5‐12
そこは静かで、薄暗く広大な空間だった。
ティヴィル――ノール・オーヴァの城、その地下室。
王座の間の真下に広がっているこの空間には、僅かばかりの明かりに照らされた石板が幾つも並んでいる。
ベオは今、それを解読していた。
背後にはウィルフリードが立ち、部屋の出入り口には氷の壁で作られた檻の中にアディとオーウェンが閉じ込められている。
「ノール・オーヴァ……亜人達の国。亜人達に選ばれた人間が統治する、古の夢」
石板を読み上げるベオの声を、ウィルフリードが忌々し気に遮る。
「そんなことは知っている。他に何か情報はないのか?」
「ない。ここにはこの国の歴史しか書かれていない」
「ちっ。ならここも外れか……付いてこい」
ウィルフリードが歩き出す。
ベオは一瞬、氷の檻に囚われている仲間達を見たが、どうすることもできそうになかった。
(……ルクスめ、さっさと来い)
そう心の中で悪態をつきながら、ウィルフリードの後を追っていく。
地下室を更に奥へと進みながら、ベオは前を歩くウィルフリードに話しかけた。
「随分とこの国に詳しいみたいだな。この地下室も、すぐに見つけたようだし」
「黙っていろ」
甲高く響く靴音が、苛立ちを交えたものに変化した。
「古の夢、滅ぼされた国。この国の王族には亜人達を束ねる強き人間。高い魔力を持つ。なるほど、アルテウルからすれば厄介な」
周囲の温度が急激に下がっていく。
ベオの炎でも溶かしきれないほどの冷気。それによって生み出された氷の刃が、ベオの胸に突きつけられていた。
「死にたいのか?」
「私を殺すことはできまい? 計画に必要なのだろう?」
「てめぇの仲間から殺してやってもいいんだぞ? お前はともかく、連中には利用価値は微塵もない」
そう言われて、ベオは何も返すことができなかった。
ウィルフリードが立ち止まる。
彼の目の前には、巨大な扉が鎮座していた。
扉には古代文字が刻まれており、それが封印であることは一目で理解できた。
「お前ならこの封印が解けるはずだ」
「……どうだかな」
片手を翳す。
ベオの手から光のようなものが走り、扉に刻まれた文字を滑るようになぞっていく。
その後すぐに何かが砕けるような音がして、両開きの扉は驚くほどあっさりと開いてしまった。
「開いたか」
そう呟くウィルフリードの声には、万感の思いが込められていた。少なくとも、ベオにはそう聞こえた。
「この奥には何がある?」
「そいつはてめぇの方が詳しいんじゃねえのか?」
「生憎と記憶が混濁しているんだ。私は自分が何者なのかも、よくわかっていない」
「ダークエルフじゃねえのか? いや、耳が長くないから違うか。銀髪に褐色の肌はその血を引いているもんだと思ったんだがな」
「ダークエルフ?」
「大昔にいた種族だ。遥か昔、原初の魔王が暴れていた時にな。血の気が荒い連中でエルフと馴染めず、対立の末に滅亡したって話だな」
それを聞いて、ベオの鼓動が強まる。
ひょっとしたらこの先に自分の正体があるのかも知れない。
魔王ベーオヴォルフではない、ベオ自身が何者であるかの情報の断片が。
ウィルフリードが一歩踏み出す。
かつん、と一際大きな靴音が響いた次の瞬間。
何者かが地下室に乱入してきた。それも一人ではない、大勢の気配がある。
「なんだ?」
ウィルフリードが面倒そうに、地下室の入り口を振り返る。
そこにいたのは、獣人の一団だった。
入り口で捕まっている二人を無視して、一直線にウィルフリードの元へと駆け寄ってくる。それは間違っても友好的な態度ではなく、特に先頭を走る大柄な獣人は殺気を剥き出しにして、すぐにでもウィルフリードの首を斬り落とさんばかりの勢いだった。
「おおー、よく来たな。ウォーグ君、だが残念なことに今はお前の相手をしている暇はねえんだ」
ウォーグと呼ばれたのは、先頭の獣人だった。
髪と両耳を逆立て、手に持った曲刀を構えた彼は、怒りを込めてウィルフリードを睨みながら叫ぶ。
「貴様、我等を裏切ったのか!」
「人聞きの悪いことを言うのはやめてもらおうか。約束通り、お前達がノール・オーヴァに入るまでは支援してやっただろうが」
「ならば最初からこのつもりで……!」
「ああそうだ。俺もここに用があったんでな。だが、騎士団の連中の警備もあって、簡単には立ち入れない。だから、少しばかり利用させてもらった」
「貴様……!」
そこにどれほどの怒りが込められているのだろうか。
ウォーグの剣を握る手は震えていた。
「お前達亜人の仲間を助けてやったこともある、レンツォの集落に集めてやった。損ばかりさせたつもりはないが?」
「ふざけるな! 我々の悲願を、ノール・オーヴァの地に再び王国を築き、人間達を廃してこの国に新しい秩序をもたらす夢を……!」
「……ふ、くくくっ……ははははははっ! 笑わせてくれるじゃないか、ウォーグ君!」
彼の言葉に耐え切れなくなったのか、ひとしきり大笑いをしてから、ウィルフリードは改めてそこに集まった者達を見下すように睨みつける。
「何処まで調子のいい話だ? 俺達に装備を供給してもらい、情報を与えられ、仲間を集めさせてもらい、それでことを成すつもりだったのか? 大層な信念だな、お前達亜人共の錆びついた意志ってのは」
