二つの天災
踵を返し、数歩歩いたところで、俺は足を止めた。
背後――完全に戦意を喪失したはずの一万の軍勢の奥底から、肌を刺すような、いや、空間そのものが軋みを上げるような異常な殺気が二つ、膨れ上がったからだ。
「……前衛のゴミどもが蹴散らされるまでは静観するつもりだったが、まさかここまで一方的とはな」
「ええ。物理的な『力』と『速さ』だけであれば、間違いなく私たちに匹敵しますわ。恐ろしいことです」
モーセの十戒のごとく、同盟軍の兵士たちが恐怖に震えながら道を空ける。 そこから歩み出てきたのは、二人の人間だった。
一人は、筋骨隆々という言葉すら生ぬるい、岩山のような体躯を持つ大男。
もう一人は、豪奢なドレスを纏い、周囲の空間を陽炎のように歪ませている妖艶な女。
彼らが身につけている国章を見て、俺は小さく舌打ちをした。 軍事国家『ガルディア帝国』と、魔導国家『ルミナ公国』。
この二カ国同盟軍の真の狙いは、魔物や一万の兵士による『数の暴力』などではなかったのだ。
「俺はガルディア帝国・武術指南役にして『拳皇』のヴァルガス」
「私はルミナ公国・筆頭魔導師、『絶華』のエレインと申しますわ」
その名を聞き、俺の脳裏にこの2人の存在についての記憶が呼び起こされる。
【凡夫クラス】訓練を受けた新兵レベル(現在の落ちぶれたガイルもここだ)。
【一人前クラス】一般的な騎士や中堅冒険者レベル
【精鋭クラス】戦局の要となるレベル
【達人クラス】騎士団長レベル
【英雄クラス】国に一人いるかどうかの逸材であり、一騎当千を誇るレベル
(剣聖レオンや、俺の愛する妻リリアも、元々はこの【英雄】クラスに該当する傑物だ。ほとんどの国の最高戦力はこの階梯に留まる。)
だが、目の前の二人は違う。万の軍勢すら単騎で蹂躙し、人間としての最高到達点とされる規格外。世界でたった上位三名しか存在しないとされる第六階梯――【天災クラス】の称号を持つ化け物たちだ。
ちなみにその上には、単独で世界概念に干渉しうる伝説上の【神話クラス】という第七階梯が存在するが、実質的にはこの【天災クラス】が人間界の頂点と言っていい。
俺は即座に空中に指を走らせ、二人を対象に【書記官】のスキルを発動しようとした。彼らのステータスを弱体化させるのが最も確実だ。
【対象:ヴァルガス、エレイン】 ・
筋力、魔力ステータスを『1』に書き換え――
『エラー:対象の存在強度および魔力密度が規定値を超過。強固な生体ファイアウォールにより、外部からの直接干渉(ステータス書き換え)をレジストされました』
「……っ、やはりダメか」
俺はギリッと奥歯を噛む。 彼らのような【天災クラス】ともなれば、その身に纏う莫大な闘気や魔力そのものが、ステータス改竄に対する『防壁』として機能してしまう。
対象のステータスにアクセスして書き換える俺のスキルは、圧倒的な個の強さの力の差がある場合は弾かれてしまうのだ。
(以前に死にかけた際のように命懸けで強行すれば行えるがあまりにコスパが悪い)
直接相手を弱体化できない以上、俺自身のステータスを限界まで引き上げ、物理と魔法の真っ向勝負でねじ伏せるしかない。
「さあ、底知れぬ辺境の領主殿。私たちで楽しませてくれ」
ヴァルガスがニヤリと笑った瞬間、彼の姿がブレた。 速い。
敏捷ステータスを最大に書き換えている俺の目でも、ギリギリ追えるかどうかの踏み込み。
俺は真っ直ぐに突き出された彼の拳に、自分の拳を正面から叩きつけようとした。
「――遅い」
エレインが優雅に扇を翻した瞬間、俺の周囲の『重力』が局地的に数千倍に跳ね上がった。
「なっ……!」
泥の中に沈み込んだように、俺の動きがほんのわずかに鈍る。
敏捷の数値がいくら高くとも、空間そのものの法則を捻じ曲げられれば、その影響は免れない。
そのコンマ一秒の隙に、ヴァルガスの拳が俺の胸板にめり込んだ。
「ごふっ……!」
『金剛不壊』のスキルで強化された外殻は傷ついていない。
しかし、彼の放った拳の衝撃は、俺の肉体を透過し、内部の臓器と魔力脈を直接揺さぶった。
防護を無視する、純粋な『浸透勁』の極致。
俺は数十メートル後方に吹き飛ばされ、激しく地面を転がった。口からドロリとした血の塊がこぼれ落ちる。
「ほう? 今の一撃を食らって立ち上がるとは。見事な頑強さだ」
「ですが、あなたの戦い方はあまりに『物理』に寄りすぎていますわね。いくらステータスが異常でも、魔法的干渉への耐性がなければ、私たちの敵ではありません」
ヴァルガスとエレインが悠然と距離を詰めてくる。 後衛職が極限に『物理』のステータスを上げた程度では、【天災クラス】の異能と、内部破壊の技術を併せ持つ相手には勝てない。
なら、答えは一つだ。
俺は震える指で空中にステータス画面を引き出し、自らのデータを再び強制的に書き換えた。
【対象:アイン(自身)】
・魔力:10 → 999(上限突破)
・付与スキル:『極大魔法(万象)』『詠唱破棄』を追加。
脳内に「警告」の文字が点滅する。
ただでさえ『筋力』と『敏捷』を上限突破させている状態だ。
そこに『魔力』まで限界までいっぱいの数値を叩き込み、神話級の魔法スキルを同時起動しようすれば、俺の人間としてのキャパシティ(処理領域)は完全に崩壊する。
だが、ここで出し惜しみをして負ければ、リリアたちの居場所が奪われる。
俺の体が、眩いプラズマのような魔力光に包まれた。
「なっ……なんだその魔力量は!? 貴様、戦士ではなかったのか!?」
ヴァルガスの顔色が変わる。
「エレイン! 奴の魔法を封じ――」
「遅い」
俺は重力魔法を強引な魔力放出で粉砕し、右手を天に掲げた。
空が赤黒く染まり、巨大な魔法陣が何十重にも展開される。
【英雄クラス】の傑物である愛妻、リリアの規格外な戦い方を思い出しながら、俺は冷酷に言い放った。
「『万象・天の雷火』」
直後、平野全体を飲み込むほどの巨大な光の柱が天から降り注いだ。
「ぐおおおおおおっ!?」
「きゃあああああっ!?」
空間操作も、武術の極致も、すべてを等しく焼き尽くす圧倒的な暴力。
数秒後、光が収まったそこには、全身を黒焦げにして大地に倒れ伏す二つの【天災クラス】の姿があった。即死は免れたようだが、ピクリとも動かない。
「はぁ……はぁ……」
勝った。
そう認識した瞬間、俺の視界が急速に狭まり、全身の毛細血管から血が噴き出した。
オーバーヒート。極限のステータス改竄と並列処理に、俺の脳と肉体が耐えきれず悲鳴を上げているのだ。
「アインッ!!」
遠くから、涙声で俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。 見なくてもわかる。俺の最愛の妻だ。
「……悪い、リリア。ちょっと、夕飯には……遅れるかも……」
俺の体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、そこで完全に意識は深い闇へと沈んでいった。




