七人の魔王と十三の神器
温泉宿の最上階、領主専用の特別室。
俺はバルコニーの寝椅子に横たわりながら、リリアが淹れてくれた紅茶の香りを楽しんでいた。
眼下には、ゴルド商会の手配によって急速に発展し、多くの人々で賑わう温泉街が広がっている。
勇者たちの襲撃という些細なトラブルはあったものの、領地はかつてないほどの平和と繁栄を享受していた。
「アイン。お茶菓子のお団子、私が『あーん』してあげる」
「いや、外から丸見えだから。領民の目があるって」
「いいじゃない。領主夫婦の仲睦まじい姿を見せたほうが、みんなも安心するわよ?」
ニコニコとすり寄ってくるリリアを軽く躱そうとした、その時だった。
ズズンッ……!!
突如、領地全体を押し潰すような、おぞましい魔力の重圧が空から降ってきた。
空を覆っていた常春の雲が吹き飛び、太陽の光が赤黒く染まる。
「……アイン。来るわ」
リリアの雰囲気が一変した。
甘えるような少女の顔は消え失せ、帝国が誇る『最高戦力』――氷の戦乙女としての冷徹な顔つきになる。
この世界は、強大な力を持つ「七大国」と、それに属する数多の小国で構成されている。
各国には一騎当千の『最高戦力』と呼ばれるバケモノが存在しており、リリアもその一人だ。
だが、空からゆっくりと舞い降りてきたその男は、どの国にも属していない。
「カカカッ! 辺境の死地に極上の魔力脈が生まれたと聞いて来てみれば……なるほど、美味そうな魔力が充満してやがる!」
背中に蝙蝠のような黒翼を生やした、筋骨隆々の男。
その圧倒的な邪気を見て、俺は即座に相手の正体を理解した。
【魔王】
それは種族名ではない。
この世界に同時に『7人』しか存在することを許されない、世界そのものから選ばれた最悪の『職業』
それぞれが国を一つ滅ぼせるほどの固有スキルを持つ、歩く災害だ。
「俺様は『灰燼』の魔王ザガン。この土地と、そこにいる帝国の最高戦力チャンは、今日から俺様のものだぁ!」
ザガンが下品に舌なめずりをし、背中から一本の大剣を抜き放つ。
その瞬間、大剣から噴き上がった猛火が、空間そのものを歪ませた。
「……あれは!」
リリアが息を呑む。
「神話の時代に神々が鍛え上げたとされる、世界にたった12個しか存在しない武具……『十二神器』の一つ! 炎魔の大剣レーヴァテイン!?」
「ご名答! 魔王である俺様の固有スキル【灰燼】と、この神器の絶対火力が合わされば、帝国の氷の戦乙女だろうが一瞬で炭クズよぉ!」
ザガンが空から大剣を振り下ろす。
リリアが即座に絶対零度の氷壁を展開するが、神の祝福を受けた神器の炎は、リリアの氷をいとも容易く蒸発させていく。
「くっ……神器の補正が規格外すぎるわ……っ!」
「カカカ! 死ねやァ!!」
迫り来る神の炎
だが、俺は焦ることもなく、空中に右手の指先をサッと走らせた。
「神が鍛えた武器? だからどうした」
俺の目に映るのは、世界の法則を司る文字列。
そこには、ザガンのステータスと、神器のデータがはっきりと可視化されていた。
【対象:魔王ザガン】
・職業:魔王(全ステータス+1000%)
【対象:大剣レーヴァテイン(十二神器)】
・状態:『絶対破壊無効』『神の猛火』
「【世界編纂・直接入力】」
俺は空中の文字列にインク(魔力)を注ぎ込み、一瞬で文字を書き換えた。
まずは神器。
『絶対破壊無効』を横線で消し、『腐った木』に変更。『神の猛火』を『線香花火』に書き換える。
「まずはその鬱陶しい剣からだ」
俺が前に歩み出ると同時に、ザガンの振り下ろしたレーヴァテインが俺の頭上に迫る。
俺はそれを避けることもせず、ただ人差し指をピンと立てて、神器の刃先をチョンと突いた。
――パキンッ。
「……は?」
ザガンの口から、間抜けな声が漏れた。
神が鍛え、絶対に壊れるはずのない『十二神器』。それが、ただの書記官の指先一つに触れた瞬間、まるで安いガラス細工のように粉々に砕け散ったのだ。
炎はパチパチと悲しげな線香花火の火花を散らして消滅する。
「お、俺の神器が!? な、なんだお前は! てめぇ、何らかの幻術を……!」
「幻術じゃない。設定を『腐った木』に変えただけだ。次はお前の番だな」
俺は空中に浮かぶ『魔王ザガン』のステータスに指を伸ばす。
「職業が魔王だからって、偉そうにするな」
俺は『魔王』の二文字をバツ印で削除し、代わりに三文字書き込んだ。
「今日からお前は、『村人A』だ」
書き換えた瞬間。
ザガンの肉体を覆っていた規格外のオーラが、嘘のように霧散した。
魔王としての強大なステータス補正も、固有スキルも、すべてが白紙に戻ったのだ。
「あ、れ……? 力が……魔力が、消え……っ!?」
空中に浮かぶことすらできなくなったザガンは、無様にバルコニーの床に転げ落ち、ガタガタと震え始めた。
その姿は、先ほどまで魔王と名乗っていたのが信じられないほど、ただの貧弱な男だった。
「リリア。お掃除をお願いできるか?」
「え、ええ。もちろんよ!」
呆然としていたリリアが我に返り、指先を軽く振るう。
それだけで、ただの村人Aとなったザガンは一瞬にして氷漬けにされ、美しい氷像へと変わった。
「ふぅ……インクの消費も問題ないな。世界に7人しかいない魔王も、ステータスを書き換えればただの村人だ」
俺が何事もなかったかのように紅茶のカップを手に取ると、リリアが興奮した面持ちで飛びついてきた。
「すごいわアイン! 十二神器を指一本で粉砕して、魔王を村人にするなんて……! アインがいれば、残りの6人の魔王も、七大国の最高戦力も、誰も私たちの領地に手出しできないわ!」
「勘弁してくれ。俺はただ、静かに温泉に入ってスローライフを送りたいだけなんだ」
「ふふっ、それなら急いでお風呂に行きましょう! 英雄になったアインの背中、私が隅々まで流してあげるわ!」
俺の抗議も虚しく、結局俺は再び氷の戦乙女に腕を引かれ、魔力温泉へと連行されるのだった。
だが、この事件は始まりに過ぎなかった。
十二神器の一つが砕かれ、魔王が一人消失したという事実は、やがて七大国すべてと残る魔王たちを巻き込む、世界規模の争乱の引き金となっていくのである。