そこまで聞いて、ベオにも予想ができた。
この反乱も、全てを仕組んだのウィルフリードだったのだ。
かねてより亜人達を集め、武器を与えて扇動した。恐らくだが先日ルクスが巻き込まれたのも、ウィルフリードが手を引いていたのだろう。
そうして亜人達を利用して、最終的には彼等に反乱を起こさせた。その鎮圧の名目でノール・オーヴァの王城に入り込むために。
「……いつからお前の計画は始まっていたんだ?」
ベオは思わずそう尋ねる。
「ずっと昔だ。だが、もう十年は待つつもりだった」
「……魔王再誕か」
「そうだ。てめぇは獣人の癖に頭が回るな。……流石は古代種と言ったところか」
「生まれは知らん。だが、少し考えればわかることだ。魔王再誕によってお前は、それだけのことがあっても騎士団は大っぴらに動かない……動けないと判断した」
「そうだ。連中を仕切る貴族達は大半が力を失い没落し、残った連中もそうはなりたくないと椅子の上で震えることしかできない腰抜け揃いだ」
周到に準備を整え、ここに至った。
ウィルフリードの計画はほぼ完璧に近い形で遂行されていた。
今目の前にいる、獣人達を除けば。
「全ては今日のためだ。この地下にある古の夢を解き放ち、俺は力を手に入れる。英雄すらも超える原初の力がここには眠っているのさ」
「そんなことはさせるものか! こうまでなったのならば、その力は我々が頂く。そして今度こそ、祖先より受け継いできた悲願を果たすのだ!」
ウォーグの鼓舞によって、背後の獣人達も声をあげる。
「くだらねぇ」
「なんとでもほざけ! 貴様如きに、祖先より伝わってきた言葉の重みは理解できまい!」
ウォーグが石床を蹴る。
そのまま足元を砕くほどの勢いでその身体は風となった。
ベオには全く見えない速度だった。あれを迎撃しろと言われれば、不可能だと答えるほどに。
「祖先の意志? 墓の下にいる連中の言葉を聞いて何になる?」
だが、それはウィルフリードには届かない。
振りかぶられた曲刀は、その腕ごと凍らされて最早武器としての役割を果たせてはいなかった。
そればかりか、肩から先が瞬く間に氷で覆われ、氷はそのまま床へと延びていく。
「死人の言葉に価値なんざねえ。そんなもんを頼りにしなきゃ生きていけないほどの雑魚なら、ここで死んでおけ」
「う、ウォーグに続け!」
背後でウォーグの部下達が、武器を構える。
だが、それを許してくれるほどウィルフリードは甘い相手ではなかった。
「鬱陶しいんだよ」
片手を振るう。
それは魔王再誕の時に見た大規模魔法。
そこから放たれた巨大な氷河が、一瞬にして地下室にあるあらゆるものを凍結させていく。
それは今まさにウィルフリードに襲い掛かろうとしていた亜人数名も例外ではなく、全身を一瞬で凍てつかせ、氷の塊となってしまっていた。
「う、おおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!」
バキバキと、何かが砕ける音がする。
片手を氷で縫い付けられたウォーグが、そのまま力任せに氷の拘束を解いていた。
「おいおい、やめとけ。腕が千切れるぞ」
「構わん……! ここで仲間の無念を晴らし、我等が偉大なる祖先へと捧げる!」
嫌な音が地下室に響いた。
ウォーグはその利き手を容赦なく引き千切ることで、氷の拘束から脱出する。
獣人には人間とは比べ物にならないほどの力も、牙もある。
だからこそ、距離さえ詰めてしまえばなんとなかる。
そう思っての、ウォーグの怒りの一撃だったのだろう。
その信念は、込められた怒りは尋常ではない。
だからこそ成せた。己の身体を犠牲にしても、ウィルフリードの拘束を解き、彼に一矢報いるために再び前進する。
「だからてめぇらは阿呆なんだ」
「……あ……?」
床から伸びた氷の杭が、ウォーグの両足を刺し貫いていた。
「何が祖先の意志だ、馬鹿馬鹿しい。先祖が大切なら、豪華な墓でも立ててやれ。……負けたんだよ、お前等は。敗北者は奪われ、取り返すことなんざできはしねぇ。そう言うもんだ、世の中ってのは」
ウィルフリードが手を伸ばす。
そこから伸びた氷の槍が、ウォーグの心臓を貫いた。
「が、はぁ……!」
声をあげ、そのまま仰向けに倒れていくウォーグ。彼はそのまま動かなくなった。
「くだらねぇ人生だったな。行くぞ」
最早倒れた獣人達に一瞥もくれず、ウィルフリードが背中を向ける。
そこに声を掛ける、もう一人の人物がいた。
「待て」
「まだ生き残りがいたのか。しつこい連中……!」
振り返ったウィルフリードは、目を剥き言葉を失った。
それも無理はない。隣にいるベオも、その人物を見て何も言うことができなかった。
「……なんでてめぇがここにいる?」
銀の髪と鎧、長剣を背負ったその姿はこの国に住む者達の憧れ。
しかし今はそれも見る影もなく、全身はボロボロで、砕けた鎧の隙間からは応急処置の痛々しい跡が見える。
顔にも傷を負った彼が本調子でないのは明らかだった。それでも、ウィルフリードをこの場に縫い付けるほどの圧倒的な存在感がある。
「国の危機ならば、英雄が動くのは当たり前だろう?」
「……アレクシス……!」
あらん限りの怒りと憎しみを込めて、ウィルフリードはその名を呼ぶ。




