5.
「伯爵様、わたくしとも踊っていただけません?」
ついさっき十五人目のパートナーの手を離したばかりのエセルは、頬を引きつらせた。この盛況ぶりは一体何なのか。本国にいたときも女性からよく誘いを受けることはあったが、全員が全員、パーティー後の個人的なつき合いをほのめかすとなると異常だ。それに女性たちは皆、エセルが自分に好意を抱いていると確信しているようなフシがある。
熱い視線からやや目を逸らしつつ十六人目と踊っていると、ロゼット・ラヴァグルートの姿を見つけた。ロゼットも、うら若い淑女と踊っている。
一見した限り、ダンスは完璧とはいい難いが充分世間で通じるレベルだ。どこまでも生意気な子供だ。
ふと、視線に気づいたロゼットがこちらに顔を向けてきた。その瞬間、新緑の目が悪意をたたえて光ったのを、エセルは見逃さなかった。
ロゼットはエセルから目を離さず、一緒に踊っている淑女に何事かささやいた。ささやかれた方は、わずかに頬を赤らめて、エセルの方をふり向く。
「……」
貴様か。
貴様の仕業か。
「伯爵様、怖い顔をなされてどうかなされましたの?」
「いえ、なんでもありません」
エセルは、内心とは裏腹の穏やかな笑みをパートナーに返した。
あまい薔薇の香りが心地いい。ロッツは目を閉じて、それを心ゆくまでたんのうした。初夏の中庭には薔薇の花が咲き誇り、耽美な世界を作りだしていた。
なめらかな薔薇の花びらの感触を静かに楽しんでいると、荒々しい足音が聞こえた。ロッツは笑う。来たか。
「ロゼット・ラヴァグルート! どういうつもりだ!」
ほとんど感情を表すことのない顔が怒りでゆがんでいるのを見て、ロッツは満足した。
「やあ、伯爵。この薔薇の園を利用するんだったら、向こうのほうがいいよ。このへんはもう先客がいるから」
「貴様!」
エセルは悠然と腰を下ろしているロッツに詰め寄った。
すると、ロッツは思いもよらない行動にでた。抱きついたのだ。
「――……何のつもりだ」
「あれ、やっぱり駄目か。僕みたいに凹凸のない体じゃ」
残念だなー、とロッツは抱きついたまま、ふとまじめな顔つきになった。
「……まさかとは思うけど、女より男がいいとかいわないよね」
「殺すぞ」
本気の目だった。
そこに、なんとも間の悪いことに新たなカップルがやってきた。カップルは抱き合った青年と少年を見て石のように固まり、青年が伯爵様であることと、少年がその護衛であることに気づくと貝のように口を閉じて沈黙した。
「……………」
「……………」
双方とも、固まった。
「……ご、ごきげんよう」
現実に耐えかねたカップルはそれだけいうと、そそくさと恋人の密会の場でもある薔薇園を後にした。
「貴様っ――」
今すぐ殺してやるっ、という言葉は、ロッツの手によって塞がれた。
「静かにしようよ。これ以上騒いで、人目を集めるとまずい」
エセルは呪い殺しそうな目でロッツをにらみ、声を喉に留めた。かすかな衣擦れの音や、熱い吐息が沈黙を埋める。エセルはわずかに眉をよせてロッツから離れ、腰を下ろした。
「墓の前だっていうのに、みんな不謹慎だなあ」
「墓?」
「そう、これ。初代国王の愛娘の墓。最初に『いばらの冠』をかぶせられた人」
ロッツはもたれかかっている大理石の台を指差した。
「先祖代々の墓が他にあるだろう。なんでこんなところにあるんだ?」
「王子様が来るのを待ってるんだよ。君みたいなかっこいい王子様があらわれて、目覚めさせてくれるのをね」
説明するのも馬鹿馬鹿しい、という口調だった。
「魔女に呪いをかけられて、十六歳で眠りについたお姫様の話を知ってる?」
「最後には王子のキスで目覚めるという童話のことか?」
「そう。『いばらの冠』をかぶせられた哀れなお姫様は、その童話のお姫様と自分を重ね合わせたんだ。いつか自分にも王子様が現れて、永遠の眠りから目覚めさせてくれるって考えたわけ。
よくもまあ、死に際にそんな希望が抱けるものだよね。だいたい、死んだら生き返るわけがない。ただ土に返っていくだけだ」
ロッツはふたたびまぶたを閉じ、薔薇の匂いを吸いこんだ。
ここに植えられた薔薇は、死んだ王女への手向けの花でもある。淡い桃色の薔薇にうずもれ、やわらかな陽光をいっぱいに浴びて、王女は永遠に眠るのだ。
「じつにかわいらしい考えだと思うが? お前のその夢も希望もない考えよりは、ずっと女らしくて好感が持てる」
「じゃあ伯爵、墓の中の腐敗死体にキスしてあげたら? せめてもの慰めにさ」
「謹んでご辞退申しあげる。俺に王子なんて大役は務まらない」
「これは意外。伯爵がそんなに謙虚なお人柄だとは思わなかったよ」
毒気たっぷりに皮肉ると、エセルはくすり、と忍び笑いをもらした。
「何を笑っているの? 気持ち悪いな」
「いや、お前のその批判的な態度は劣等感の裏返しなんだと思っただけさ」
ロッツの頬に朱がさす。
「図星か」
「誰が!」
「むきになるということは、そうなんだろう? お前は孤独だ。死んでも墓を建ててくれるような身内も、友人もいない。誰かが助けてくれる望みもなく、たった一人で死んでいくしかない。だから、そこの王女のように王子が現れることを夢見ることもできない。惨めで、孤独で、蔑まれるしかないのさ」
「違う! そんなものいらない!」
叫ぶロッツを、エセルは嘲笑する。
「否定したければ否定すればいいさ。お前がいなくなったところで、誰一人として悲しまないし、気づきもしないだろうな。そもそも、存在すら知られていないんじゃないか? いつも槍だけを友にして、暗い茂みに隠れ、こそこそと這いつくばって生きているんだから」
「黙れ!」
小気味のいい音が庭園にひびいた。
「……ただの平民に落ちた王族が、貴族に手をあげるとはいい度胸だ」
伯爵は立ちあがって、無礼者の腹を蹴った。手をあげた自分にとまどっていたロッツは不意をつかれ、まともに蹴りを食らった。
「あの時、『いばらの冠』のおかげで殺されなかったことをありがたく思うんだな」
ロッツは腹を押さえてうずくまったまま、エセルの凍てついた青い目をにらみつけた。
だが、エセルは地面に這いつくばるロッツをあざけるように見下し、大広間へと戻っていった。
「くっそ……殴っとけばよかった」
手元の雑草を握りしめた。その手に、大広間からもれた光が投げかけられる。
流麗な音楽、淑女たちの華やかな笑い声、楽しげで穏やかなさざめき声。そのどれもが、決して手に届かないところにある。
「……どうして……」
腹を押さえる手で臙脂の服をきつくつかむ。
「行かなきゃ」
歯を食いしばって立ちあがると、ロッツは植木に隠してあった槍と荷物を取りだした。
結局、誰にも母親が生きているということを知らせることはできなかったが、問題はないだろう。伯爵の護衛は三人いるのだし、母親の命を手土産にすれば護衛をさぼった埋め合わせになる。
ロッツは暗い城内を抜け、楡の木へと歩いた。




