魔王の誤算と周辺国
「ば、馬鹿な……私の幹部たちが、ただの人間どもの一撃で氷像に変えられただと……!?」
先刻までの傲慢さはどこへやら、空中に浮かぶ魔王――序列第四位『アスタロト』は、眼下で起きている信じがたい光景に顔を歪ませた。
無理もない。彼が従えていた三体の幹部は、それぞれが単独で小国を滅ぼせるほどの力を持っていたのだ。
それが、血まみれだったはずの【英雄クラス】の女がただ腕を振るっただけで、手も足も出ずに凍りついた。
さらに恐ろしいのは、彼女らから噴き上がる異常なまでの魔力と闘気だ。
「貴様ら……一体何を――」
アスタロトが言葉を発し終えるより早く。
「遅えよ、魔王さま」
ドゴォォォォォンッ!!
アスタロトの真横の空間が爆発した。
いや、それは爆発ではない。限界突破の力を得たヴァルガスの『拳圧』が空気を圧縮し、衝撃波となってアスタロトの左半身を抉り取ったのだ。 「がはぁッ!?」 バランスを崩し、空から墜落していく魔王。
その落下地点には、優雅に扇を広げたエレインが待ち構えていた。
「ご機嫌よう、魔王。……潰れなさい」
エレインが扇を振り下ろした瞬間、アスタロトの肉体にかかる重力が『数万倍』に跳ね上がる。
ただの重力魔法ではない。
俺との絆によって解放された彼女の魔法は、空間そのものを『圧縮』する領域へと至っていた。
「グアアアアアアアァァッ!!」 大地にめり込み、全身の骨がミシミシと悲鳴を上げるアスタロト。
彼が連れてきた五万の魔物軍も、リリアが放つ絶対零度の冷気と、強化された兵士たちの反撃の前に、あっという間に数を減らし、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
「あ、あり得ん……! この私が、人間ごときに……! おのれェェェッ!!」
アスタロトは最後の力を振り絞り、口径十メートルを超える極大の破滅魔法を放とうとした。
だが、それより早く。
「私のアインに手を出した罪、万死に値するわ」
リリアが、アスタロトの頭上から巨大な氷の鎌を振り下ろしていた。
神話の領域に達した一撃は、魔王の強固な結界も、彼が放とうとした極大魔法も、何一つ抵抗を許さずに一刀両断する。
「……ッ!! まさか、ただの人間が、我を超える存在に……!」
それが、魔王序列第四位アスタロトの最期の言葉だった。
氷の鎌は彼の肉体を完全に両断し、絶対零度の冷気がその魂ごと霧散させる。
たった数分。 絶体絶命の窮地から一転、俺たちは魔王軍の主力を文字通り『一方的に蹂躙』してしまったのだ。
***
魔王アスタロト討伐の報せは、瞬く間に大陸中を駆け巡った。
数日後の大公執務室。俺の机の上には、周辺の国々から届いた書状の山が築かれていた。
「アイン様。南方のファルムス王国から『早急な軍事同盟を』との親書です。
東の獣人連邦からも『不可侵条約』の打診が。
「さらに……」
クオンが次々と書状を読み上げる。
「さらに?」
「周辺十数カ国の貴族や王族から、『ぜひ我が家の娘を、大公アイン様の側室に』という縁談の申し入れが殺到しております」
「……は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
「無理もありませんわ、アイン様」
エレインが扇で口元を隠しながらクスリと笑う。
「魔王を討伐し、今や世界最大の軍事拠点と認識されたリリアス公国。各国の思惑は一つです。何としてでも貴方に恩を売り、血縁を結んで『おこぼれ』に与りたいのですよ」
「だが俺にはリリアがいる。側室なんて……」
「貴族社会において、強力な君主が複数の妻を娶るのは『当たり前』の義務ですわ。むしろ、優秀な血を多く残さないことの方が罪とされます。まあ、私は歓迎しますけれどね?」
エレインが艶然と微笑みながら、そっと俺の肩に手を置く。
バキィィィンッ! 執務室のドアが、根元から凍りついて砕け散った。
「……誰が、誰の血を残すって?」
そこには、地獄の底から這い出してきたような吹雪を纏うリリアが立っていた。
手には、先ほど魔王を両断した氷の鎌が握られている。
「あ、いや、リリア! これはただの打診であって、俺は全て断るつもりで……!」
「当たり前!私の目の黒いうちは、側室なんて一人も認めないわ。それに……」
リリアはズカズカと歩み寄り、エレインの手を払いのけて俺の腕にギュッと抱きついた。
「アインの血を残すなら、私がいっぱい産むからいいの!」
顔を真っ赤にして叫ぶ最愛の妻に、俺は柄にもなくドキリとしてしまう。
「と、とりあえず! 今は国の内政と軍の再編が最優先だ!」 俺は必死に話題を逸らし、用意していた辞令を取り出した。
「ヴァルガスには『リリアス公国軍・総司令官』を。エレインには『筆頭宮廷魔導師』を任せる。クオンは『近衛騎士団長兼、諜報局長』。ゴルドには引き続き商会を通じた『財務長官』を頼みたい」
仲間たちに正式な役職を与えることで、公国としての骨組みはさらに強固なものとなる。
「で、私は?」
リリアが期待に満ちた瞳で上目遣いをしてくる。
「リリアは……俺の、最高で最強の『正妃』だろ? だから、これからもずっと俺の隣にいてくれ」
「っ……もう、アインはずるいわ……」
リリアは鎌を消し去り、嬉しそうに俺の胸に顔を埋めた。
***
その頃、光の届かない魔界の最奥。 円卓を囲むように、数体の底知れない魔力を持つ影が集っていた。
「……アスタロトが討たれたか」
最も上座に座る巨大な漆黒の影――魔王の筆頭格が低く呟く。
「愚かな。小手調べに送ったとはいえ、まさかただの人間に後れを取るとはな」
「いや、報告によれば、あの辺境の領地の男……アインとか言ったか。奴の力は、すでに我々『魔王』と同列の領域に足を踏み入れているらしい」
円卓の空気が、ピリッと張り詰める。
「自らの配下を限界まで強化し、神話を現実に変える力……。放っておけば、いずれ我ら魔族の悲願すらも脅かす存在になり得る」
「ならば、どうする? 我らが束になって、あの公国を潰すか?」
筆頭の影は、静かに首を横に振った。
「いや……あの力を、我らの悲願である『世界の書き換え』に利用するのだ。まずは、その男の力量を見定めよう……」
大陸の覇権を巡る、俺たちリリアス公国と魔族との真の戦いが、今まさに始まろうとしていた。




