書き換えられる大地のステータス
「アイン、あーん、です」
帝都から北へ向かう豪奢な馬車の中。 向かいの席から身を乗り出した銀髪の皇女リリアが、艶やかな唇をほころばせながら、剥きたての果実を俺の口元へと運んでくる。
「いや、リリア。俺には両手があるんだが……」
「いいから、あーん、です。あなたが勇者たちのせいで擦り減らした心身は、私が全霊をもって甘やかして回復させると決めたのですから」
真紅の瞳でじっと見つめられ、俺は観念して果実を口に含んだ。 甘い果汁が広がる。それを見て、帝国最強の竜騎士であるはずの彼女は、ふにゃりとだらしない笑顔を浮かべた。
馬車の外からは、護衛の騎士たちが「あ、あの氷の殿下が……」「聞くな、命が惜しければ耳を塞げ……」と震え声で囁き合っているのが聞こえる。
彼女が用意してくれた俺たちの新しい居場所――それは、帝国最北端に位置する『凍土の辺境領』だった。
数日の旅路を経て馬車がたどり着いたその場所は、名に違わぬ荒涼とした大地だった。 ひび割れた赤茶けた土。吹き荒れる乾いた寒風。 村人たちは痩せ細り、畑には枯れかけた作物がわずかにしがみついているだけだ。
馬車を降りたリリアは、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんなさい、アイン。皇族の派閥争いから完全に切り離された私有地となると、こんな不毛な土地しか用意できなくて……。でも、資金は十分にあるわ! 他領から物資を買い付ければ、生活には困らせ――」
「いや、最高だよ。リリア」
俺は彼女の言葉を遮り、吹き抜ける冷たい風を心地よさそうに浴びた。
「これくらい何もない方が、俺の力が一番活きる」
懐から、文字の書かれていない分厚い本を取り出す。 ページをパラパラと捲り、現在の『土地のステータス』が記載された項目を開いた。
【対象:北端の辺境領】
・土壌の豊かさ:G(作物が育たない)
・気候:F(極寒・乾燥)
・魔力脈:無
・特産品:無
これでは、どんなに優れた農民がいようと長続きはしないだろう。 ならば、大地のルールそのものを書き換えればいい。
俺は羽ペンを取り出し、インクもつけずに紙面へと走らせた。
「まずは土壌だ。『G』を横線で消して……『EX(規格外)』に変更。気候は極寒を消去して、『常春』に。ついでに大地の下に、最高純度の『魔力脈』を追加、と」
スラスラと文字を書き換え、本をパタンと閉じる。 ――その瞬間、世界が揺れた。
「え……?」 リリアが息を呑む。
俺の足元から、波紋のように淡い緑色の光が広がっていった。 ひび割れていた赤茶けた荒野が、みるみるうちに深く湿った黒土へと変貌していく。 それだけではない。枯れかけていた作物は一瞬にして青々と葉を茂らせ、土の栄養を吸い上げて異常な速度でたわわな実をつけ始めた。
吹き荒れていた殺伐とした寒風は、うららかな春の陽気を含んだそよ風へと変わる。 大気中にはキラキラと魔力の粒子が舞い、深呼吸するだけで全身に活力がみなぎってくる。
「な、なんだこれはぁぁぁ!?」 「畑が! 一瞬で森みたいに……!?」
家から飛び出してきた村人たちが、腰を抜かして地面にへたり込んだ。 無理もない。数百年の間、死の土地と呼ばれていた場所が、たった数秒で帝国随一の豊穣の大地へと生まれ変わったのだから。
「……相変わらず、神様みたいなデタラメな力ね」
リリアは呆れたように息を吐きつつも、その真紅の瞳は誇らしげに輝いている。
「アイン。あなたがいれば、この寂れた辺境はすぐにでも帝国を超える大国になるわ」
「大国にするつもりはないけどな。静かに、美味しいものでも食べて暮らせればそれでいい」
「ふふっ。では、美味しい作物が採れたお祝いに、今夜は私が腕を振るうね! その後は二人で一緒にお風呂に――」
「待て、話が飛躍しすぎだ」
こうして、追放された書記官による常識外れの領地開拓が幕を開けた。
一方その頃。 俺の【世界編纂】による恩恵を失った勇者パーティーが、手始めに受けた下級ゴブリン討伐クエストでなぜか攻撃が全く当たらず思わぬ大苦戦を強いられ、互いに責任を押し付け合って大喧嘩を始めていることなど、俺は知る由もなかった。




