかも知れないが、最早今に至ってそんなことはどうでもいい。
「……ああ、わかったよ。ルクス、魔獣殺し。名もなきギルドのギルドマスター」
手の中に生み出された氷が、剣の形へと変化していく。
「お前を敵と認めよう。どうせ勝っても負けても終幕だ」
神の雷を落としたとはいえ、騎士団は大規模な反逆を企てたウィルフリードを許しはしないだろう。
もうすぐここには騎士団もやってくる。そうなれば、ウィルフリードの命はない。
そして今目の前の少年を倒したとしても、ここから逃げられるほどの力も残ってはいなかった。
「お前が俺の……ギルド・グシオンのマスター・ウィルフリードの最後の敵だ」
少年は何も言わず、踏み込む。
二つの刃が何度も打ち交わされ、そのたびに火花と氷の礫が散っていった。
静かな、たった二人の戦場。つい数時間前には多くの者達の声が響き、命が失われたそこに立っているのは最早二人だけだった。
「小僧、英雄になると言ったな」
二人の距離が離れる。
ウィルフリードは即座に氷の剣を槍に持ち替え、距離を離した状態からルクスを攻撃する。
それを上手く捌き、打ち落としながらルクスは距離を近づけようともがいていた。
「なります……。僕は、英雄に!」
「人造兵のてめぇがか?」
「それは……!」
バギン、と。
派手な音を立てて氷の槍が砕けた。
流石は英雄アレクシスの剣と言いたいところではあるが、最早ウィルフリード自身にも魔力が残されていない。
僅かに残ったそれを懸命に絞り出して、再び剣へと変化させていく。
「例えみんなの言う英雄になれなくても……認められなくても、僕は目指し続けます」
「どうしてだ?」
二つの刃がぶつかり、鍔競り合う。
最早ウィルフリードには、正面から馬鹿正直に攻めてくるこの未熟な少年を弾き飛ばすほどの力も残されてはいなかった。
「理由は色々ありますけど……!」
氷の剣にひびが入る。
最早黎明の剣を受け止めるだけの力は、ウィルフリードには残されていない。
だが、負けるわけにはいかなかった。
最早ギルド・グシオンは存続不可能だとわかっていたとしても。
今日まで積み上げてきた全ての計画が、目の前の一人の少年の行いだけで水泡に帰したと言う事実を認めたとしても。
「おおおぉぉぉぉぉ!」
咆哮し、魔力を抽出する。
魂が軋むほどの痛みに耐えながら放った氷の波を、少年は黒い雷で相殺しながらこちらへと迫ってきた。
「憧れ、そして託されたからです」
「何に……!」
言わずと知れたことだ。
彼がその剣を持っていることが全ての証となる。
ウィルフリードは目の前の少年の人柄を殆ど知らないが、黙って人の剣を持っていくような人間ではないことぐらいはわかる。
だとするならば、彼は託されたのだ。
あの日、ノール・オーヴァの王城に攻め入り、ウィルフリードの父と母を殺し。
その圧倒的な強さを心に刻み、誰よりも警戒しそして誰よりも『憧れた』。
「アレクシス……!」
ここで戦う二人は知らないことだが、英雄アレクシスは炎の中に二つの落とし物をした。
片方には絶望を与え、今日までの復讐の日々。
もう片方にはほんの小さな、一息でも吹きかければ飛び去って消えてしまう程度の生命の息吹。
そして、両者に与えた憧れ。
状況を理解していなかったとしても、少年は命を救われたことに対して感謝し、その在り方に憧れた。
全てを奪われた男はその圧倒的な力に憧れを抱いた。
その二人が、共に英雄によって運命を変えられた男同士がここで戦う。
それを皮肉なものと笑うか、それとも悲しむか。
二人の間に立っていた英雄はもういない。
大英雄アレクシスもまた、少年と男によって運命を狂わされて死ぬこととなったのだから。
「……ああ、確かに。てめぇは器かも知れねえな」
「……ウィルフリード……さん?」
「だが、この腐った国でそれを語ることはできねぇ。人造兵であるてめぇはどう足掻こうが英雄にはなれず、潰されて死ぬのさ。この俺のように」
あの日、炎に焼かれる城から逃げたときから、ウィルフリードは復讐のために生きてきた。
力を高め、己の存在意義を国に示した。その気になれば英雄として選ばれていたほどの力を持ちながら、素性を隠すためにその機会を棒に振った。
そして彼が求めた力、それがギルドだった。最早力を失いかけているアルテウルに反逆するため、十年以上に渡り力を蓄え続けた。
「思えば、幸運に恵まれていた。魔王戦役も魔王再誕も、どっちも俺の計画を二十年は早めてくれた」
本来ならば、それは自身が老人になってから叶えようとしていた目標だった。
今よりもアルテウルが力を失い、計画を万全なものとしてから。
だが、幾つもの偶然がそれを加速させた。最終的には古代文字を解読できるベオがいたことも、幸運に思えた。
「その帳尻合わせがこれか」
或いは運命と呼べばいいのだろうか。
「まさかてめぇに全部ご破算にされるとは」
利用して捨てようと思っていた弱小ギルドの人造兵。
物珍しさこそあったものの、その力に特筆するようなものはなかったはずなのに。
その全てが、彼の行動で壊された。
「だが、悪い気分じゃねえ。何もかも失って、ここで終わりにしてもらえるならな」
氷の剣を強く握る。
残ったもう片方の手に、なけなしの魔力を注ぎこんだ。
ルクスもそれに対応するように、剣を握る。
アレクシスから託された、英雄の本当の想いを受け継いだ黎明の剣を。
「英雄の力を借りるか?」
「……そうかも知れません。でも、僕はアレクシスに頼るのではなく、僕の力で貴方を超える」
「……そうか」
炎の中に運命を見た二人の、最後の激突が始まった。
ウィルフリードは自ら踏み込み、ルクスへと斬りかかる。
距離を取ってくると思っていたのか、ルクスはそれに対してほんの僅かに反応が遅れた。
その隙は、勝機となる。
「うおおおぉぉぉぉ!」
裂ぱくの気合と共に、氷の剣を一閃。
黎明の剣を弾き飛ばし、隙を作る。
「しまっ……!」
「終わりだ、英雄!」
ルクスは慌てて、黎明の剣を拾うために背を向ける。
――ウィルフリードは、そう判断してしまっていた。
ため込んでいた氷の魔力を至近距離で放ち、今度こそ氷漬けにする。
それで終わると、そう思っていた。
だが、少年は。
アレクシスの剣を受け継いだ彼は、それに拘ることをしなかった。
「まだ……!」
「こいつ……!」
姿勢を低くして、ウィルフリードの懐へと飛び込んでくる。
その手には、黒い雷。
英雄になれなかった『何者か』の呪いと叫び、そして今やルクスに対する期待すらも込められた彼の力の本質。
放たれた魔力が、空を切る。
直前までルクスがいた空間に、透き通る美しい氷の華が咲いた。
その時、少年の姿は既にウィルフリードのすぐ傍にある。
「これが、僕の……力だ!」
両手が押し付けられる。
そこに集まった黒い雷が、ウィルフリードの全身に走り、身体の内と外を残酷なほどに焼き尽くしていく。
それはあの日の、全てを失ったあの時の炎よりも数段熱く、ウィルフリード――ウィリアムを長い夢から覚めさせるほどの威力を持っていた。




