5‐17
王宮の地下、その一室。
激しい戦いの後が残り、あちこちが崩れそうなほどに破壊されたその部屋で、半壊した柱に背中を預けて崩れる男が一人。
英雄アレクシス。
誰よりもアルテウルのために戦った男は今、誰もいない地下室で最期の時を迎えようとしていた。
内部からはルクスの黒い稲妻による毒素が蝕み、外にはウィルフリードとの戦いの外傷が痛々しく刻まれている。
鎧は半ば砕け散り、誰がどう見てももう助かるわけはないほどの怪我を負って、足元には血溜りができている。
閉じそうになる瞼を必死で開きながら、アレクシスは自身に問いかける。
(俺は何を……待っているんだ)
ここで倒れるのは宿命であると、英雄である自分自身の最期の戦場にここを選んだ。英雄になってから初めて、上からの命令を無視してまで。
だからここで死ぬことに恐れはない。いや、英雄になった時点で死に対する恐怖などは捨て去った。
そこまでして、ようやく英雄と呼ばれる存在だった。
その死に後悔はない。
なのにアレクシスは、何故か今にも途切れそうな命の灯を、必死に絶やすまいと足掻いていた。
果たしてこれ以上生きてどうなるものか、最早自分自身でもわからないと言うのに。
脳裏に次々と浮かんでくるのは、英雄となってから歩んだ日々。
一人の戦士であったアレクシスは、因果に選ばれて英雄となった。
アルテウルの王宮深く、ちょうどノール・オーヴァのこの場所よりももっと深奥にある間にて、神の力のその欠片を預かった。
一つは黎明の剣、そう呼ばれるレリック。決して曲がらず折れず、英雄の全力にも耐えるその刃は今日まで共に戦ってきた相棒である。
そして英雄としての力。強靭な肉体、長い寿命、爆発的な魔力。
それらはアレクシスから戦場での敗北を奪った。英雄になってから今日まで、幾度の戦場を渡り歩いてなお、敗北はない。
――その代償に失ったものは。
閉じられていた扉が開く。
焦ったような足音が響き、それはアレクシスの前で止まった。
「……アレクシス……」
年若い少年の声が、英雄の名を呼ぶ。
「……そうか」
閉じかけていた目が開いた。
顔を上げればそこには、困惑した表情でこちらを見下ろす特徴的な光彩の瞳があった。
「俺は、君を待っていたのか」
「……どうして、アレクシスがここに……?」
「ルクス。君にとっての英雄とはなんだ?」
「……僕にとっての、英雄……?」
人造兵の少年は、アレクシスの質問に僅かばかりの葛藤を見せる。
英雄とは神の力を授かりし最強の戦士。
神の仔であるアルテウル王家を護る最強の剣であり盾。それは神話の時代からそう語られていて、決して覆らない常識となっている。
「……罪なき人を救い、失われる命に抗う者です」
はっきりと、彼はそう答えた。
「そ、それより早く治療しないと! まずは地上に……」
「いや、いい」
アレクシスを担ごうとするルクスを言葉で制する。
「俺はもう助からない」
多くは語らずとも、ルクスは周りの状況を見て全てを察したようだった。
「ウィルフリード……ですね?」
小さく頷く。
「でも、それだけじゃない。ウィルフリードは強いけど、貴方が負ける相手じゃない……僕と戦った傷が……!」
聡い少年は、すぐにその結論に辿り着いた。
「気にする必要はない。俺がここに来たのは、俺自身の意志だ。死ぬとわかっていて、最期の戦いのためにここに来た」
「……どうして……ですか? 貴方は英雄で、その命を無駄にすることは許されなくて……アルテウルに戻って治療を受けることだってできたのに」
「君が今言っただろう。俺は、英雄だからだ」
その一言を受けて、ルクスは言葉を失った。
「罪なき人を救い、失われる命に抗うために俺はここに来た」
