神話級の居候
巨大な氷の処刑鎌を振り下ろそうとするリリアを、俺は文字通り身を挺して必死に止めていた。
「待ってくれリリア! この子を殺したら、地下迷宮の魔力バランスが崩れて領地が吹き飛ぶかもしれない!」
「……チッ」
「今、舌打ちした!? 可愛い顔してとんでもなく恐ろしい音を出したよ、俺の妻!」
俺の必死の説得(と、領地崩壊の危機という言い訳)により、リリアは渋々ながら氷の鎌を霧散させた。
だが、そのサファイアの瞳は、俺の背後に隠れている十歳ほどの幼女――【神話級】の白星獣シリウスを、親の仇のように鋭く睨みつけている。
***
地下迷宮から地上へ戻り、俺たちは大公執務室で緊急の会議を開いていた。
「あむあむ……ん〜っ! 千年ぶりのゴハン、すっごく美味しい! お兄さん、この甘いサクサクしたの、もう一枚ちょうだい!」
「ああ、クッキーだな。ほら、ゆっくり食えよ」
ソファーにちょこんと座り、両手でクッキーを持ちながら幸せそうに頬張るシリウス。
その愛らしい姿はどこからどう見てもただの迷子だが、彼女を囲むように立つ『拳皇』ヴァルガスと『絶華』エレインの顔には、滝のような冷や汗が流れていた。
「……アイン様。貴方、自分がどれほどとんでもないものを拾ってきたか、理解しておいでですか?」
エレインが、微かに震える声で尋ねてくる。
「いや、千年前から生きてるユニークモンスターだってことは分かるが……」
「認識が甘すぎますわ。いいですか? この世界における『魔物』の危険度は、大きく五つの階梯に分けられています」
エレインは扇をピシャリと閉じ、俺と、未だに腕組みをして不機嫌そうなリリアに向けて説明を始めた。
「まず、ゴブリンや通常のミノタウロスなど、一般的な兵士でも対処可能な層が【一般級】
次に、熟練の騎士や中堅冒険者のパーティーが命懸けで挑んでようやく勝てるレベルが【上位級】
そして、リリア様のような人族の【英雄クラス】が数名がかりでようやく討伐できる規格外の魔物が【特級】です。
……歴史上、人類が実際に確認し、討伐記録が残っている魔物は、この【特級】までですわ」
ここまでは、俺もギルドの資料などで読んだことがある。問題はその先だ。
「ここからが次元の違う話になる。その上が、単体で国家を滅ぼす力を持つ【天災級】だ」
ヴァルガスが腕を組み、渋い顔で引き継いだ。
「魔物は元々、人間に比べて強靭な肉体と魔力を持っている。だから、魔物側の【天災級】を討伐するには、俺やエレインのような『人族の天災クラス』が、最低でも【十人】は必要だと言われているんだ」
「じゅ、十人……!?」
俺は絶句した。 世界にたった三名しか存在しないと言われる人族の最高到達点。それが十人揃って、ようやく討伐できるレベル。それが魔物における【天災級】なのだ。
「しかし、あくまでそれは伝承の上での推測にすぎませんわ」
エレインが言葉を継ぐ。
「魔物における【天災級】、そしてこのシリウスのような【神話級】は、神話やおとぎ話の伝承で語られるだけの存在。世界に実際に現れたという記録は、有史以来一切存在しないのです。つまり、目の前のこの子は、人類史上初めて『実在が確認された神話の化け物』ということになります」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に、心の奥底に封印していた『ある記憶』がフラッシュバックした。
――かつて、俺を一度「死」の淵へと追いやった、あの圧倒的な絶望。
ギルドの討伐記録にも載っていない、暗闇の中で蠢いていた巨大で冒涜的な影。
誰も信じないだろうが、あの時の化け物は、間違いなく伝承にしか存在しないはずの【神話級】に匹敵する存在だったと、今の俺なら確信できる。
いずれ俺が、あの過去の因縁を精算しなければならない時が来るかもしれない。
その時、俺のステータス改竄だけでは、あの化け物には届かない可能性がある。
(だが……同じ【神話級】であるシリウスがいてくれれば、あの化け物に対抗できる強力な手段になるのではないか?)
「えへへ〜、そんなに褒められると照れるなぁ」
「褒めてねえよ! なんでそんな人類史の脅威が、お兄さんお兄さんって懐いてんだよ!」
ヴァルガスがツッコミを入れる中、シリウスは全く意に介さず、俺の隣にピトッとくっついてきた。
「だって、お兄さんはワタシを救ってくれたもん。ワタシの命はお兄さんのモノだから、これからはこの街をワタシが守ってあげる!」
シリウスの言葉に、ヴァルガスとエレインがパッと顔を輝かせた。
「ほ、本当か!? 神話級の加護があれば、あのアルカディアすら凌ぐ絶対防衛拠点が完成するぞ!」
「ちょっと待って」
浮き足立つ室内の空気を、リリアの絶対零度の声が一瞬で凍らせた。 彼女は机の上に、白紙の羊皮紙と羽ペンを叩きつける。
「強さは認めるわ。でも、アインに色目を使うメスを、この領地に野放しにしておくわけにはいかない。この街に住みたいなら、私が定めた『特別法案』に署名しなさい」
「とくべつ、ほうあん?」
シリウスが首を傾げる中、リリアは凄まじい筆圧で条文を書き殴り始めた。
『第一条:シリウスを名乗る神話級モンスターは、大公アインの所有物ではなく、リリアス公国の客人として滞在を許可する』
『第二条:大公アインへの過度な接触(ハグ、膝枕、一緒にお風呂に入る等の行為)は、国家反逆罪に準ずるものとし、発覚次第、一日三回のおやつを永久に没収する』
「お、おやつ没収!? そんなの酷いよお姉ちゃん! お兄さんにくっつきたいもん!」
「ダメよ! アインは私の夫なんだから! 命の恩人への感謝なら、言葉と労働で示しなさい!」
「うぅ〜……お兄さんを独り占めするなんて、お姉ちゃんのエッチ! 独占欲強すぎ!」
千年前の神話級モンスターと、英雄クラスの最愛の妻。
次元を超越した二人の女性が、俺の隣の席を巡ってバチバチと火花を散らしている。
「……なあエレイン。神話級の怒りを買ったら、国が滅びるんじゃなかったか?」
「ええ……でも、リリア様の『愛の重さ』は、どうやら神話の壁すらも越えるみたいですわね……」
エレインとヴァルガスが、遠い目をしながら呟いた。
結局、おやつ没収の恐怖に屈したシリウスが涙目で条文にサインをしたことで、彼女の処遇は『公国専属の古代魔法研究員 兼 特別防衛衛士』として落ち着くことになった。
過去の因縁を打ち払うためにも、彼女の存在は必要不可欠だ。 こうしてリリアス公国には、人間の常識を覆す【神話級】の幼女という、とんでもない規格外の居候が加わったのである。




