4‐22
集落に戻るったルクスを、焦った様子のエルマが出迎える。
「ルクス! ……レンツォは?」
「他の人達と連携を取って、騎士団を食い止めるって」
「敵はいつ来る?」
「わからない。でも先遣隊が戻らないことを確認したら、すぐにでも攻めてくるかも知れない」
少なくとも王国側がここで亜人達のリーダーとなっているレンツォを潰したいと考えているのは明白だった。
「避難の準備を急がせて」
「う、うん」
ルクスの様子から只事ではないと察したのだろう。エルマは急いで集落の方へと駆けていく。彼女の素早い行動からして、いざという時は脱出の指揮を執るようにとレンツォから言われていたのかも知れない。
集落へと入っていくルクスと逆行するように、亜人の戦士達が外へと飛び出していく。
どうやらレンツォは、交渉が失敗した時のことも考えたうえで行動していたようだった。
エルマが集落の広場に女子供を集めて、各自食料などの物資を集めているのを、遠くから呆然と見ている少年がいた。
カーティスだ。
彼は魂が抜けたような顔で、それを見つめている。そして人質としての価値がなくなった彼に対して、この緊急事態に声を掛ける者はいない。
「カーティス様」
「……お前か」
既に縄も解かれていて、逃げようと思えば幾らでも逃げられる。そうしないのは、彼にはもうその気力がないからだ。
「まずはエルマ達と一緒にここを離れましょう。ミリオーラまで戻れれば、僕達のギルドで匿うことだって」
「そんなことをして何になる?」
「生き延びれます」
「その生きる価値がもう僕にはないってことだよ! 父上も、貴族達も僕を見捨てたんだ。もう僕は誰にとっても価値のない人間になり下がったんだぞ!」
カーティスの手が伸びて、ルクスの胸倉を掴む。今にも殴り掛からんばかりの勢いだったが、彼はそうしない。そんなことをしたことがなかったからだ。
「地位を失って、家族から見捨てられて、護ってくれるべき人はもういない! これから先どうやって生きて行けばいい、泥の中で這いずり回って、惨めに死んでいくしかないじゃないか!」
カーティスの慟哭が響く。
ひょっとしたら彼は、ルクスにそれを否定してほしかったのかも知れない。
まだ何か方法があると。以前までの生活に戻るために協力してあげられると、哀れにも自分が蔑んだ人造兵に縋った。
だが、ルクスにそんな力はない。
彼は英雄でもなく、この流れを変えるだけの力すら持っていない一人の少年なのだから。
しかし、それでも。
彼に言葉を掛けてやることはできる。
「僕も同じでした」
カーティスの手を掴み、優しく解かせる。
その上で彼の目を真っ直ぐに見ながらそう言った。人が忌み嫌う、彩色の瞳を向けながら。
「なにもなかったけど生き延びて、大切なものに出会った。例え泥の中にいるような、絶望しかないような日々が続いても、必ずその先に光はあります。生きていれば」
「そんな綺麗事!」
「それを確かめるためにも生きましょう。無意味に命を捨てることを僕は許せない」
それは、ルクスにとっても贖罪だった。
つい先程、それを見送るしかできなかったから。
だからせめてカーティスだけは、かつての自分のように何もかもを失ってしまった少年だけは見殺しにすることができなかった。
カーティスの腕を引いて、エルマ達の元へと向かう。
「エルマ。……カーティス様も一緒に、安全なところまで連れて行ってほしい。条件ってわけじゃないけど、代わりに僕が君達の護衛に付く」
「そ、それは別に良いけど……」
エルマは集まった非戦闘員達に視線を向ける。
女達は特に何も言わず、視線を逸らすだけ。子供達はそもそも、カーティスがどういう人物なのかもわかっていないようだった。
そんな中で一人の男が手を上げて発言する。
「俺はいいぜ」
その男は、壮年の獣人だった。本来ならば戦士として戦っている年齢だが、彼には片足がない。
「でも、この人は……」
孤児達の面倒を見ていた女性が声を上げる。
「人間達の、王なんでしょう?」
彼女の言葉に、カーティスが怯えのような表情を見せる。それはつい先日まで人を顎で使っていた少年からは、想像もできないほどに弱々しいものだった。
「わたしの夫は人間に殺された。この子達の親もです。貴方はそれを知っていましたか?」
「……知らなかった。考えたこともなかった。死ぬのが怖いなんて、全く想像してなかった」
カーティスにとって戦いは他者が行うものであり、自分の命が脅かされる心配などない。全て何処か遠くの世界で行われているお伽噺だった。
だからそれで死者が出ていることも、悲しむ人がいることも理解できなかった。そう言ったものが排除された場所から、彼はやってきていた。
「俺も昔はそうだったよ」
男の言葉はその場の全員にとって意外なものだった。
