愛妻の暴走(ランページ)
「……おい、お前ら。俺たちの存在を無視するな」
綿あめの中から顔を出した狼の部隊長が、唖然とした顔で突っ込みを入れた。
だが、歴戦の獣人である彼はすぐに我に返り、その瞳に再びギラギラとした殺意を宿した。
「舐めやがって……! 魔法がなんだ! 獣人の誇りにかけて、あの生意気な男の首を刎ねろ! あの男さえ殺せば、氷の女も無力化できるはずだ!」
部隊長の号令と共に、綿あめの拘束を力任せに引きちぎった十数人の獣人たちが、一斉に俺に向かって跳躍した。
手には鋭い短剣、そして獣特有の研ぎ澄まされた爪。彼らの狙いは完全に俺一人に絞られていた。
「アイン! 危ないっ!」
クオンが短剣を構えて援護に入ろうとする。
だが、それよりも早く。
俺の首に抱き着いていたリリアが、クルリと振り返った。
「――は?」
リリアの口からこぼれた、絶対零度の声。
その瞬間、大峡谷に吹き荒れていた風がピタリと止んだ。
いや、風だけではない。空間そのものが、彼女の放つ常軌を逸した『殺気』によって凍りついたのだ。
「あなたたち、今……私のアインを『殺す』って言った?」
リリアの真紅の瞳から、スッと感情が消え失せた。
代わりに現れたのは、先ほどの甘々なお姫様とは対極にある、帝国最強の『氷の戦乙女』としての冷酷無比な顔。
いや、それすらも超えている。今の彼女は「最愛の夫の命を脅かされた、激怒する氷の正妻」だ。
「アインはね、この世界で一番優しくて、尊くて、私の命よりも大切な人なの。そのアインの綺麗な肌に、あなたたちみたいな野良犬の爪を立てようとするなんて……」
ゴゴゴゴゴォォォォッ……!!
リリアの足元から、莫大な魔力が間欠泉のように噴き上がった。
空中の水分が瞬時に凍りつき、巨大な氷の結晶となって彼女の背後に集束していく。
形作られるのは、神話に語られる『氷竜』の姿。
彼女の持つ【氷竜の加護】を全開にした、戦略級の殲滅魔法だ。
「九族討伐じゃ足りないわ。魂ごと永久凍土に沈みなさい……ッ!!」
「ちょっ、リリア!? それはやりすぎだ!」
俺は慌てて声を上げたが、激怒したメガデレ妻の耳には届かない。
彼女にとって「俺への敵意」は、この世界のどんな重罪よりも重いのだ。
振り下ろされた彼女の腕と共に、巨大な氷竜が咆哮を上げ、哀れな獣人たちへと襲いかかろうとする。
「ヒィィィッ!? ば、バケモノだぁぁっ!」
獣人たちが絶望の悲鳴を上げる。
「終わった……連邦の国境ごと消し飛ぶぞ……っ」
クオンも頭を抱えてしゃがみ込んだ。
相手がいくら俺の命を狙った急進派とはいえ、和睦交渉の入り口で国境守備隊を消し炭(消し氷)にすれば、間違いなく獣人連邦との全面戦争になる。
俺は即座に空中に指を走らせた。
(リリアの魔法そのものをキャンセルするのは忍びない。あいつは俺のために怒ってくれているんだからな。……なら、こうだ!)
俺は、襲いかかる氷竜のステータスウィンドウに素早く文字を打ち込んだ。
【対象:戦略級魔法『氷竜の激鱗』】
・威力設定:『対象を塵一つ残さず消滅させる』をバツ印で削除。
・変更後:『対象を絶対に死なせない、超快適な氷の檻に閉じ込める』
俺が実行を叩き込んだ瞬間、襲いかかった氷竜が獣人たちを飲み込んだ。
ドゴォォォォォォォンッ!!!
凄まじい轟音と共に、大峡谷の入り口に巨大な氷山のドームが隆起した。
本来なら内部にいる者すべてをすり潰す致死の魔法。だが、土煙が晴れた後に現れたのは、息を呑むほど美しい、透明な『氷の城』だった。
「……え?」
氷のドームの中に閉じ込められた獣人たちは、自分たちが生きて五体満足であることに気づき、キョトンとしている。
「お、俺たち、生きてる……? っていうか、なんだこの氷、全然寒くないぞ?」
「むしろ床暖房みたいにポカポカしてる……! なんだこれ、すげえ快適だ! 外の風も入ってこないし、最高のアジトじゃないか!」
俺の書き換えによって、リリアの殲滅魔法は「絶対に死なせない=内部の気温と酸素が完璧に管理された超快適な氷のシェルター」へと変貌していたのだ。
「あれ……? おかしいわね。チリも残さないつもりだったのに」
自分の魔法がなぜかファンシーな氷の家になってしまったことに、リリアが不思議そうに首を傾げる。
「アインの命を狙う悪い虫だから、徹底的に消毒しようと思ったのに……私の魔力コントロール、おかしくなっちゃったのかしら」
「いや、十分だ。あいつらもすっかり戦意を喪失してるしな」
俺が氷のドームを指差すと、そこにはすっかりリラックスし、氷のベッドでくつろいだり、ポカポカの床で丸くなって寝始めている狼の獣人たちの姿があった。
完全に無害化である。
「ねえ、アイン。怪我してない? 痛いところない? 少しでもかすり傷があったら、今度はあの氷をミキサーみたいに回転させるわよ?」
リリアが急いで俺の全身をペタペタと触り、涙目で心配してくる。
「大丈夫だ、傷一つないよ。リリアが守ってくれたからな」
「ほんと? よかったぁ……」
俺が彼女の頭を撫でてやると、リリアはホッとしたように表情を緩め、再び俺の胸にスリスリと甘え始めた。
さっきまでの絶対零度の殺気は嘘のように消え去り、そこにあるのはただの「旦那様大好きな甘えん坊の妻」である。
「アインを守るためなら、私、魔王でも神様でも全員氷漬けにしてあげるからね。だから、ずっと私に守られててね?」
「俺も男なんだけどなぁ……まあ、頼りにしてるよ」
俺が苦笑いしながら彼女を抱きとめると、後ろでクオンが深いため息をついた。
「……お前ら、本当にいい加減にしろよ。心臓がいくつあっても足りねえ。だが……急進派の連中を傷つけずに無力化してくれたこと、感謝する。これで厄介な火種なしで、連邦のトップと交渉できる」
クオンは氷のドームの中で熟睡する部隊長たちを一瞥すると、再び俺たちに向き直った。
「さあ、行こう。この大峡谷を抜けた先にあるのが、我が獣人連邦の首都『アニマリア』だ。……飛空船の技術を管理する、連邦の王が待っているぞ」
俺の【世界編纂】によるチートと、俺への愛でいつでも暴走の準備ができている最強の戦乙女。
頼もしすぎる(そして少し重すぎる)愛妻の手をしっかりと握り、俺は飛空船が舞う獣人連邦の奥地へと足を踏み入れた。




