46 『仄暗く、闇深く、罪深い』
アザラシとオットセイとアシカとトド、それらを完璧に見分けられる人間は果たして存在するのだろうか。
〝岩〟という自己主張を隠す事無く凸凹とした壁面に飛び散った血と、あとは神経の白さ。
血管の形状が張り付いている桃色の肉片が、所在無さげにあちこちと、ここには広く散らばっていた。
「……これ、ゴブリン? それともホブゴブリン?」
アザラシとオットセイとアシカとトド。
少なくとも、私はそれらを見分けられる人種ではない。
溜息を吐きつつ、矮躯の脳から掻き分け取り出した白濁とした結晶をフィアにも見せてみる。
「この魔石、どっちの物だと思う?」
碧眼でじっと見ては眉を寄せ、それから耳をそばだてた。
「……多分、ホブゴブリンですね」
彼女はどうやら、見分けられる人種らしい。
その理屈については考えない。
考えてはいけない、とも言える。
また、深く溜息を吐いて、
「じゃ、進もっか」
〝口〟に魔石を仕舞いつつ、前を見た。
GからFに上げる為の、特別依頼。
ぶっちゃけ昇級までの残り依頼達成回数を考えたらやらなくてもいいんじゃないかなと思ったけれど、フィアの身辺含む諸々を考慮したら短縮出来る時間は出来る限り短縮した方が良い、という結論。
一日休んで、気絶するように寝て、身体と精神の体力は回復した……と思う。
身体の事はしっかりと分かるけれど、精神の事はあまり分からない。分からないようにしている。
それには不可知であった方が、多分マシだろうし。
「あーっと……これで何体目だっけ?」
「十一ですね」
「そうそれ、十一」
彼女に寄ったように指をぴんと立て、その奥にある岩の壁を見てみれば。
ここは蟻の巣とも思える。サイズはともかく。
通路自体は結構直線的だけど、それは通路の複雑さを緩和させる物ではなく、寧ろどこも似たような規格の道だから迷いそうになるような洞穴。
ここみたいな通路だったり、繋がった先の小部屋だったりにホブかどうかもともかくとして、ゴブリンがいるような感じ。
んー、なんかおんなじ景色が続いていて気が狂いそう。
まあ、気自体はいつも狂いそうなんだけど。
でなければ――私の右手は、使い物にならなくなっていない。
「……」
毎度の如く真っ黒な剣を握る左手。
それとは逆の手。
使えるには使える。ただ、あまり使いたくはない。動かす度にぴりぴりとした浅い痛みを意識せざるを得なくて、それは微かな爪痕である筈なのに脳髄か脊髄かを住居とし、居候をしていた。
「……リーナさん」
「んー?」
諸々を考慮して私の後ろ。つまる所は後衛に当たる彼女が、おずおずと声を掛けてくる。
「右腕、調子悪いんですか?」
……。
「……ん、まあね」
この傷は言えないし、癒える事も無い。
傷口というのは誰かに晒す物でなく、また話してもいけなく、ずっと一人でその身の内にて抱え、時間と麻薬が痛みを忘れさせるのを待つべきであり、共有など以ての外だ。
多分、きっと、そういう物。
「フィア、前に出てみる?」
「出た方がいいですか?」
「じゃあ出て。疲れた」
立ち止まれば、会敵以外の時は一定のペースで歩いていたフィアが自然と前に出る。
で、適当に杖を作って投げて渡した。
「使えますかね」
「使えるでしょう?」
《中級杖術・I》があるしさ。
じゃ、お手並み拝見といきましょーか。
▼△▼△▼△▼
ここはエンカウント率が高いんだろうなあ、と思う。
まあ、ゴブリンの巣だから当然なんだけど。
「は」
動作と動作の切れ間。
息を継ぐのだとすればそこしか無い。
握り部分を逆手に持ち、槍投げのような体勢での突き。
それが、薄汚くも泥に汚れた浅緑の皮膚に包まれている、子供のとそうは変わらない、だけれど決定的に異なる頭蓋骨を砕く。
言ってしまえば、果実が割れた。
傘の持ち手にも似た構造が彼女の幽霊の手にも似て、真白なお手々を滑らせていき。
柄の中腹を跨ぎ、するりと杖の先にまで行き渡った掌が泥濘でなく脳髄を石突く杖を、今度はずるりと引き抜く。
それが一匹目。
「ふ、ぅっ」
彼女は今や、三角形の中心にいる。
ゴブリンの頭頂部を線で繋げば浮かび上がる図形がそれであり、私側にある手前の頂点が一つであり、彼女が片割れを殺した方が二つ。
そして次。
