帝国の剣聖
「――『灰燼』のザガンが消えたそうじゃな」
どこかの次元の狭間に存在する、薄暗い円卓の間。 そこに集まった6つの影の一つが、退屈そうに沈黙を破った。
世界に7人しか存在を許されない災厄、【魔王】たちの密会である。
「魔王に目覚めてわずか10年あまり。魔王としての『格』も定まりきらぬ未熟者が、神器という神のオモチャに頼りきって暴れた結果だ。いずれ自滅するとは思っていたがね」
影の一つが冷笑する。
ザガンの消失。
それは普通の魔族からすれば天地がひっくり返るほどの大事件だが、ここに集う者たち――特に、数百、数千年と魔王の座に君臨し続ける『最古の三柱』からすれば、小石が転がった程度の認識でしかなかった。
だが、最古の三柱の一人である『深淵』の魔王が、静かに赤い双眸を開いた。 その瞬間、ただ彼が目を開いたというだけで、次元の狭間がギリギリと悲鳴を上げて軋み始める。
「ザガンの死はどうでもいい。だが、奴が持っていた十二神器『レーヴァテイン』が、物理的ではなく『概念的』に砕け散っているのは見過ごせんな」
「七大国の『最高戦力』共の仕業でしょうか?」 「いや。人間側の戦力に、神の定めたルールが破壊できるとも思えん。……あの帝国最北端の辺境には、世界の法則そのものを歪める未知の何かが潜んでいるみえる」
その言葉に、最古の三柱たちがフッと口角を上げた。
「面白い。数百年ぶりに、我々と正面から衝突し得る存在が現れたというわけか」
「今は泳がせておこう。それが本物ならば……いずれこの私が直接出向き、我ら最古の絶望すらも書き換えられるか、試してやるとしよう」
三柱の魔王たちが放つ、宇宙の深淵にも似た底知れないプレッシャー。
後にアインが死闘を繰り広げることになる最悪のバケモノたちは、静かに辺境へとその目を向けていた。
・・・
一方その頃。 世界のパワーバランスを根底からぶっ壊し、最古の魔王たちにロックオンされた張本人である俺は、温泉宿の縁側でぽかぽかと日差しを浴びていた。
「アイン、お仕事お疲れ様。肩、揉んであげるね」
俺の後ろにぴたりとくっついたリリアが、柔らかい手で俺の肩をモミモミとほぐしてくれる。
「わるいな、リリア。……うん、いい力加減だ」
「ふふっ。アインの筋肉、戦う人みたいに硬くないから揉みやすくて好きよ。それに、すごくいい匂いがする」
すんすんと首筋の匂いを嗅いでくるリリアを放っておきながら、俺は手元の分厚い本を開いた。
先日のザガンと神器の書き換えでインク(魔力)を消費したが、領地に流れる最高純度の魔力脈と温泉のおかげで、すでに全回復どころか最大値まで跳ね上がっている。
そんな平和なひとときを破るように、ドタバタと廊下を走る足音が聞こえてきた。
「た、大変ですぜ! アイン様、リリア様!!」
襖を勢いよく開けて飛び込んできたのは、ゴルド商会の会頭ゴルドだった。 その顔は滝のような冷や汗で濡れている。
「どうした、ゴルド。そんなに慌てて」
「て、帝都から大軍が向かってきているんです! しかも率いているのは、帝国の最高戦力の一人……『剣聖』レオン!!」
その名を聞いた瞬間、俺の肩を揉んでいたリリアの手にピクリと力が入った。
「……レオン。皇太子の犬ね」 リリアの真紅の瞳に、不穏な冷気が宿る。
「知ってるのか?」
「ええ。私腹を肥やすことしか頭にない皇太子の側近で、私をこの辺境に追いやった張本人の一人よ。実力だけは本物で、私と並ぶ帝国の『最高戦力』に名を連ねているわ」
ゴルドが震える声で補足する。
「帝都の魔術部隊が、この地で十二神器が砕かれた強大な余波を検知したらしいんです! 奴らの目的は『魔王を討伐した功績の横取り』と、この『奇跡の温泉街の不当な没収』に違いありません!」
「なるほどな」 俺はパタンと本を閉じた。
腐敗した皇室の連中が、自分たちが捨てた土地が宝の山に変わったと知って、慌てて奪いに来たというわけだ。 俺は別に権力などどうでもいいが、リリアの居場所を奪い、俺の静かなスローライフを脅かすというなら話は別だ。
