神話の幼女
リリアス公国の建国宣言から数日。
俺たちは、急速な人口増加と施設の拡充に追われていた。特に急務だったのが、新たに設置する巨大な『魔法研究施設』と『大修練場』の基礎工事である。
「アイン様、大変です! 予定地の地下を掘削していた作業員たちが、妙な空洞を見つけまして……」
現場監督として汗を流していたゴルドが、血相を変えて執務室へ駆け込んできた。
「空洞? もしかして、地下水脈でも掘り当てたのか?」
「いえ、それが……巨大な『扉』です。人工的な石造りの、途方もなく古くて、禍々しい魔力を放つ扉が埋まっておりました」
俺とリリアは顔を見合わせ、すぐさま現場へと急行した。
掘り起こされた土の底には、確かに青銅色の巨大な扉が存在していた。表面にはびっしりと古代文字が刻まれ、周囲の空気を歪ませるほどの強烈な結界が張られている。
「……これ、『隠しダンジョン』の入り口ね。しかも、相当に古い時代のものよ」
リリアが慎重に扉の表面を指先でなぞる。
「ダンジョンが領地の真下にあるのは不味いな。万が一、強力な魔物が地上に溢れ出たら、開拓どころじゃなくなる」
俺たちは『拳皇』ヴァルガスと『絶華』エレインを護衛に呼び、精鋭パーティーで扉の奥へと足を踏み入れた。
地下は迷宮というより、広大な一つの『空間』だった。
天井には発光する鉱石が星空のように輝き、青々とした植物が生い茂っている。だが、その美しい光景とは裏腹に、漂う魔力の密度は異常だった。
「おいおい……冗談だろ。空気が重すぎて、息をするだけで肺が潰れそうだぞ」
「……ええ。私の魔法障壁が、ただの『余波』だけで軋んでいますわ」
【天災クラス】であるヴァルガスとエレインが、全身から冷や汗を流して足を止める。
彼らがここまで露骨に警戒する存在など、頂点である【神話級】の存在以外にあり得ない。
そして、迷宮の最深部――巨大な水晶の台座の上で、俺たちは『それ』と遭遇した。
「……ガハッ……アァァ……」
そこにいたのは、体長十メートルを超える純白の獣だった。
狼と竜を掛け合わせたような流麗なフォルム。背中には六枚の光り輝く翼。
しかし、その美しい獣は、全身から赤黒い瘴気を撒き散らしながら、苦しげに身悶えしていた。
「なっ……あれは、まさか『白星獣』!? 千年以上前に消滅したとされる神話に語られるユニークモンスターですわ!」
エレインが震える声で叫ぶ。
「侵入者カ……去レ……! 我ハ、モウ抑エキレン……! この地ゴト、全テヲ灰ニシテシマウ前ニ……ッ!!」
白星獣が血を吐くように吠えた瞬間、空間そのものがビキビキとひび割れた。
リリアすら顔を青ざめさせる、次元の違う魔力圧。もしこの獣が限界を迎えて自爆すれば、地上にある俺たちの街は跡形もなく消え去る。
(マズい、どうにかしないと……!)
俺は咄嗟に空中にステータス画面を呼び出し、白星獣のデータを『閲覧』した。
【対象:白星獣】
・状態異常:『神罰の呪縛(永続的魔力暴走・極大苦痛)』
「……なんだこのステータスは。魔力脈が千年間ずっと暴走し続けて、自分の体を内側から焼き焦がしてるじゃないか」
俺は息を呑んだ。この獣は千年間、たった一匹でこの地下に封印され、終わらない呪いの痛みに耐え続けていたのだ。
そしてその呪いの中心核は、獣の胸元に深々と突き刺さっている黒い杭のような魔力結晶だった。
「ヴァルガス、エレイン! 俺があの獣に近づくまでの間、少しだけ障壁で道を作ってくれ!」
「無茶言うな! だが、やるしかねえか!」
二人が決死の覚悟で魔法障壁を展開し、吹き荒れる瘴気を一瞬だけ左右に割る。
俺はスキルを使わず、以前に付与した『金剛不壊』の肉体頼みで、真っ直ぐに白星獣へと走り出した。
「アイン! ダメよ、そんな生身で突っ込んだら……!」
リリアの悲痛な声が背中から聞こえるが、止まるわけにはいかない。
「来ルナ……! 人間ヨ、剣ヲ抜ケ……! 我ヲ、殺セェェッ!!」
白星獣が絶望に満ちた叫びを上げる。
近づくにつれ、俺の皮膚が焼け焦げ、激痛が全身を走る。だが、俺は武器など抜かない。
獣の巨大な胸元へと飛び込み、呪いの中心である黒い杭に、素手でガッチリと食らいついた。
「ガアアアアッ!?」
「ぐおおおおっ……!!」
手のひらが焼け爛れる。だが、俺は歯を食いしばり、痛みに悶える獣の巨大な首筋に額を押し当てた。
「痛かったよな……。千年間も一人で、よく耐えた……!」
「……ッ!?」
白星獣の動きが、ピタリと止まった。
俺は獣の目に宿る怯えを真っ直ぐに見つめ返し、全身の力を両腕に込める。
「もう、終わらせてやるからなァァァッ!!」
バキィィィィンッ!!!
