4‐23
取り落としそうになった剣を、何とか持ち直す。
何故その人物がそこに立っているか、一瞬ルクスの脳は理解を拒んだ。
銀の髪に鎧をまとった英雄。その姿は共に肩を並べて戦えば勇気と希望を与えてくれる。
もし相対するとなれば、その感情は全て反転する。
「あ、アレクシス……! 僕を助けに来てくれたのか!」
駆け出そうとしたカーティスを、腕を伸ばして制する。
その手に握られた剣には、真っ赤な血が今も滴っている。それは集落の外にいた戦士達が、彼によって打ち取られた証だった。
「邪魔をするな!」
カーティスを抑えながら、ルクスはアレクシスに問う。
「カーティス様を助けに来たんですか? 自分の意志で……?」
心臓が高鳴る。
頷いて欲しかった。先の貴族達の言葉は何かの間違いで、救出のためにアレクシスが派遣されたのだと、そう思いたかった。
「いいや」
低い声で、ただそれだけを告げた。
わかりきっていたことだ。そもそも、全ては仕組まれていたことなのかも知れない。
何故先遣隊の姿が見えなかったのか。
王子の護衛に対する戦力が心許なかったのか。
そして、あの時倉庫の奥で見た武器はいったい何処から手に入れてきたものなのか。
これは偶然ではない。不幸な事故の連鎖でもない。
明らかに誰かが、こうなることを望んだのだ。
「俺に与えられた任務は二つ。この集落にいる亜人の反抗勢力の壊滅、そして……カーティス王子の殺害」
「僕の殺害……? 英雄が、僕を殺すのか!」
「深くは語りません。俺はただ、与えられた役割をこなすだけ。それが、英雄の在り方です」
「カーティス王子!」
剣を構え、ルクスはアレクシスの前に立つ。
「……逃げてください。エルマ達を、できるだけ急がせて」
アレクシスは恐らく全ての反抗の芽を潰すつもりだ。そう言う役目を彼は与えられてここにいる。
そこに例外はない。民間人も、全て殺すつもりなのだろう。
あの時、あの研究所でそうしたように。
カーティスが走る。
アレクシスはそれを黙って見送った。
「レンツォさんに会いましたか?」
「……恐らく、そう呼ばれていた獣人とは戦ったな。かなりの実力者だった」
言葉とは裏腹に、アレクシスには傷も、疲労した様子すらもない。
一太刀も浴びせることなく、レンツォは敗れたのだろう。
「君の命を慮り、ここから逃げろとは言わん。自分で決めたことなのだろう?」
「……はい。今、戦う理由を決めました」
「酷い因果だな」
不思議な感情があった。
目の前の男にルクスは確かに憧れていた。いや、その感情は今も変わることはない。
彼は国のために争いを止めようとしているし、結果として多くの命が救われることになるかも知れない。
それでも、ルクスは退かない。
例えそこにどんな大義や理由があったとしても、己の意志を通すための戦いではなく、他者に巻き込まれて一方的に失われる無辜の命があっていいわけがないのだから。
「だが少し楽しみでもある。あの時、ほんの気の迷いで助けた少年が、どのぐらいの実力になったのか!」
アレクシスの姿が消える。
目で追ったわけではなく、半ば本能的にルクスは剣を横に倒していた。
たった一撃を受け止めることもできずに、ルクスの身体は弾かれて後退する。
体制を崩したところに放たれた次の斬撃を避けられたのは、単純に運がよかったからだ。
背後にあった家をアレクシスの一撃が粉砕し、粉塵が舞う。
煙に紛れてルクスはその場から離れ、アレクシスと距離を取って再度武器を構え直した。
(とんでもない重さの攻撃……。あんなもの、受けきれるものじゃない)
オーウェンやレンツォにも、ここまでの威力はなかった。最早それは、防ぐことの叶わない一撃。
(これが英雄……!)