頭蓋骨から解放された棒先を掴んだまま、挙手するような無造作さでステッキを持ち上げて、振り下ろし――杖の前後が逆転したままに、湾曲した持ち手が二つ目の頭蓋を割砕く。
或いはその様は、まるで木のボウルに山と盛り付けられたサラダにも似ている。
些か、トマトが多過ぎる気もするけど。
「後ろ」
助言すると、遭遇した敵集団の中枢に殆ど食い込んでいたフィアが、銀髪を躍らせながら振り向く。
ゴブリンとは、まるで子供だ。その体格のみを注視して全てを単純化し簡略化をして述べてしまえば、その一言に尽きる。
謂わば、傘の持ち手にも似た握り。
彼女が振り向く。やはり、その銀髪を躍らせて。
追従するは右の腕であり、その手に握られているのは――、
「三匹、目……っ」
杖。
その捻じ曲がった持ち手が、人並みよりも細い首を引っ掛け。
ぐっと曲げられた肘が、彼我を縮めて。
「わお」
鮮麗な一撃。
私からは見えないが、多分ものすっごく腎臓に靴先が刺さってる。それでもまだフィアは杖を、延いてはそれに引っ掛けられているゴブリンを引き寄せていて、ついには倒れたその矮躯。
ぐがり。
その脚が、頚椎を踏み躙った。
「容赦無いね」
「貴女ほどではないですよ」
そう固辞しながら、彼女は見下ろしていた目線を上げて、親愛というには仄暗い青を向けてきた。持ち手も杖先も血に染まり、人形か何かのように血さえも通っていないと信じられる肌のまま。
本当に、彼女には血が通っているのだろうか。
その心臓は、しっかりと役目を果たしているのだろうか。
今握っている刃物で刺してしまえば、父親の時と同じように首を切り落としてしまえば、ラトボニルにしたように胴を切り裂き、手首を刎ね飛ばせば、見る事叶うのだろうか。
皮膚を癒着している筋繊維から剥がし、肉自体もケーキを切り分けるが如く選り分けて、檻の役目を果たす肋骨達もブュッフェ形式で退けてやり――そうやって箱入り娘然としている心臓を、この手に収めれば。
鼓動を直に感じてしまえば、実感とやらを得られるだろうか。
「ん」
肉々し過ぎて、葉野菜だとかが欲しくなる思考をしている内に、彼女は手際良く死体を解体して魔石を取り出していた。
「お疲れ。で、どうだった?」
「疲れますね」
「だよね」
やっぱりフィアは、後方の方が向いてるかな。
強弱の話ではなく、適材を適所に配置するべきだという話。
ものすっごい単純な話、私が9mmのマグナム弾で頭ぶっ放した方が早い。そりゃあキマイラ相手には効かなかったけれど、ゴブリン程度ならば私が万物に対して抱く破壊欲求は完璧に実現される。
「という訳で、フィアは後ろね」
「はい、分かりました」
まあ、そういう事で。
▼△▼△▼△▼
ゴブリンとは、謂わば雑魚敵だ。
序盤の街に出るスライムとか、多分そういう立ち位置。
私もこの目でわんさか見てたし、多分数十体は殺害済み。そうしなければならない程、その数は異常だと断言出来る。森に入ればゴブリン、道を歩けばゴブリン、ベッドの下にもゴミ箱の中にも。
いや、後半二つは嘘だけど。
そんなゴミみたいな比喩が出るくらいには多いんだけど、じゃあ一体どこから湧いて出てきているのか、という話。まあ、そもそも私は魔物という存在がどう生まれるのかも知らないんだけども。
かるーく聞いた話によると繁殖もするし自然発生もするらしい。コバエみたいだね。にしては大きすぎると思うけど。無から有が生まれるのはあり得ない。何かしら理屈があるんだろうね。
残念ながら、その理屈とやらは分からない。
でも、ゴブリンに限っては一つ明確に分かる事がある。
「……」
普通に繁殖行為をして増えるという事。
ただ、相手は同種族の雌個体でなく、人間らしい。
私が通路から覗いている小部屋のあちらこちらで行われているのは、種を増やす為の行為。
大体は一人に対して一体の一対一の形式で、ある意味真摯に向き合っていて――、
「……んー、そういう訳でもないみたい」
器用だね。
「あの、何が……」
フィアの綺麗なお目々は私の革手袋で塞いでいる。
だって教育に悪いし。
フィアは歪んでいる程に無垢であり、無垢である程に歪んでいるが、こういう変な事を知るべきではない。彼女というキャンバスは私の手によってのみ描かれるべきで、それ以外は夾雑物その物だ。
正直な話、彼女にはもう初めて会った時と同様の興味・関心は無いけれど、私の物に無駄な手を加えるのは許せない。