「でも、その結果がこれじゃあ……! 貴方はもっと生きて、多くを救える人なのに!」
「本当はもう、楽になりたかったのかも知れない」
「……楽に……?」
「英雄としての生を、少し長く生き過ぎた。アルテウルに言われるままに多くを救い、多くを護り、誰よりも多く殺した」
人造兵や行き場のない少女を使った実験場を。
アルテウルに都合の悪い事実を持つ、人と亜人が共存する王国を。
そしてアルテウルに逆らわんとする亜人達の集落を。
それ以外も命令のままに、多くを殺し続けた。それが間接的に命を救うことがあり、アレクシスは大英雄とまで呼ばれるほどになった。
だが、それでも心の渇きは消えない。
果たして自分がしたかったことはこうなのか。
英雄となり、力を得てやりたかったことはこの程度のことなのかと、常に自問自答してきた。
その答えは目の前にあった。
英雄を目指す少年。
人造兵でありながらも無謀な目標を持つ彼が成すことは、力こそ足りないまでもまさにアレクシスにとっての理想だった。
己の意志のままに、人を救う。
例えそれが神や王家に認められなくても、その姿を見て人は英雄と呼ぶのだろう。
だから決断することができた。
この最期の時を、内側から湧き上がる衝動に任せてみようと。
「ルクス」
「……はい」
「君は英雄にはなれない」
「……はい」
以前もこの言葉を口にした。
その時に何を思っていたのかを、アレクシスはろくに覚えていない。
ただ単に、一人の人造兵に真実を教えてただけのこと。
それが彼にとってどれほどの衝撃であったのか、どれだけ悔しいことであったのか、今ならば理解できるような気がしていた。
そして再度それを告げられた少年は、意外にもその表情に悲壮なものはない。
アレクシスの最期の言葉をその胸に刻み付けように、懸命に手を握りこちらを見つめていた。
薄れゆく意識のなか、ルクスの顔がぼやけていく。
心配そうにこちらを見つめるその顔に、在りし日の自分の姿を見た。
幼き頃、今よりももっと荒れ果てていた時代。
アレクシスは多くの人を護り、失われる命の守護者になることに憧れた。
強い大人の戦士達のように、勇敢に武器を振るい戦場を駆ける己の姿を夢想し続けた。
そうして願いは叶った。
英雄になり、誰よりも強く、誰よりも空虚な存在となった。
或いは、子供のころの自分が今の姿を見たら、どう思うだろうか。
――答えは難しいものではない。
憧れるだろう――例え力が及ばずとも、己の衝動と情念に従い剣を振るい、弱きを護る目の前の少年に。
「君は、君のままで強くなれ。英雄ではなく、ルクスのままで、その意志を貫け」
「……僕は……」
「英雄などと言う呪いに縛られるな。君は自由なのだから。『何者』でもない、『ルクス・ソル・レクス』のまま力を振るえ」
彼がどういった反応をしたのか、最早アレクシスの目には映っていなかった。
光が消えたまま、アレクシスは最後の力を振り絞る。
人のものではなくなった心臓を、最後の力を振り絞って稼働させる。
そこから生まれた魔力の残りを、握った手を通してルクスへと伝えていった。
「アレクシス……!」
「俺の力と、剣を持っていけ。英雄が手にするレリック……少しばかり血で汚れているが、君が受け取るに相応しい武器だ」
腰から鞘を外す。
持ち上げる力は残っておらず、石床に落ちる音が耳に響いた。
「俺の炎は、いつしか消えていた」
身体が崩れる。
意識が少しずつ薄れていく。
その中でアレクシスは、ただ譫言のように言葉を発していた。
「最早僅かな残り火だが、君に託す。より大きな灯にして、人々を照らしてあげてくれ」
かつては本当にそう思っていた、幼き日のアレクシス。
その想いも、僅かに残った全ての力もルクスに託して、英雄は静かに崩れ落ちていった。