距離を詰め、攻めに転じる。
しかしアレクシスはその攻撃を防ぐこともしなかった。
放たれた斬撃に被せるような、重厚で鋭い一撃。
上から下への振り下ろしは、的確にルクスの隙をついてその剣を叩き落とす。
首を刈り取るための薙ぎ払いを、ルクスはその懐へと飛び込むことで何とか回避する。
死に物狂いで飛びつくようにその身体を突き放して、剣を拾うまでの隙を作ろうとするが、鎧をまとったその身体は全くといっていいほどに動かない。
膝蹴りがルクスの腹に減り込む。
いつも着ている軽装鎧を砕き、そのまま内臓まで破壊するほどの威力を受けて、身体を折り曲げてえずいた。
ゴッ! と、鈍い音がする。
感覚が鈍っていたのか、痛みが襲ってきたのはそれから少し遅れてのことだった。
小手を付けた拳がルクスの額を討ち、既に全身から力が抜けていたその身体は吹き飛ばされて、仰向けになって地面に打ち付けられた。
「ごほっ!」
咳と共に肺から空気が漏れる。
傷つけられた体内から溢れ出た血が喉を塞ぐ前に、何とか姿勢を変えようと地面を転がり、腕を付いて身体を起こそうとする。
「がっ、ごほっ、げほぉ」
両腕を付いて地面を見ると、口から次々と血が溢れて足元の草を真っ赤に染め上げていった。
(強い……! 勝てない……当たり前だよ。相手は英雄なんだから)
英雄。
かつてルクスを救い、憧れた人。
そしてルクスが生み出される元凶であり、そこを目指して数多の命が失われた人物。
(……そうだ。僕は英雄に憧れたんだ。英雄になるために生まれてきたんだから……英雄のために、そこを目指して、僕達の命を使い潰して、偽りの栄光にも触れることができずに)
失われた力が両腕に宿る。
溜まった血を全て無理矢理に吐き出し、ルクスは立ち上がった。
(ああ、そうだ。英雄がいたから、僕は――)
心臓がこれまでにないほどに強く脈打っていた。
全身に送られる血液が、内側から火傷しそうなほどに熱い。
(――こんな奴がいたから、僕達は――!)
最初からお前達がいなければ。
他者に縋り、救われることを教えなければ。
「……こんな悲劇は生まれなかったかも知れないのに」
手を翳す。
黒の剣が浮かび上がり、ルクスの手の中に納まった。
ルクスにとって詳細はわからないが、この剣はルクスの心臓と同調することでその力を引き出していた。
恐らくは黒い心臓と黒の剣に、似たような性質があったから起こったことなのだろう。
だが、今は違う。
ルクスの心臓は一人でその鼓動を大きくし続けている。
そこに溜まった呪いが、余りにも自分勝手な理由から生み出され使い潰された兄弟達の、英雄になることができなかった廃棄物達の怨念が、今のルクスを動かしている。
「凄まじい力だ」
異様とも呼べるルクスを見ても、アレクシスの態度が変わることはなかった。
それでいい。
相手が何であろうと叩き潰す、それこそがルクスが――ルクス達が憧れ目指した英雄の姿なのだから。
「おおおぉぉぉぉぉぉぉ!」
一瞬でルクスとアレクシスの距離が詰まる。
お互いに示し合わせたかの如きタイミングで打ち込まれた剣閃は、二人の間でぶつかり合って火花を散らす。
(負けてない……!)
込められた魔力が反応し、辺り一面を薙ぐほどの衝撃が生まれる。
短時間の間に幾度となく打ち合わされた剣の衝撃、その余波によって集落は見る影もないほどに破壊されていった。
「その力、その出力……やはりあの研究所で生み出されていたのは、そう言うものだったか。ならば」
アレクシスが両手で剣を構える。
その先端に見えざる力が集まっているのを、ルクスは本能的に察した。
振り下ろされる刃の先端から、見えない何かが放たれて、地面や建物を容赦なく吹き飛ばし前進する。
(魔法……! エリアスみたいに、自分の武器に魔法を纏わせることができるのか)
「もう打ち合うことも不可能だ」
剣と剣がぶつかった瞬間、見えない力がルクスを弾き飛ばす。
単なる膂力ではない、それに上乗せされた不可視の衝撃が、ルクスの全身をその場から吹き飛ばして、瓦礫となった建物へと放り込んだ。
(まだ来る!)
ゴオッ! と耳に届いたのは、強風の音だ。
「風の力か!」
ルクスが飛び退いたその場所を、一点に集められた風圧が削り取っていった。
彼もベオと同じ、魔法の発動に溜めをや詠唱を必要としない。
決して幾つもの術を扱えるわけではなさそうだが、それでも隙のな遠距離攻撃は、接近しなければ攻撃できないというルクスの僅かな勝機すらも奪い去っていった。
次々と繰り出される不可視の攻撃を、ルクスは広く円を描くように走ることで避けながら、少しずつ距離を詰めていく。
「例え近付いても無駄なことだ」
ルクスの位置を察したアレクシスは自らルクスへと接近する。
その行動に呆気にとられたのも束の間、やはり彼の剣を受け止めることも叶わずに、ルクスは叩きつけられた衝撃を殺すことができずに弾き飛ばされ地面を弾むように転がっていく。
(……駄目だ。まだ勝てない、少し強くなったぐらいじゃ全く及ばない)
一瞬でも諦めそうになるや、ルクスの頭の中で声がする。
彼等はまだ剣を置くことを許さない。
ルクスにここで死ぬことを許さない。
脈動する黒い心臓は、英雄として生み出されながら生きることを許されなかった彼等の呪詛を垂れ流し、ルクスの力へと変えていく。
「まだだ……」
立ち上がりながら心臓に手を当てる。
あれだけ打ち付けられても、身体はぼろぼろなのに、今も変わらず――いや、より強い鼓動を刻んでいる。
「もっと力が必要だ」