「アイン。私が迎え撃つわ。あいつの剣技は厄介だけど、アインがくれたこの豊かな土地は、絶対に渡さない」 リリアが立ち上がり、空中の水分を凍らせて氷の剣を形作る。
「待て、リリア。お前が帝国軍と正面から戦えば、完全に『反逆者』になってしまう」
「構わないわ! アインと一緒にいられないなら、皇女の身分なんて――」
「俺が構うんだよ。お前に傷はつけさせない」
俺は立ち上がると、リリアの頭を優しく撫でた。 氷のように張り詰めていた彼女の表情が、ふわりと熱を帯びて緩む。
「それに、相手は軍隊だ。この綺麗な街で暴れられて、温泉に血でも入ったらどうする。大勢を相手にするなら……【書記官】の出番だろ?」
俺は指先を空中に向けた。 狙うのは、ここから数キロ離れた街道を進軍してくる『帝国の軍勢』のステータスそのもの。
「この領地を、文字通りの『不可侵領域』に書き換える」
【世界編纂・直接入力】
俺は空中に、領地の境界線を対象とした新たな『絶対ルール』を書き込んだ。
『規則:この領地に対し、悪意または強奪の意志を持って侵入を試みる者は、境界線に触れた瞬間、全ステータスが【スライム以下】に低下し、強制的に【お花摘み】の衝動に駆られる』
「よし、実行だ」
空中に描かれた文字が光の粒子となって飛び散り、領地全体を透明なドーム状の結界となって包み込んだ。 これでインクの消費は3割程度。コストパフォーマンスとしては最高だ。
「……お花摘み、ですか?」 ゴルドがポカンと口を開ける。
「ああ。そろそろ境界線に着く頃だろうから、見に行ってみようか」
・・・
領地の境界、入り口の森。
「進めぇ! 忌々しい氷の戦乙女から、この土地のすべてを奪い取れ! 逆らう者は斬り捨てて構わん!」
白馬に跨った『剣聖』レオンが、傲慢な笑みを浮かべて号令をかけていた。 背後には完全武装した精鋭騎士が数百人。誰もが、この辺境の制圧など赤子の手をひねるようなものだと確信していた。
だが、彼らが領地の境界線となる「見えない線」を一歩跨いだ、その瞬間だった。
「……んんっ?」
突如として、精鋭騎士たちが次々と剣を取り落とし、白馬からドサドサと転げ落ちた。
「な、なんだ!? 体に力が入らん……! 剣が、重い……っ!」
「ああっ、あそこに綺麗なお花が咲いていますわぁ……! うふふ、花冠を作りましょう!」 「待てよぉ、俺も混ぜてくれよぉ、あはははは!」
数百人の武装した騎士たちが、筋力を完全に失い、満面の笑みで森の中を駆け回り、仲良くお花を摘み始めたのだ。
「き、貴様ら!? 何をしている、正気に戻らんか!!」
剣聖レオンが怒号を上げるが、彼自身もまた異変に気づいた。 自慢の聖剣を持ち上げる筋力すら失われ、何より、頭の中が『お花を摘みたい』という強烈な衝動で埋め尽くされようとしていたのだ。
「ば、バカな……俺は剣聖だぞ……! なぜこんな、お花畑に……いやぁぁぁっ! ちょうちょ待てぇ〜!」
最終的に、最高戦力である剣聖レオンまでもが鎧を脱ぎ捨て、スキップをしながら森の奥へとお花を求めて消えていった。
血の一滴も流れることなく、帝国の誇る精鋭部隊は完全に崩壊したのである。
「……恐ろしい。アイン様の力は、本当に神の領域だ……」 双眼鏡でその光景を覗き見ていたゴルドが、ガクガクと震えながら呟いた。
「アイン! さすがね、あんなに憎たらしかったレオンがお花畑を走ってるわ!」
リリアは手を叩いて大喜びし、そのまま俺の頬にチュッとキスをした。
武力でも、権力でもない。 世界のルールそのものを自在に操る書記官の前では、帝国の最高戦力すらも道化でしかなかった。
だが、帝国の軍勢を無力化したことで、アインたちの辺境領は「神の奇跡が起きる独立国家」として、いよいよ世界中から――そして深淵に潜む最古の魔王たちから、直接的な接触を受ける運命へと向かっていくのだった。




