5-13
ウィルフリードの周囲が凍り付いていく。
彼から発せられる怒りが、そのまま魔力の制御を狂わせて周囲の熱を奪い、凍てつかせていた。
「もう一度聞くぞ、アレクシス。どうしててめぇがここにいる?」
そこに込められた感情は、怒りと憎悪。
ウィルフリードの計画にズレはない。
長い間、こうならないために慎重に準備を整え続けてきた。
機会を伺い続け、魔王再誕こそがその最大の好機であったはずだった。
英雄は動かない。
否。
英雄は動けないはずだった。
この国が万全であった時ならばまだしも、アルテウルは国力を失い過ぎた。
で、あれば次に起こる魔王再誕。またはそれに準ずる何かしらの事件のために動ける英雄達は待機させておく必要があるはずだ。
王家を護るために。
奴ら英雄は王家の剣であり盾。ただそれが利益のために民衆のために貸し出されているだけに過ぎない。
この国が傾きかけた危機に、何故アレクシスがここにいる。
大英雄たる彼こそが、最も王家の護りにつかなければならないはずなのに。
ウィルフリードの予想を超えて、アレクシスはここにやってきた。
それはまるで、あの時の再現。
「また俺から奪うつもりか、英雄!」
二十数年前、この城は炎に包まれた。
アルテウルによる侵攻。表向きは敵対勢力の掃討だが、実際は違う。
彼等はこの地に眠る伝説を恐れた。古き夢を、それを見続ける古の民、そしてそれらを束ねる何者かを。
本来ならば人間と亜人達の和解の、共存の象徴であったそれを奪い、封印し名前すらも失わせた。
ノール・オーヴァと呼ばれた古き夢。それらは完膚なきまでにアルテウルによって破壊され、ティヴィルと名を改められた。
そこにいた民の大半が殺され、当然ノール・オーヴァの王家も存続を許されることはなかった。
古き力を振るうのはアルテウルだけでいい。人間が、神の仔であるアルテウルの王族がこの大陸の覇権を握るのに、英雄に並び立つほどの原初の力は不要だった。
その先兵が、英雄アレクシス。
命令のままに、冷酷に兵を殺し、民を殺し、王を殺した。
逃げ遂せた忘れ形見がウィリアム。
ウィルフリードと名を変え、ギルドを組織し、力を求めた。
二十年の時を経て、二人はここで相見えることとなる。
姿の変わらぬ英雄と、あの時とは違い力を持った男として。
「くくっ、くくくっ……!」
額に手を当てて笑い始めたウィルフリードを、横にいるベオが不思議そうに眺める。
そんな彼女の視線など気にも留めないまま、ウィルフリードの笑いは次第に大きくなっていった。
「クククッ、ハハハハハハハハハッ! そう言うことか、そう言うことか、英雄アレクシス!」
狂気を湛えた表情で、ウィルフリードが英雄を睨む。
アレクシスは相も変わらず表情を変えず、ただ静かに彼の言葉を聞いていた。
「最後の最後でてめぇを、忌まわしい過去を乗り越えろってことか!」
「そちらの都合は俺の知ったことではない」
英雄が剣を構える。
ウィルフリードからすれば誰にやられたのかは知らないが、彼はボロボロだった。
鎧は所々が砕け、そこから見える肌には深い傷を負っている。
英雄の回復力を以てしても言えない傷。いやそれ以前に、あの大英雄アレクシスに傷を負わせることができる相手が何処にいるものなのか。
だが、今のウィルフリードにとってそんなことは関係ない。
むしろ、これは好機だった。
ウィルフリードは戦士ではない。万全の相手との決着など望みはしない。
ただ、ここで……かつて英雄によって家族が殺されたこの城でその英雄が壁として立ちはだかる。
その奇妙な偶然は、自分自身でも意外なほどにウィルフリードを心を震わせていた。
「マスター・ウィル。お前がこの国の秩序を乱し、より多くの血を流させるというのならば、俺はお前を倒さなければならない」
「気安く呼ぶんじゃねえよ。……そいつは誰かの、てめぇの飼い主の命令か?」
「違う」
アレクシスが首を横に振る。
