文字化けの暗殺者
宴の翌朝。
小鳥のさえずりと共に目を覚ました俺は、胸元に感じる心地よい、しかしずっしりとした重みに思わず息を吐いた。
「んんぅ……アイン……さつまいも、もう一口……あむ」
俺のベッドに潜り込み、腕を抱き枕のようにホールドしているのは、帝国最強の竜騎士ことリリア殿下その人である。
昨夜のエールですっかり酔い潰れた彼女をベッドまで運んだのだが、そのまま離してくれず、結局朝までこの状態だ。
銀糸のような髪から、甘い香りが漂ってくる。
寝顔は完全に年相応の無防備な少女で、その無邪気な可愛さに思わず頭を撫でてやると、彼女はパチリと真紅の瞳を開けた。
「……あ、れ。私、アインのベッドで……」
数秒のフリーズの後、リリアの顔がボフッと音を立てて限界まで真っ赤に染まる。
「おはよ、リリア。よく眠れたか?」
「お、おおお、おはようございますアイン! そ、その、これは決して寝ぼけたわけではなく! 領主を夜間の危険から守るという、正妻……じゃなくて、護衛としての正当な任務でありましてっ!」
あわあわと両手をバタつかせる姿が微笑ましくて、俺は思わず吹き出してしまった。
「頼もしい護衛だな。でも、まずは着替えて朝飯にしよう」
俺たちが身支度を整えて外に出ると、広場からは野太い男たちの掛け声が響いていた。
「イチ! ニー! サーン! よし、次は有酸素運動と体幹の筋トレだ! 基礎体力を上げねば、美しく強固な石畳は敷けんぞ!」
「「「応ッ!! レオン親方ァ!」」」
剣聖レオン率いる元・帝国最強の騎士たちが、上半身裸で汗を流しながら、朝のウォーミングアップ(という名のガチの筋トレと有酸素運動)に励んでいた。 すっかりこの領地の生活サイクルに馴染みきっている。
たくましいことだ。
だが、そんな平和な朝の空気を切り裂くように、不意に俺の脳内に『警告音』が鳴り響いた。
「……アイン?」
「誰か来たな。しかも、あの『お花摘み』の結界をすり抜けて」
俺が視線を向けた先。
温泉宿の屋根の上に、音もなく『黒い影』が降り立った。 頭に獣の耳を生やした、漆黒の装束に身を包む小柄な少女。両手には、毒々しく光る二振りの短剣が握られている。
「……七大国の一つ『獣人連邦』の暗殺者か」
リリアが即座に氷の剣を生成し、俺の前に立ち塞がった。
「ご名答。だが、遅い」
獣人の少女が、感情のない声で呟く。
「私の『古代隠密術』の前では、いかなる魔術結界も意味をなさない。すでに標的の首は、私の間合いだ」
次の瞬間、少女の姿がブレた。 速い。帝国最強クラスのレオンたちでさえ目で追えないほどの神速の踏み込み。
だが、俺は慌てることなく、空中に指先を走らせた。 どんなに速かろうが、俺の【世界編纂】の前では、すべてはただの『データ』に過ぎない。
……しかし。 空中に可視化された少女のステータスを見て、俺は思わず眉をひそめた。
【対象:ç ‡äººã ®æš—æ®ºè€…】
・目的:『é ˜ä¸»ã ®æš—æ®º』
・スã‚ル:『å ¤ä»£éš±å¯†è¡“』
「文字化けだと……?」
本来なら読めるはずのステータスが、意味不明な記号と文字列の羅列に変換されていた。
なるほど。彼女が『お花摘み』の結界をすり抜けられた理由が分かった。
あの結界は「悪意を持った者」というテキストを条件に発動するが、彼女の『古代隠密術』は、自身の存在データそのものを古い規格に暗号化し、世界のシステムから隠蔽する技術なのだ。
テキストエディタで、無理やり違う文字コードのファイルを開いた時のような状態だ。
「死ね」
迫る凶刃
リリアが氷の壁を張るが、暗号化された彼女の攻撃は結界をすり抜けようとする。
「面白い技術だ。だが、書記官を舐めるなよ」
俺は空中の文字化けしたステータスに向け、インク(魔力)を込めた指先を叩きつけた。
【世界編纂・文字コード変換】
バチィィッ!!
と空間に火花が散り、少女の周囲を覆っていたノイズが瞬時に晴れる。
意味不明な文字列が、俺の読み慣れた現代の言語へと一瞬で『翻訳』され、正常に表示し直された。
【対象:獣人の暗殺者】
・目的:『領主の暗殺』
・スキル:『古代隠密術(無効化済)』
「なっ……私の隠密が、剥がされ……!?」
空中で少女が驚愕に目を見開く。
「読み込めるデータになったなら、あとはいつも通りだ。目的を書き換える」
俺は『領主の暗殺』という文字列をバツ印で消去し、代わりに書き込んだ。
「――『領主とボードゲームで遊ぶ』」
書き換えた瞬間。
少女の目に宿っていた殺意が、嘘のようにスッと消え去った。
彼女は空中で見事に一回転して着地すると、両手の短剣をチャキッと鞘にしまい、懐から大切そうに『木製のダイスと盤面』を取り出した。
「……ふぅ。なぜだろう。今は血を見るよりも、この卓上遊戯で熱い駆け引きを楽しみたい気分だ。領主よ、一局交えないか?」
暗殺者らしからぬ、どこかワクワクしたような澄んだ瞳で盤面を広げる少女。 それを見たレオンたち騎士が、「おお! 俺たちも混ぜてくれ!」
とばかりにワラワラと集まってくる。
「え、えええ……? 暗殺に来たんじゃなかったの……?」
あっけにとられるリリアの横で、俺は小さく息を吐いた。 文字化けを強制解読するというメタ的な戦術だったが、インクの消費も少なく抑えられた。
「アイン! どういうこと!? なんでこの子、急にボードゲームを広げてるの!?」
リリアが俺の腕をギュッと掴み、少しだけ頬を膨らませて少女を睨みつける。
「いや、ステータスを書き換えて無力化したんだ。健全な趣味でいいじゃないか」
「むぅ……。可愛い顔して油断ならないわ。アインの隣に座っていいのは私だけなんだからね!」
リリアはズカズカと少女の前に歩み寄ると、腕を組んで仁王立ちになった。
「いいわ、獣人の暗殺者! アインと遊ぶ前に、まずはこの『正妻』である私と勝負しなさい! 私が勝ったら、あなたもこの領地で石畳を敷く刑よ!」
「……ふん。受けて立とう、氷の女。私のダイス運は魔王すら凌ぐぞ」
火花を散らすリリアと暗殺者の少女。
その周りを、筋トレを終えたマッチョな騎士たちが「親方、どっちが勝つと思います!?」と野次馬のように囲んでいる。
朝から騒々しいことこの上ないが、七大国の暗殺者すらも盤上の遊戯に巻き込んでしまうこの領地は、今日も平和そのものだった。
だが、他国からの接触が本格的に始まった以上、俺の【書記官】としての仕事は、これからさらに忙しくなりそうだった。