「戦士として生きろって言われて、その生きざまを強制されてきた。祖先の無念を晴らすために戦えってな。誰もが名誉ある死を望み、不必要に誰かを憎んで戦うんだ。だが俺が足を失い戦場に立てなくなった時、誰も肩を貸してはくれなかった。役割を決められるってのは、そう言うもんだろ」
男は言葉を一度切って、更に続ける。
「俺は別にレンツォを否定するつもりはない。他の連中も、俺の立場が変わっただけだからな。……ただ、今の俺達が何かを変えたいなら方法は二つしかない。戦うか、許すかだ。結論はすぐに出ないかも知れないが、ここでこの王子様を連れていくことは、少なくとも結論を保留することにはなる。今の俺達には、判断を下すのは早すぎるからな」
男の言葉に反対意見が上がることはなかった。
彼は全員の意志を顔を見てから、エルマの方を見る。
「頼んだぞ、エルマ」
「あ、うん。みんな、移動しよう。ほら、王子様も荷物を持って」
それぞれに手分けして物資を背負う。殆ど男性はいないが、まだ足腰がしっかりしている老人や女達が大半を持ち、子供達も自分が持て入る分の手荷物をしっかりと掴んだ。
「何処へ行くつもりだ?」
聞こえてきた声に、その場の全員が息を呑む。
「やはり俺の思った通りだ。お前達、武器を持たずに逃げ出すつもりか」
二振りの剣を手にしたジェスが一団の行方を阻むために立ち塞がる。
「ジェス、あんた……!」
「戻って武器を取り戦え。俺達は戦士の種族、最後の最後まで命を賭けろ」
その迫力に、彼等は足を竦ませた。
ジェスの様子は只事ではなかった。その表情は奇妙に歪んでいる。
それが怒りによるものか、それとも悦びによるものかは、最早誰にもわからない。
「早くしろ! 俺達が祖先から伝えられてきたことを忘れたのか! この大地は元々、俺達のものだった! それを簒奪した奴等から奪い返すんだ!」
「レンツォはあたし達に逃げろって言ったんだ。今更お前が口を挟むことじゃない」
「そんなものは何かの間違いだ。例えそうだったとしても、お前達が盾となれば俺やレンツォが生き延びる可能性が高まる。そうすればまた次の戦場で、より多くの人間を罰することができる!」
ジェスの目は狂気に染まり、いつ味方である彼等に斬りかかってもおかしくはないほどに殺気立っている。
「俺達は戦士だ! 祖先の恨みを、怒りを晴らすために生まれてきた! それができない命に価値はない!」
「エルマ、先を急いで」
ルクスにそう言われて、一瞬躊躇ったが、エルマは一同を率いて集落の外へと向かっていく。
追いかけようとするジェスの道を阻むようにルクスが立ちはだかった。
「廃棄物ぅ!」
二刀を振り回し、ジェスが肉薄する。
ルクスは手にした剣でそれを受け流していく。
「邪魔をするな! 戦士の誇りが俺にはある! そうやって引き継いで来たのだ、遠い昔からの意志を! 祖先のいない、積み上げられてきた過去を持たぬお前にはわからないだろうがな!」
やはりこの男は同じだ。
姿こそ獣人だが、それは数々の怨念を喰わされた魔獣や魔王と変わりない。
言葉や生き方によって、恩讐を刻みこまれた悲しい存在だ。
最早言葉による説得はできない。
彼を見逃せば、逃げる人達が危険に晒される。手段を選ぶことはできない。
ルクスは息を呑み、覚悟を決める。
「死ねえぇぇぇぇぇぇ! 廃棄物がぁ!」
黒の剣の紅い刀身が肩書を増す。
黒い心臓が高鳴り、ルクスに更なる力が与えられていく。
突き出された右の剣を叩き落とし、がら空きになった身体に向けて、剣を振りかぶる。
「なんっ……」
肩口から心臓まで、一太刀が食い込んでいく。
ルクスの全力の前に、余りにも呆気ない最期だった。
真っ赤な血が噴き出して、ジェスより小柄なルクスへと頭から降り注いでいく。
何が起こったのかもわからない表情のまま、ジェスは崩れ落ちて動かなくなった。
「お、れは……せん、し」
「違います。戦士であれ英雄であれ、戦う者の役目は人々の命を守ること。それを無駄にしようとする貴方は、怨念だけを背負った魔獣のようなものです」
「ルクス!」
悲しげにジェスを見下ろしていると、背後からカーティスが呼ぶ声がした。
「カーティス様?」
「あいつらはもう森の奥に逃げてる。僕達も急ごう」
どうやらルクスが道に迷わないようにと、わざわざ戻ってきてくれたらしい。
カーティスの気遣いに小さな嬉しさを覚えながら、剣を鞘にしまおうとして、ルクスは動きを止めた。
一人分の足音が近づいてくる。
鎧が擦れる金属音と、奇妙なまでに遅い歩み。それがかえって、この場において違和感と恐怖を駆り立てる。
或いはそれは、本能的な恐怖によるものからなのかも知れない。
いつの間にか辺りに立ち込めていた霧の合間から姿を現したその人物を見て、ルクスは一瞬言葉を失う。
「……何故君がここにいる、ルクス?」
銀色の髪、白銀の鎧。
彼はルクスの憧れだった。
かつてルクスを助けてくれた、そして共に肩を並べて戦った大英雄。
アレクシスが、血のついた剣を持ってそこに立っていた。