その言葉にどれだけの意味が込められているのか、それを理解できるのはこの場ではウィルフリードと、オーウェンだけだっただろう。
「俺は、俺の意志でここに来た」
問いただすまでもない。
最早その行動はウィルフリードにとって意味はない。
後はただ、己の野望の最後の詰めとして、目の前の障壁を破壊するのみ。
「ああそうか。だったらちょうどいい、俺はずっとお前を殺してやりたかった」
「……俺の予想が正しければ、君はここで生き延びた王子……ウィリアムと言うことになる。ならばそれは、復讐のためか?」
「いいや、違うね」
記憶の中にある、あの日の炎を振り払う。
そして新たな篝火を、胸の内に灯した。
「力を手に入れる。そしてこの国を潰してやる。そのためには、英雄が邪魔だ」
「そうか」
「だからてめぇを殺す、それだけだ」
「傷だらけの俺だが、簡単に破れてやれるほど甘くはないぞ」
「よく知ってるよ、大英雄……!」
周囲が凍り付いていく。
大量の魔力を片腕に集め、それを一気に解き放った。
先ほどのウォーグ達に放った魔法の比ではない。部屋全体を一瞬にして凍り付かせるほどの勢いと威力のある凍結魔法が、ウィルフリードの片手から放たれる。
「……ほう」
だが、英雄はそれでも焦ることはない。
剣を縦に振りぬき、その剣圧だけで彼がいる場所とその背後、そこにいるオーウェンとアディに襲い掛かった凍結を切り裂いて見せた。
「何のつもりだ?」
「忘れたか? 俺は英雄だ」
すぐ近くで声がする。
目の前に英雄の姿があった。
「ちっ、早えぇ……!」
手を握る。
氷によって生み出した剣で、英雄を放った斬撃を受け止める。
甲高い音が部屋中に響き渡り、あちこちに反響して木霊する。
「どうやら相当に身体がきついようだな、英雄! 普段のてめぇなら、氷の剣ごと俺の腕を持って行ってただろうよ!」
左腕を振りかぶり、足元に氷の魔法を放つが、アレクシスの足を止めるよりも早く彼はその場から飛びのいていた。
距離を取ったかと思いきや、再度の前進。
ウィルフリードが魔法を放ち牽制する間もなく、再び目の前に剣閃が走る。
「ちっ!」
氷の剣でそれを受け流し、距離を取るために魔法を放つ。
それを繰り返してもアレクシスはウィルフリードの傍から離れることはない。器用に接近し、大規模な魔法を使う隙を与えないでいた。
「たった一瞬すらくれねぇか」
ウィルフリードは、魔導師としては超一流と呼んでもいいほどの腕前を持つ。
腕の一振りで広範囲を凍結させるほどの魔法を一瞬で繰り出せるのは、彼の持つ高い魔力と研ぎ澄ませてきた技量があってのことだ。
並の相手ならば僅かに距離を離したその一瞬で凍結させられ、戦闘能力を奪われる。
それこそ、先ほどのウォーグ達のように。
だが、この英雄は違う。
ほんの僅かでも魔法を使う気配を見せれば、瞬く間に距離を詰めて攻勢に転じてくる。
それよりも早く繰り出せる小規模な魔法では、傷ついているとしても致命傷を与えるどころかまともに直撃させることすらできない。
やはり、傷ついていても英雄。
どれだけの怪我を負っていようと、容易く勝てる相手ではない。
アレクシスの鋭い突きが、ウィルフリードの顔を掠め、頬に赤い線が走る。
距離を取り何とか逃れようとした瞬間、視界の端に何かが入り込んだ。
「あいつ……!」
魔力を片手に集めるが、それもアレクシスの執拗な攻撃よって魔法の形となる前に霧散してしまう。
ウィルフリードの視線の先には、あの時の男がいた。
以前魔王再誕の時に、一緒に愚かな貴族を追い詰めた男。ルクスのギルドの、逃げ足が速い小物。
そいつがオーウェン達の錠を解き、脱出させようとしていた。
「いつの間に俺の氷の壁を!」
「剣を合わせる一瞬前だ。視線が俺に集中していたおかげで事が上手く運んだ」
「何処までも舐めやがって!」
氷の剣を全力で叩きつける。
本来の力のアレクシスならば軽くいなされるその攻撃は、傷ついた今の彼の態勢を崩すには充分な威力を持っていた。
「くっ……!」
氷の礫を飛ばし、アレクシスを牽制する。
