第二話 任せてください
翌朝、売買デキルは八時ちょうどに出勤してきた。
匠はすでに四時間働いていた。
「おはようございます! 精巧さん、今日からよろしくお願いします!」
デキルは迷いなく匠に近づいてきた。手を差し出している。握手を求めている。この油まみれの工場で、ジャケット姿で、笑顔で。
匠は手を見た。自分の手を見た。機械油で黒くなっている。それを確認してからデキルの手を見た。
「汚れるぞ」
「全然大丈夫です!」
デキルは構わず匠の手を握った。力強く、二回振った。匠は何も言わなかった。
午前中、デキルは工場をうろうろしていた。
機械を眺め、壁に貼られた図面を眺め、棚に並んだサンプル品を眺めた。匠はそれを横目で見ながら作業を続けた。触るなよ、と思った。案の定デキルは棚のサンプルに手を伸ばした。
「これがゼロアタッチ工法ですか?」
「触るな」
デキルはすぐに手を引いた。
「すみません。……どんな技術なんですか?」
匠は舌打ちをこらえた。説明する気はなかった。しかし呑気に「仲良くしてね」と朝に釘を刺されていた。あの人の言葉は少ないが、なぜか無視できない。
「異素材を歪みゼロで接合する。それだけだ」
「それだけ、ってすごくないですか? 今までできなかったんですよね?」
「当たり前だ」
「どこに売れますか?」
匠は手を止めた。初めてデキルの顔をまともに見た。
「……自動車、航空、医療。どこにでも売れる。だから誰かが気づけば引き合いが来る」
「誰かが気づけば、ですか」
デキルは繰り返した。咎めるでもなく、馬鹿にするでもなく、ただ繰り返した。それが匠には妙に引っかかった。
昼休み、デキルは呑気と並んでコンビニ飯を食っていた。匠は一人、機械の前でパンをかじった。いつものことだ。
デキルの声が聞こえてきた。
「社長、取引先のリストってありますか?」
「んー、昔のならあるよ。ほとんど付き合いなくなっちゃったけど」
「もらえますか。あと近隣の製造業で困ってそうなところ、心当たりあります?」
「んー、どうだろ」
「ありがとうございます、当たってみます。任せてください!」
匠はパンを咀嚼しながら聞いていた。
リストをもらって何をする気だ。飛び込みでも行くつもりか。この技術の何がわかる。説明もまともにできないくせに。
技術さえあれば、いつか必ず届く。
営業など、いらない。
匠はそう思った。そう思おうとした。
なのになぜか、デキルの「任せてください」という声が、午後になっても頭から消えなかった。