本当に苛々して血圧が上がって手首の傷が疼くから、事前に対策しておくべきだと判断した。
だからこうやって目を塞いで、風魔法で空気の振動を遮断して耳も使えなくしている。
今の彼女に分かるのは、私から発せられる物だけ。
敵情視察も一通り終わった事だし、とりあえず小部屋から離れて通路の奥までフィアを連れて行く。
「リーナさん……?」
困惑しながらも足取りは戸惑いの無い物で、それはそっくりそのまま私に対する彼女の従順度を表している。
やはりどこまで行っても、フィアは何があろうとも私の物だ。
だから彼女は、私にとって不都合な事は何も、何も知らなくていい。
だから、あの路地裏の時のように、フィアを奴隷に貶めた時と同じように、肩を掴んで岩の壁に押し付けた。
あの時と違うのは――、
彼女の目がまるで不鮮明でなく、盲信というのが菓子パンの生クリームみたいにたっぷりと詰まっている事。安くてカロリー高くて美味しいんだよね、ああいうの。
「黙って。喋らないで」
或いは、熱に浮かされているようでもあった。
信頼とは熱病であり、盲目が前提である。
彼女は、盲目でなければならない。
私はただ、それを手伝ってあげるだけだ。
「聞いて。フィア」
耳元で囁くと、彼女は怯懦だと示すように身を縮ませて、あざとく、そしていみじくも息を震わせる。
それは、その態度は、私の中にあるであろう衝動を執拗に掻き毟った。
「君はさ、私の事、信じてるよね」
彼女の扱いは簡単だ。耳元で囁いて、頭を撫でて抱き寄せて、それらしく嘯いて信頼を引き摺り出してしまえばいい。まるで魚から内臓を抜くように、躊躇も、引っ掛かりも無しに。
容易くも幼い判断能力のままに頷いた彼女の、自分以外に明け渡し委ねるのに慣れた脳味噌に……一つ、命令を与える。
魔力も何も、纏わせずに。
「目、閉じて」
深海、或いは宇宙。
雨上がりの水溜まり。
瞼という薄っぺらい天蓋に、それらが封じ込められた。
「耳、塞いで」
そろそろと持ち上がった手が、横髪と共に聴覚を使い物にならなくした。
「口、噤んで」
唇が、懸命に引き結ばれた。
「何も、考えないで」
その言葉に対する反応を確かめる事無く、彼女の側頭部に当てた手に魔力を移していき、
「――【泣別】」
とさりと、崩れ落ちた。
▼△▼△▼△▼
腕の中に抱き留めた彼女を、壁に寄り掛かる形で座らせる。
んー、【闇魔法】って字面から出来そうな事をなんとなくしてみたんだけど、これは成功という事でいいのだろうか。
キマイラを思い出しながら単純な〝闇〟の生成とその物質・物体化に関しては出来てたんだけど、こういう精神的というか感覚的な分野はまだ試した事が無いから、あんまり分かんない。
「フィアー? 聞こえるー?」
彼女の前で手をぶんぶん振ったり呼び掛けたりするけれど、うんともすんと言わない。茫洋と視線を漂わせ、呆としている。まるで抜け殻みたいだね。或いは死体と言い換えてもいい。
まあ、成功という事でいいでしょう。
手探りにも程があるから、魔法に関してはどうにかして学ばないとなあ。フィア曰く、【生活魔法】とやらはスキルの有無関係無しにほぼ万人が扱えるらしいし。
その全てが、という事では無いらしいけど。
そういう文化的な所まで含めて学習しないと、私がこの世界にとっての〝異物〟だと露見してしまう。
仮定として。
世間に社会に世界までもが私の存在を受け入れていようと、その一義が全体を支配する事は無い。
「そもそも論は……やめておこうか」
つらつらと考えつつ通路にフィアを置いていって、湿り気を帯びた肉と肉とが弾ける音と、言いようの無い、だけれどどこか退廃的で、倒錯的だと分かる大きめの部屋に足を踏み入れた。
ここにいる者達は強くない。
まあ他生物とまぐわうのだから、色々と問題があるのだろう。生物的に強い個体は同種族と交尾して、遺伝子に異常とか出ないようにしてるのかな?
意図的な品質の格差を作って階級の維持を――、
「まあ、どうでもいいや」
鉄板を仕込んでいるからか、やけに音を響かせる革靴の底からは同色の靄が溢れ出す。一歩を紡ぐ度に這い出るそれは『消化液』ではなく、より根源的な閉幕でしかない。
恐らくは生産的で生命的と言える活動が、歩む度に中断されていく。
小部屋の輪郭が全て暗く染まって、
「【具象】」
堕ちた。




