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4‐15

 ――尊きものであろうとしただけだ。

 カーティス・フォン・アルテウルは彼に用意された狭苦しい牢の中で、そう自分に言い聞かせていた。

 部屋の中は狭く、床は木ですらなく土が剥き出しで、天井付近に小さな窓があるだけの牢屋。

 張り巡らされた格子は木製だが、カーティスの力ではどうあがいても脱出できそうな強度ではない。

 カーティスは王族であり、本来ならば英雄や騎士団に護られるべき立場。人々の中心に立つべき王が魔法や剣術を習うことなど恥であると言い聞かされて育ってきた。

 だから、今のこの状況になった時に、カーティスを救う術は自らの中にはない。ただ神に祈り、英雄が来ることを願い、そして自分をこんな目に合わせた亜人達を呪うだけだ。


「……僕をこんな目に合わせて、ここにいる奴等は皆殺しにしてやる」


 膝を抱えてそう呟いてみても、それが虚しいだけのことであるとすぐに気が付く。

 カーティスは今、初めて気が付いた。

 今までは誰かに言いつけるだけで叶えられてきたあらゆる事柄が、どうしようもないほどに実現不可能であることに。

 殴られた頬が痛む。

 あのジェスと言う獣人が、カーティスの失言に対して怒りのあまり拳を振るったのだ。

 誰かに殴られることも、危害を加えられることも初めての経験だったカーティスにとって、その衝撃は計り知れないものであった。

 人に殴られることは、こんなにも痛みを伴うことだったとは。

 なら戦場で散っていく兵士達は、今回同行し無残に殺されてしまった者達は果たしてどれだけの痛みを感じてしまったのだろう。

 時間だけが無為に流れていく空間は、カーティスの中に無駄な考えを無数に浮かばせる。

 それは王としては考えてはいけないことだ。そう教育されてきた、痛みを知ることなかれ、他者を顧みることなかれ。

 王族とは生まれてきたこと自体がこの大陸にとっての祝福であり、生きているだけで尊きものなのだから。

 余計なことに気を回せば、その分だけ誇りが揺らぐ。この国で紡いで来た歴史を自ら否定することになる。


 ぐぅと腹がなった。

 カーティスに与えられる食事は微々たるもので、彼の今までの生活から考えれば想像もできないほど質素なものだ。

 味のしない、硬いパンを食べたのは初めてのこと。

 ろくに料理されていない野菜を食べたのも、どんな獣かもわからない肉を食べたこともない。

 いらない料理ならば容赦なく残し、時にはお抱えの料理人に文句をつけて首にすらしたことのあるカーティスにとっては、その食事は到底足りるものではない。

 何よりもその冷えた食事が舌に触れ、喉を通る感触が、自分が今どんな惨めな状況にいるのかを容赦なく思い知らせてくれる。

 この村は誰もカーティスを敬わず、愛さず、従わない。

 食事を届けにくる兵士も、カーティスのことをまるで忌々しい汚物を見るかのように蔑んでいる。中には蹴ろうとしたものすらいたが、一緒にいたもう一人が止めてくれたので事なきを得た。

 王家は、アルテウルは愛されているものだと思っていた。

 だからこそ彼等は王家に道を譲り、我が儘を聞いて、付き従うのだと、そう教えられていた。

 しかし今ここにきて、カーティスはある一つの可能性を抱き始めている。

 ひょっとして王家と言うのは、誰からも愛されていないのではないかと。


 ――それは今よりもっと子供の頃に感じていた不安と同じもので――。


「カーティス様」


 扉が開いて、誰かの声がする。

 カーティスは急なことに身を竦めて、頭の中で渦巻いていた暗い思考を打ち消した。

 顔を上げると、そこにいたのはあの人造兵、ルクスだった。


「人造兵か」

「ルクスです」


 彼は何かを持って近付いてくると、格子の隙間からカーティスに差し出す。

 それはまだ温かいスープと、カーティスが食べたものよりは幾らか上等なパンだった。


「……お前……」


「残り物ですけど、エルマに無理を言ってもらってきました。ちょっと冷めちゃってますが」

 カーティスはそれを奪うように取って、急いで口に運ぶ。もし目の前の少年の気が変わって取り返されてはたまらない。そんなことを思うぐらいに、カーティスの心は痛んでいた。

 こんな下品に食事をしたのは初めてのことだ。

 一斉に口に放り込み、味わう時間も惜しいほどに飲み込んでいく。全てを食べ終えてから、汚れたコップで水を飲んでようやく、カーティスは一息ついた。


「僕に恩を売るのか?」

「そう言うつもりはありませんよ。ただ、カーティス様はこんな扱いをされるようなことをしていない。そう思っただけです」

「そう思うなら僕をここから出せ」

「無理ですよ。僕も武器を取られてるし、今だって建物の外は見張られてるんですから」

「役に立たない人造兵め」


 そう言って顔を上げる。

 格子越しにしゃがみ込む少年の顔を睨みつけて、カーティスは息を呑んだ。

 彩色の瞳が、こちらを見ている。

 見る角度によって色を変える光彩が揺れるその意味を、カーティスは知っていた。

 少年は何も言わず、口元には困った笑みを浮かべるだけ。

 その整った顔が、困ったように形を変える眉が、悲しげに自分を見る瞳がカーティスの心をさざめかせる。


「……あいつらは僕に怒ってた。僕達王族のことが嫌いらしい、僕が直接何かをしたわけじゃないのに」


 カーティスはすぐにその感情を理解した。

 これは多分、罪悪感と言うものだ。


「僕はお前を嫌な名前で呼んで見下した。お前は今、僕に復讐できる立場にいる。……何でそれをしない?」


 例えば、この少年が周りの獣人に頼んで恨みを晴らしたいとでも言えば、カーティスを多少いたぶり留飲を下げることもできるはずだ。

 人造兵と呼ばれることに、見下されることに心が痛むのなら彼はそうすべきだろう。


「たかが人造兵だと嘲った。でも今は立場が逆転してる、なのにどうして僕を……!」

「慣れてますから」


 たった一言、ルクスはそう言った。

 静かなその言葉はカーティスにとって大きな衝撃となった。

 少し前ならば、カーティスはそれに何の感情も抱かなかっただろう。当たり前のことだと、そう処理した話だ。

 だけど今は違う。カーティスは今、苦境に立たされている。彼が今まで生きてきた価値観からすれば、この状況は死の次ぐらいには苦しいのではないかとすら思っていた。

 そしてその上で、初めて目の前の人造兵の表情を見てしまった。彼が悲しい顔をしたことで、同じように傷つく心があることを理解してしまった。


「でも、できれば僕を人造兵と呼ぶのはやめてほしいです。僕は別にいいんですけど――彼等にも、名前があったので」


 恐らくは、もうこの世界の何処にもいない誰かのことを語っているのだろう。

 カーティスにとっては関係のない、路傍の石にも満たないような存在。

 だというのに何故か、それを完全に無視することができなかった。

 空になったスープのお椀をルクスに付き返す。


「寝る」


 そう言って背を向けて、カーティスはその場に横になった。

 地面が近くなったことで、土の匂いが妙に鼻につく。


「おやすみなさい」


 あくまでも穏やかにそう言って、ルクスはそこから出ていった。

 扉が閉まる音を聞いてから眠りにつくまで、カーティスは何故だか涙が止まらなかった。

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