幾つかが直撃し、たまらず距離を取った彼に対しての追撃が行われることはない。
「てめぇは逃がさん!」
隙を伺っていたベオを、氷の壁が囲う。
「ベオさん!」
遠くからエリアスの声が響く。
それに対して答えたのはウィルフリードではなく、アレクシスだった。
「彼女のことは俺に任せろ。君達は、君達の成すべきことを!」
その言葉を受けて、エリアス達はその場から撤退していく。
それを追うだけの余裕は今のウィルフリードにはなかったが、問題はない。元より、古代の言語を読むことができるあの獣人さえいればいいのだ。
「成すべきこと? あの小物連中に何ができる?」
「簡単な話だ。君ほどの男が、それを予想できないか?」
「……なんだと?」
「彼等はギルドに所属している。で、あればやるべきことは君の方が詳しいとは思うが」
「……あの小僧か」
「その通りだ。マスター・ルクスはこの場にやってくるだろう。君の目論見を阻止する、いや違うな……理由なく流れる哀れな血を止め、そして彼女を助けるために。彼はそういう男だ」
「英雄でも死期が近付けば呆けるもんだな、アレクシス!」
アレクシスの動きは確実に鈍ってきている。
その隙をついて放たれた魔法が、再び地下室全体を凍結させる。
そして凍り付いた床や壁から氷の棘を生やし、全方位からアレクシスに対して攻撃を加え始めた。
「あの小僧に何ができる! 何でもない、人造兵如きに!」
様々な方向から突き出される氷の槍を避け、時にはその剣で砕きながら再びアレクシスは距離を詰めてくる。
「それは君の方がよく理解しているのではないか?」
「……ちっ!」
鋭い剣撃を氷の剣が捌き、何度もお互いの刃が激突する。
英雄が持つ、神より与えられた神器であるレリックとは違い、ウィルフリードが魔力で生み出した氷の剣はすぐに砕けるが、そのたびに新しいものを生成して迎え撃った。
ルクス。
なんと言うことはない、ウィルフリードにとっては単なる小物に過ぎない。
だが、その名前はここしばらく何度も聞く羽目になっていた。
ミリオーラにてギルド・グシオンが失敗した魔獣を討伐し、魔王再誕で共闘した。
そんな彼を利用し、獣人達の集落に送り込んだ。本来ならばそこで英雄に打たれるか獣人達に殺されて終わりのはずだった。
「あのガキが……何だってんだ!」
「それは俺にもわからない。だが」
持っている剣ごと、片腕を凍結させる。
それでもアレクシスは止まらない。凍結したまま、腕が砕けることなどお構いなしに、剣を叩きつけてくる。
「彼の在り方は何かを変える。俺はそう思った」
「そんなもんは、ただの夢想だろうが!」
「そうかも知れないな」
アレクシスが笑う。半身が凍り付いた状態で。
その理由は、ウィルフリードには理解できなかった。だが、意味のない苛立ちだけが募っていく。
「だが、俺は彼の瞳に何かを見た。俺達にはない、古き時に縛られない何かを」
剣を構える。
放たれるのは必殺の一撃。例え動きが鈍っていようと、半死半生であろうとウィルフリードを殺すには充分な威力を持つ。
それが英雄。
この国で最強の戦士達の力だ。
「くだらねぇ。奴はここには辿り着けねぇ、野垂れ死んでお終いだ。そして俺は力を手に入れ、この国を書き換えてやる。てめぇが自分自身を捨てきってまで守ろうとした何もかもをぶっ壊してな」
「……その意気だ、マスター・ウィルフリード」
「……!」
怒りに目を見開く。
これまでにないほどの膨大な魔力を掌に集め、銀色の英雄に向かって解き放つ。
あの時に見た炎、どうすることもできず逃げることしかできなかった忌まわしき記憶を、そのまま氷漬けにするほどの勢いで。
対するアレクシスも、それに劣るものではない。
放たれた魔力による氷結波を正面から見据え、同じく魔力を込めた一太刀で叩き斬り道を作る。
ウィルフリードが放った部屋全体を覆うほどの冷気が切り裂かれ、二人の間に道ができる。
二人は同時に動き、激突する。
眩い輝きが、地下室を満たした。