俺の腕力によって呪いの黒杭が粉々に砕け散り、赤黒い瘴気が一瞬にして浄化された。
同時に、眩い光の粒子が迷宮全体に降り注ぐ。俺は全身の火傷と疲労で膝から崩れ落ち、荒い息を吐いた。
「アインッ!!」
リリアが涙目で駆け寄り、すぐさま極大の治癒魔法をかけてくれる。
ふと前を見ると、巨大な獣の姿は跡形もなく消え去っていた。
「……あの獣は、消えちゃったのか?」
「ううん。ここにいるよ、お兄さん」
光の粒子が収束した場所から、鈴を転がすような可愛らしい声が響いた。
見ると、そこには真っ白な髪をツインテールにし、少しブカブカの貫頭衣を着た、十歳くらいの幼女がちょこんと座っていたのだ。
その瞳は、深い星空のような色をしている。
「……えっ? 誰だ?」
「ワタシだよ。お兄さんが『呪い』を砕いてくれたから、魔力が安定して『人間の姿』になれたの。千年ぶりの外の空気は美味しいねぇ」
幼女――白星獣は、トコトコと俺の前に歩み寄ると、火傷が癒えかけた俺の手に、そっと自分の小さな両手を添えた。
「千年前、ワタシを封印した人間たちは恐れて『剣』を向けた。誰も、ワタシが苦しんでいることなんて見てくれなかった」
彼女の星空のような瞳に、ポロポロと熱い雫が浮かぶ。
「でも、お兄さんは違った。ワタシの呪いを真っ直ぐに見て、自分の体が焼けるのも構わずに、素手で抱きしめて痛みを消してくれた」
神話級の獣が、その圧倒的な力を完全に引っ込め、俺の前で子どものように泣きじゃくった。
命を懸けて自分に寄り添い、「救ってくれた」という事実が、千年孤独だった彼女の心を完全に撃ち抜いてしまったらしい。
「決めた。ワタシ、お兄さんのモノになる。これからはワタシが、お兄さんのためだけにこの力を使うよ」
幼女は嬉しそうに俺の首に抱きつき、スリスリと頬を擦り寄せてくる。
「いや、俺はただ放っておけなくて……」
その瞬間。
ピキィィィィンッ。
地下迷宮の空気が、白星獣の放っていた瘴気よりも遥かに恐ろしい『凍てつく殺意』へと変貌した。
振り返らなくてもわかる。愛する妻だ。
「……アイン? その、千年前から生きてる合法ロリババアは……誰かしら?」
「ヒィッ! なにこのお姉ちゃん、ワタシより魔力密度がヤバいんだけど!?」
「リ、リリア、落ち着いてくれ! こいつはただのモンスターで……!」
「いいえ。女の姿をして私の夫に抱きついた時点で、第一条違反よ。極刑よ」
リリアの手から、巨大な氷の処刑鎌が生成される。
「ひえええっ! ご主人様助けてぇぇっ!」
【神話級】の幼女が涙目で俺の背後に隠れ、俺は迫り来る【英雄クラス】の妻の殺気に冷や汗を流す。
領地の地下から見つかった、千年前の規格外な居候。
リリアス公国は、今日も今日とて全く気の休まる暇がないのだった。




