37 『《節制》』
貴女は私に、『信じて』と言った。
貴女は私に、『信じて』とだけ言った。
だから、信じた。
信じて信じて信じ抜いて――結果、貴女はやり遂げた。
やはり、貴女は神なのでした。
私の中では、それだけが真実でした。
他の誰がどう言うと、それのみが。
貴女こそが、私の敬愛する神様なのです。
真紅の福音を齎した、崇高なる黒翼なのです。
その事実以外は、どうでもよかったのでした。
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リーナさんが倒れたのを見て、直ぐに駆け寄った。
まず初めに一番大きな胸の傷を治して、他の脇腹や腕、矢に貫かれていた掌を殆ど服越しに治す。夥しい程のあれやこれやの傷と痣を直ぐ様塞いでは、足りない血を魔法で補う。
牙に噛み付かれ、毟り取られた右腕の断面を最低限止血してから、キマイラの口内――、
よりも奥の喉から、なんとか引っ張り出した。
吹き飛んだ物を。
肘の辺りまでしか無いその腕は、最早〝腕〟と形容すべき物ではなく、何かと鉄片が突き刺さり、恐らく爆風で皮膚は掻き混ぜられている上に、残った物ですら熱に焼け爛れている。
肉も削れ、骨が見えていたから、キマイラの口内に散らばっていた彼女の肉片や皮膚を指で剥がして取り出して、右腕をくっ付ける時と同時に、その〝素材〟を掌に空いた穴に押し込んで強引に治す。
【契約】を結んでから、何故か神聖魔法の出力上限が上がっている。
以前でもきっとこのぐらいならば治せただろうけど、流石に時間が掛かったかもしれない。
……それに、《節制》だって使えるようになっていますし。
この時期に限ってそんな事が起こるのは、果たして都合が良いのか悪いのか、呪いであるか祝福であるかは分からないけれど、それに伴って私の力が増したのならば――、
リーナさんに一秒でも短く苦痛を味合わせずに済むのだから、それ以上に求める物はない。
破けた服も直せれば良かったのだけれど、私に回復属性の才能は無い。神聖属性自体も、『才能がある』と言えるかどうかは怪しいけれど、少なくとも〝人体〟を治す事には一日の長がある……と思います。
色々と考えながらリーナさんの頭を膝の上に乗せて、血が広がらないように髪を撫でていく。
思い立って柔らかそうな唇の辺りに手を翳してみれば、少しか細く、しかし確かな、湿った息を感じた。
「……」
きっとリーナさんは、私よりも一歳か二歳ぐらい、年上なのだろうな、と。だから大人びているし、私よりも背が高いのもそれで説明が付く。
上下にも向けていない視線は彼女の唇しか捉えられなくて、目を合わせるには少し見上げないといけないぐらいの、身長差は。
だけれど。
こうして横たわった彼女に膝を貸していると、少し幼くも見えた。
治すまでは苦しそうに呻いていたけれど、今はただ只管に微睡んでいて。軽薄な笑みも、少し吊り上がった眦も、この時だけは夢幻と泥濘に溺れ、誤魔化されている。
だからだろうか。
『この時』が、少しでも長く続いて欲しいと思うのは。こうやって、夜闇の中で月灯りと星々に責め立てられながらも、彼女という陰惨な威光を独り占めしたいと願うのは。
貴女に焼かれるのは、私だけでいい。
貴女に焦がれるのは、私だけでいい。
貴女を乞うていいのは、私だけ。
今にもこの胸を突き破りそうな衝動を、熱い息として発散して。
泥と血に汚れた、彼女の髪を梳いた。
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梳いてみれば分かったけれど……ちょっと、前髪が長い気がする。
鋏で切るように指で挟んでみて、少し引っ張ってから落とせば、少なくともそれは涙袋までを覆って隠してしまう。横髪、後髪に関しては、まるで適当にざっくばらんと切った後に髪が伸びただけのような。
特に、問題は無い。
私もあまり人に言えた髪型というか、髪の長さではないのだけれど、私よりもリーナさんに関する事の方が比重は大きい。重量で例えるのなら、虫と龍ぐらいには違うと思うのです。
「……」
人の髪を切るのは慣れてない、というか切った事はないのですが。
もしリーナさんに頼まれたら、どうしたらいいのでしょう。
非常に困った。
困ってしまった。
「……ん」
低くて、掠れて、吐息の混ざった声。
