書記官の戦い方
煙を抜け、街道の先にある開けた平野に出ると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
地平線を埋め尽くすほどの軍勢。
その数、ざっと見積もっても一万以上。
掲げられている旗印から、それが隣接する二つの国家が結成した同盟軍であることは明白だった。
さらに、軍隊の前方には牙を剥き出しにした何百体もの凶悪な魔物たちが陣取っている。
そして、その巨大な軍勢の先頭――実質的な前衛のすぐ後ろで、虎の威を借る狐のように馬上でふんぞり返っている男の姿があった。
かつて俺を無能と見下し、パーティーから追放した張本人――剣士ガイルだった。
その隣には、不気味な笛を手にしたローブ姿の男がいる。彼が魔物たちを操るスキルを持っているのだろう。
「久しぶりだな、アイン。いや、今は生意気にも領主様だったか?」
ガイルが下卑た笑みを浮かべて見下ろしてくる。 俺を追放した後、彼らのパーティーはクエストで失敗を繰り返してあっという間に没落したと聞いていた。
名声も金も失い、落ちぶれ果てたはずの彼が、なぜ大軍の先頭にいるのか。
理由はすぐに察しがついた。
「ガイル……。お前、自分の借金や失墜した名声を取り戻すために、二カ国の軍上層部に俺の領地を売り飛ばしたな?」
「ふん、人聞きの悪いことを言うな! 俺はただ、彼らに『辺境に強大な力を持つ危険分子がいる』と正当な忠告をしてやっただけさ。俺がかつての仲間としてお前のスキルの『弱点』を教え、自ら道案内を買って出てやったからこそ、将軍閣下からこうして先陣を任されているんだ!」
同盟軍の正規の指揮官たちは安全な後方に控え、ガイルはあくまで「道案内役兼、捨て駒」として最前線に置かれているだけなのは明白だった。だが、愚かな彼は背後の一万の軍勢の威光を自分の力だと錯覚し、完全に有頂天になっていた。
「お前の【書記官】スキルは確かに脅威だ。だが、対象のステータスを『書き換える』には、対象を認識し、処理する時間が必要なはずだ!」
ガイルの言葉に、俺は無表情のまま沈黙する。
「図星だろう? 数体なら一瞬で書き換えられても、一万を超える軍勢と魔物の群れが同時に襲い掛かれば、お前の頭は処理しきれずにパンクする! ただの後衛職であるお前に、この圧倒的な『物量』は覆せない!」
「行けええっ! その生意気な書記官をミンチにしてやれ!」
ガイルの号令とともに、ローブの男が笛を吹き鳴らす。大地を揺るがすような怒号と共に、四方八方から槍、剣、そして魔物たちの爪牙が押し寄せてきた。
確かに、ガイルの言う通りだ。これだけの数を一括で個別にステータス改竄しようとすれば、俺の脳に数秒のタイムラグが生じる。
その数秒があれば、殺気に満ちた軍勢はただの後衛職を肉片に変えることができるだろう。
だから、俺は――パタン、と。 手にしていた分厚い本を閉じ、亜空間収納へと放り込んだ。
「……は? 武器を、捨てた……?」
ガイルが間抜けな声を漏らす。
「お前は馬鹿か、ガイル。俺のスキルが『他人のステータス』しか書き換えられないとでも思ったのか?」
俺は自身のステータス画面を空中に呼び出し、自分自身の項目を指先で弾いた。
【対象:アイン(自身)】
・筋力:10 → 999(上限突破)
・敏捷:15 → 999(上限突破)
・付与スキル:『神域の格闘術』『金剛不壊』『縮地』を追加。
その瞬間、俺の全身の細胞が爆発的な魔力を帯び、世界がスローモーションのように遅く感じられ始めた。
「死ねぇぇっ!」
先頭を走っていた巨大な虎の魔物が、俺の喉笛に喰らいつこうと飛びかかってくる。
俺は軽く息を吐き、右の拳を真っ直ぐに突き出した。
――ドゴォォォォォンッ!!!
拳が魔物に触れた瞬間、爆発でも起きたかのような轟音が響いた。
虎の魔物は原型をとどめないほど弾け飛び、その衝撃波だけで後方にいた数十人の重装歩兵たちが紙くずのように宙を舞う。
「……え?」
ガイルの顔から余裕が消え去った。
「書記官の仕事はデスクワークだけじゃない。現場の荒事もこなせてこそ、有能な文官ってもんだろ」
俺は大地を蹴った。
『縮地』によって一瞬で軍勢のど真ん中へと跳躍し、密集する敵兵の中へ着地する。
そこからは、一方的な蹂躙だった。
「ひ、ひぃぃっ! ば、化け物ぉ!」
「武器が、剣が通じないぞ!? こいつの体はどうなって――がはぁっ!?」
兵士たちが放つ斬撃や魔法は、俺の『金剛不壊』の皮膚の前ではそよ風も同然だった。
俺がただ腕を振るうだけで竜巻のような風圧が発生し、束になってかかってくる魔物も兵士もまとめて空の彼方へ吹き飛んでいく。
剣も魔法も本も使わない。純粋な『暴力』。弱点をついて用意したはずの圧倒的な物量作戦を、さらに理不尽な個人の『物理』でへし折る。
「ば、馬鹿な……! あんなの、俺の知っているアインじゃない! あいつはただの後ろでちまちま文字を書いてるだけの無能だったはずだ!」
ガイルが恐怖に顔を引きつらせ、乗っていた馬から転げ落ちる。
隣にいたローブの男も、必死に笛を吹いて魔物たちをけしかけようとするが、魔物たちは本能で『絶対に勝てない捕食者』を理解し、怯えて一歩も動こうとしなかった。
たった数分。
一万以上いた同盟軍と魔物の群れは、その大半が戦意を喪失して地面に這いつくばり、あるいは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していた。
俺は悠然と歩みを進め、腰を抜かして震えているガイルの前に立った。
「ひっ……! く、来るな! 悪かった、俺が間違って――」
「ガイル。お前が俺をどう思おうと勝手だ。だが、リリアたちの平和な街を土足で踏みにじったことだけは、万死に値する」
ガイルが命乞いをするよりも早く、俺は彼の鳩尾に軽く拳を沈めた。
手加減はした。だが、全身の骨が軋む音とともに、ガイルは白目を剥いて泡を吹き、完全に意識を刈り取られた。
静まり返った戦場。残されたローブの男や数名の同盟軍の指揮官たちは、俺と目が合った瞬間、武器を捨てて土下座をした。
「夕飯には戻ると約束したからな」
俺は軽く肩を回すと、完全に戦意を喪失した軍勢を放置して、愛する妻が待つ領地へと踵を返すのだった。




