無能な書記官の解雇と、解除される恩恵
「アイン。お前は今日をもって、勇者パーティー『暁の剣』から抜けてもらう」
王都でも最高級の宿屋、そのスイートルーム。
豪勢な食事が並ぶ円卓の空気は、勇者ガイルのその一言で完全に凍りついた。
「……理由を、聞かせてもらっても?」
俺、アイン・レングラーは、手元の羽ペンを置いて静かに問い返した。
怒りはない。ただ、このタイミングでの宣告が少しだけ意外だっただけだ。
「分からないなら教えてやる。お前が『無能』だからだ」
ガイルが嘲笑うように鼻を鳴らした。
「お前の職業は【書記官】。戦闘中は後ろで魔物の数を数え、ドロップ品を記録し、野営の帳簿をつけるだけ。前衛で命を懸けている俺たちからすれば、お前はただの荷物持ち以下の寄生虫なんだよ」
「そうね。アインがいるだけで報酬が等分されるのは、正直ずっと不満だったわ」
聖女マリアが冷ややかな視線を向けてくる。
「それに、アインの書記魔法? あれも地味すぎるッスよ。次に加入する予定の賢者様は、広範囲の超火力が撃てるんスから」
武闘家のバウクもヘラヘラと笑いながら同意した。
彼らの言い分は、世間一般の常識からすれば正しい。
剣と魔法が支配するこの世界で、【書記官】などという非戦闘職が勇者パーティーにいること自体が異端なのだから。
だが、彼らは一つだけ、決定的な勘違いをしている。
「……そうか。分かった。これまで世話になったな」
俺は反論することなく、静かに立ち上がった。
これ以上、彼らに付き合う義理もないし、何より俺自身、そろそろこの「お守り」に限界を感じていたのだ。
「物分かりが良くて助かるぜ。これは退職金だ。せいぜい田舎にでも帰って、ちまちま帳簿でもつけて生きるんだな」
投げ渡された銀貨数枚の入った革袋を受け取り、俺は部屋を後にした。
背後から、「これでようやく俺たちの真の力が発揮できるぜ!」「ええ、魔王討伐なんてあっという間ね!」という歓声が聞こえてくる。
俺は宿屋の廊下を歩きながら、ふぅと小さくため息をついた。
「真の力、か……」
懐から、一冊の分厚い本を取り出す。
表紙には何の文字もない。だが、俺が魔力を通すと、ページが自動でパラパラと捲られ、あるページでピタリと止まった。
そこには、ガイル、マリア、バウクの三人の名前と、詳細なステータスが記述されている。
彼らは知らない。俺の【書記官】という職業が、ただの記録係などではないということを。
俺の固有スキル【世界編纂】。
それは、この本に名前を記録した対象のステータス、スキルの威力、果ては運の数値すらも自由に「書き換える」ことができる、神の如き権能だ。
ガイルの剣が常に敵の急所を捉えていたのは、俺が彼の『命中率』を常に100%に書き換えていたから。
マリアの回復魔法が底なしだったのは、俺が彼女の『魔力消費量』をゼロに設定していたから。
バウクがどんな攻撃を受けても倒れなかったのは、俺が『致命傷無効』の概念を付与していたからだ。
「パーティーを抜ける以上、この設定はもう必要ないな」
俺は羽ペンを取り出し、三人の名前に横線を引いて「削除」した。
その瞬間。
彼らに付与されていた数々の異常なバフ――『獲得経験値10倍』『全ステータス補正+500%』
『絶対幸運』などが、すべて白紙に戻った。
本来の彼らは、同年代の冒険者より少し毛が生えた程度の、ただの凡人に過ぎない。
これから彼らがどうなるか、想像に難くないが……俺にはもう関係のないことだ。
宿屋を出ると、外は静かな夜だった。
肌寒い夜風が頬を撫でる。
数年ぶりの自由。これから何をしようか。まずは静かな街で、のんびりと本でも読みながら暮らすのも悪くない。
そう考えながら大通りを歩いていると、不意に、目の前に一台の豪奢な馬車が停まった。
黒漆塗りの車体に、金糸で刺繍された皇室の紋章。
馬車の扉が開き、一人の少女が降りてくる。
月明かりを反射して輝く、透き通るような銀糸の髪。
吸い込まれそうなほど深い真紅の瞳と、誰もが息を呑むような圧倒的な美貌。
「――待ちくたびれましたわ、アイン」
帝国が誇る最強の竜騎士にして、次期皇位継承者。
『氷の戦乙女』の異名を持つ皇女、リリア・フォン・クロスロード。
幼き頃、俺がこの力で命を救った幼馴染であり……なぜか俺に異常なほど執着している少女だった。
「リリア? どうしてこんなところに……帝国にいるはずじゃ」
「あなたが無能な勇者どもに捨てられるのを、ずっと待っていたのです」
リリアはツカツカと歩み寄ってくると、俺の腕にギュッと抱き着いた。
周囲の護衛騎士たちが、見ちゃいけないものを見たような顔で一斉に顔を背ける。
「ちょっ、リリア、苦しい」
「いいえ、離しません。あんな見る目もない愚か者たちのことは忘れて、私のところに来なさい。辺境に新しい領地を用意しました。そこで、私と一緒に暮らすのです」
氷の戦乙女と呼ばれる彼女だが、俺の前では昔からこうだ。
上目遣いで見つめてくる真紅の瞳は、まるで主人の帰りを待っていた子犬のように潤んでいる。
「……領地って、お前、皇位継承はどうしたんだよ」
「あなたと一緒にいられない皇位など、何の価値もありませんわ。さあ、私にあなたの『魔法』をかけてください。二人で、世界一幸せな国を作りましょう?」
彼女は知っている。
俺の【世界編纂】が、ただの支援魔法ではなく、世界そのもののルールを書き換える規格外の力であることを。
「……仕方ないな。少しだけ休ませてくれよ?」
「ふふっ、もちろんですわ! ベッドの準備も万端です!」
「いや、そういう意味の休みじゃなくてな……?」
こうして、俺の勇者パーティーとしての退屈な日々は終わりを告げた。
最強の力を持つ書記官と、彼を溺愛する銀髪の皇女。
のちに世界中を巻き込み、新たな神話として『記録』されることになる二人の物語は、この夜から始まったのである。