上の空だった視線を下ろしてみれば――、
「おはよ……」
リーナさんが、目を開けていた。
「……お目覚めの程は?」
「さいあくー」
私の膝の上で『んー……!』と伸びをして、かと思えば急に起き上がって座り込んでしまうのだから、落ち着きが無いし、始末に負えない。その始末とやらを負う気も、負わせる気も、全く無いのだけれど。
考え込んでいる内に、リーナさんは泥だらけの着ている服を直し終えて、私に真紅の瞳を向けていた。
「なんか変な事は起きなかった?」
変な事と言えば、相応に枯渇寸前まで魔力が減っている事ぐらい。
だから、こう答える。
「いえ、何も」
「そか」
言うと、彼女は右腕に目を向けて、それからこちらを見る。
「腕、治したの?」
「はい」
「どうやって」
「《神聖魔法》で」
二つの質問に一つの答えを返すと、リーナさんはぐしゃぐしゃーと髪を両手で掻いて、その所為で更に広がってしまった掌の血液を嘆くように溜息を吐き。がっくりと肩を下ろして、数回頭を振るった。
止まった時には顔は上がっていて、眼窩の中で瞳をぐるりと一周させる。
多分、きっと、考え込む時の癖。
「……代償は? こう、対応する位置の感覚が術者から奪われる、とか。そういうのは?」
「それはどちらかと言うと、呪詛魔法の類ですね。神聖魔法での治癒に必要なのは術者の魔力のみで、それ以外に触媒と代償は必要とされないので」
色々と思い出しながら語ると、またもや瞳が一周して、一度の瞬きが過ぎた頃には目が伏せられていた。
「費用対効果は? 効力の限界は? その魔法の希少性は?」
「えー、と。費用対効果としては……他の属性の初級魔法、それが三発分で浅めの切り傷が治せる、みたいな感じです。効力の限界は、魔法を起こすのに必要な魔力を度外視すれば――死者蘇生以外なら、そして生物ならば、どこでも、なんでも治せます」
また、瞳がぐるぐると回っている。
「また、神聖魔法については、宗教者ならば誰でも持っています」
「……はい?」
目がびたりと止まって、いつもよりも治安の悪そうな目付きで見詰められる。
「宗教者ならば確かに誰でも使えますが、生得的な魔力量の限界だとか、治癒方面の才能だとか、そういうのも絡むので……め、珍しくはあるんですよ?」
一応の補足を付け加えると、彼女は立膝を付いて、その膝を使って頬杖を突いた。
「……じゃあさあ」
少し血の絡んだ声で気を強引に引かれて、目を向かされる。
「君は、どのくらいの使い手なの?」
どのくらいか、と問われても。
「……別に、私のこれは大した物じゃないですよ」
感情を込めないように努力した声でそう答えると、彼女は頬杖を突いていない方――つまり右腕をふらふらと私の視界に入るように揺らす。
「じゃあ、私の腕は、〝大した物〟じゃない君の魔法でくっつけられた訳だ?」
どうにも軽薄に笑ったまま、不穏に首を傾げて問うてくる。
「……」
言い方が、ずるいと思う。
それを認めれば、私はリーナさんに不利益を齎した事になるのだから。
別に、『答えろ』とでも【命令】すれば、きっと私の口は上滑りするように、魔法についても自分についてもぺらぺらと喋るだろうにも関わらず、わざわざこの人は私の口から引き出したいらしい。
多分、きっと、趣味が悪い。
「私の、この魔法、は」
「うん」
「防御とか、攻撃とかは、人並みですけれど」
『真摯に聞いてくれているんだ』と錯覚してしまうから、そうやって相槌を打つのはやめてほしい。
私の心臓が、高揚で弾けてしまいそうになるから。
「私は、多分。こと回復だけに限ったら――」
息を吸う。
「――正直、異常だと思います」
平均の腕前は知っていて、それと自分のを比べた際。
その効率、出力、持続性に範囲まで――きっと、異常なのだと思う。
攻撃と防御として神聖魔法を使う機会は一度も無かったけれど、治癒だけは何度も、何度も必要とされてきた。
だから、それだけが磨かれた。それだけが研鑽された。
あまり、誇りたい事ではないけれど、それでも――、
「教えてくれてありがとね。……それから、治してくれた事も」
――貴女の為ならば、私は恥を掻こう。
赤い恥も、青い恥も、どんな物だって。
貴賤も無しに。
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すごく大きな【水球】。
