第三話 電話が鳴った
デキルが入社して三日目の朝、工場に来なかった。
匠は何も言わなかった。呑気も何も言わなかった。ただ工場はいつもより静かで、匠は自分がその静けさに少し慣れていたことに気づいて、不快になった。
四日目も来なかった。
五日目も。
六日目の朝、デキルは八時ちょうどに現れた。いつものジャケット、いつもの笑顔。しかし靴だけが違った。踵が少し減っていた。
「どこ行ってた」
匠は振り返らずに言った。
「営業です」
「どこに」
「近隣の製造業、二十三件回りました」
匠は手を止めた。三日で二十三件。それがどういうことか、計算できないほど馬鹿ではない。
「技術もわかってないやつが何を説明した」
「困ってることを聞いてきました」
匠は振り返った。
「……何?」
「技術の説明はしてません。ただ、今どんなことで困ってるか、それだけ聞いてきました」
デキルは鞄からノートを取り出した。びっしりと書き込まれた文字。会社名、担当者名、課題の内容、温度感。字は綺麗ではなかったが、情報は整理されていた。
匠は内心で吐き捨てた。これだから素人は、と。しかしノートを見て、その言葉を飲み込んだ。
その日の午後二時十四分。
工場の電話が鳴った。
匠は一瞬、体が固まった。この電話が最後に鳴ったのはいつだったか、思い出せなかった。
デキルが素早く取った。
「はい、お電話ありがとうございます。精和技研、売買でございます」
匠は作業を続けながら耳をそばだてた。
「はい、はい。異素材の接合ですね。どのような素材でしょうか。……なるほど、アルミとCFRPですね。はい、それでしたらご提案できるものがあります。ぜひ一度」
電話が終わった。
デキルが振り返った。顔に喜色はなかった。ただ静かに言った。
「精巧さん、来週、サンプル持って一緒に来てもらえますか」
匠は答えなかった。
アルミとCFRP。航空部品か、自動車の軽量化か。ゼロアタッチ工法が刺さる、教科書みたいな案件だった。
なぜこいつが、三日で、これを掘り当てた。
匠は旋盤に向き直った。背中で答えた。
「……サンプルは作る」
それだけ言った。それだけで十分だった。
デキルは「ありがとうございます」とだけ言って、またノートを開いた。
工場にいつもの機械音が戻った。でも今日は少しだけ、音が違って聞こえた気がした。匠はそれを認めなかった。認めたくなかった。
ただ、手だけが、いつもより速く動いていた。