それが今、私達が服を着たまま浸かっている物の正体。
「……あー、ひんやりするー」
服を乾かす手間が掛かるし、着たままはどうなのかと言ったけれど。
目の前でリーナさんが服に触れた瞬間、付着していた泥が地面に落ちて服装が変わって、私が着ていた服もリーナさんが初めて作ってくれたのと同じ意匠に変わった上で、泥が地面にべちょっと落ちた。
常識が通用しない事を痛感しながら、擬態の為に付けていた化粧を落としている。
勿論、服を着たまま。
「きもちいいー」
で、リーナさんがでろんでろんにふやけてる。
「もうちょっと体裁とか、主人としての威厳とか、意識したらどうです?」
「だって冷たくて気持ちいいんだもん。さっきまで熱くてしょうがなかったし」
「熱い……?」
もしかして、治癒熱の事だろうか。私が今まで治してきた傷は右腕が千切れた今のリーナさんに比べたら浅い物だから、今回の治癒によって齎される影響については知識も経験も無い。
そんなに、熱い物なのだろうか。
「これが『治癒熱』ってやつ?」
「そうなりますね」
「……そもそも『治癒熱』ってなんなの?」
魔法や薬剤によって治した部位が熱くなる、という現象の事だけれど、多分それは経験則でリーナさんも理解しているだろうから、きっと定義や内容について問われている訳ではない、のだと思う。
だから、原理を問われているのだろうけど……。
「説明が難しい、ですね」
「まあ、やってみてよ」
少し長過ぎると自分でも思う私の髪を洗いながらも、彼女がそう乱雑に言う。自信は無いけれど、求められている以上、私には応える以外の選択肢は無い。
なので、頑張ってみましょう。
「……魔法、及び薬剤によって齎される『治癒効果』は大まかに、自然な治癒力を増幅させる物か、そもそもこちら側で治癒の過程を起こすか、の二つに分けられます」
基本的には〝増幅〟であった方が、分かりやすい元手があるから難度自体は低いけれど、大きな欠損や深手の傷では〝増幅〟だと根本的な出力が足りないから、重傷の時によく使われるのが治癒を〝再現〟する方法。
荷台を引く馬を増やすのか、魔導機関を後付けするのか。
どちらの方法を取ろうと――双方共に馬力は上がる。
「どちらの方法を取ろうと、患部が治る事には違いありません。そして、患部が治る際には必ず、人体の代謝は上がっている訳です。……いや、これは因果関係が逆ですね」
人体の代謝が上がっているからこそ、患部は治る。
「例えば頭を怪我した時、足の小指を角にぶつけた時、その部分は熱を持つでしょう? それは、人体が真っ当な治癒プロセスを行っているからで。なんというか、こう、血流を上げてなんか色々届けたりするらしいです」
「……急にアバウトになったね?」
「だって、詳しくは知りませんし」
ともかく。
「増幅するにせよ、再現するにせよ、その本来の治癒プロセスを物凄い勢いで行う訳です。だから忽ちの内に傷は塞がりますし、その影響で治癒された部分はとっても熱を持つ、という感じです」
ここまで説明すると、リーナさんは私の髪から手を離して、その感触を不思議に思って振り返ると――水の中に沈んでいた。
「ええ……」
【水球】の中で彼女は髪を掻き乱し、その手によって、またそもそもの水の性質により滲み出した泥は弾かれて、水の中から外に出される。【浄化】を混ぜておいて良かった。
お陰で、泥とかそれ以外の汚れ……血液とかが、ちゃんと〝穢れ〟として排除されているのだから。
私が考えている内に息が苦しくなったのか、リーナさんが水の中から這い出ては、直ぐに頭をぶんぶんと振るった。
「わ、ちょっと……!」
飛んだ水滴がびちゃびちゃと顔に当たっている。この人は犬か何かなのだろうか。いや、どちらかと言うと烏の行水の方が近い。
だってそっちの方がばちゃばちゃとしているのですから。
今みたいに。
「なるほどね、なんとなく分かった」
ぶるぶる振るうのをやめて、当然水に濡れている前髪を掻き上げながらリーナさんはそう言う。
ちょっとどころではない色気があるのはやめてほしい。容姿に依存した物だから、やめてと言ってもやめられる物ではないのだろうけど。
「フィア」
「はい」
「出よっか、ここから」
黒の革手袋を纏う左手が、下を指差していた。
リーナさんはなんというか、とてもマイペースなのだなあと思った。




