34 『死の受容過程について』
夜になったので抜け出し、今は天井の梁に張り付いてる。
梁だけにとは言わない。私は己のセンスの無さを悟った。あと、言えるような状況ではない。何を燃やしているのか分からないランプが、赤黒い光で不吉に壁面を照らしている……というような状況では。
「一体どうなってる!?」
下を覗く必要も無い。何故だか半径五メートルはまるで自分の事のように理解できる。空間把握能力どころの騒ぎではない気がするけど、使えるのならばそれでいいと思うんだよね。
この下にいるのは大勢の人間。それ以上は分からない。
だって、人の顔覚えるの苦手だし。
にしても多過ぎるとは思うけどね。
「ナックもアルも、サンガだって死んだ! 豚のエサみてぇにバラバラにされてッ!!」
うん、した。
だって挑発しないと。
「ロッドだって、あんな有様だ……!」
だって男が多かったじゃん。
だから、様々な感情を寄せられているであろう美人を見せしめにするのは最適解じゃない?
「縄に強く縛られた手首が、骨まで、削れてた……っ」
だって暴れるんだもん。私悪くないし。
「顔、だって。蛆が湧いて……あんな、あんなに」
別に湧いた訳じゃないけどね。
近くにいたんだもん。蛆が悪い。
いやまぁ、ちょーっと肉の繊維を切り取りはしたけど。
「綺麗な肌も、焼かれてた」
うん、火傷跡って見るに堪えないよね。私も知ってる。
「あの綺麗な銀の髪だって、切られて、穴という穴に詰め込まれてた」
……あ、銀色だったんだ。
暗いからよく見えなかったし、興味も無いから見間違う事もあるにはあるのかな。
それか、やっぱり興味が無いだけか。
仕方なくない? 銀髪だとしてもフィアの方が綺麗だろうし。
「あいつは――姐さんは、ルーカスと結婚するんだって、俺らに話してた、のに」
ちゃんと日程通りに動いてくれると助かるんだけど――まあ、それは希望的観測過ぎるかな。
「なぁ、お前ら。許せるか? 頭を殺し、気の良い奴らを殺して、姐さんを辱めた、アイツを」
なんの為に私が苦い記憶を掘り起こしてまで〝ペン〟を作ったか。その苦慮を考えれば、餌箱に書いた通りの時間・場所・人数で来てくれると……くれたらいいなぁ。
いつだって世界は、ちっとも私に優しくないのは理解した上で。
「アイツの誘いに乗る必要なんか、どこにもねえ」
ほらね。
「あの森で、精鋭で、囲い込んで殺してやる」
私が何をしたっていうのさ。
いやまあ、色々したけれど。
「――一日後だ」
机を叩き、そう断言している。
「一日後、あの森に行き、罠を仕掛けて、絶対、絶対に、奴を――」
――殺すぞ。
その声に、多くの賛同が怒鳴るように上がった。
▼△▼△▼△▼
「一日後だってさ」
「つまり、明日という事ですね?」
「そ」
いやぁ、中々の人数が集まってたなあと。そこまでして私を殺したいらしい。まあ殺したくなるように誘導したんだけど、あそこまで熱意が高いとは……んー、内集団バイアスの究極点だね。
まさか、支部同士が結託するとは。
思ってたよりルーカスには人望というやつがあったらしい。私という手柄を狙って内ゲバでも起こしてくれると助かったんだけど、手間が増えるだけだから特に問題は無し。
「ほら、これ着て」
手渡したのは地味な服。迷彩の掛かったおしゃれもクソも無く実用性全振りの上下。折角フィアに作った服を汚されたくもないしね。正直色々とデザイン考えて作るの、すっごい面倒だったし。
彼女が着替え終わったのを見て、夕方を収めた窓枠から手を差し出す。
「じゃ、行こっか」
握られたそれを、握り返した。
「虐殺の、準備をしにね」
▼△▼△▼△▼
「【水の神、その御名に従い恵みを与え給え――】【滴下】」
べちょん、と水滴と呼ぶには平面的なそれが落ち、私がぐちゃぐちゃにした辺り一帯に水気を与える。その上に倒れて、暴れ回って泥塗れになってから、事前に千切っていた雑草の真上に転がった。
「はい、フィアもやって」
「……やるにはやりますけど、これをする意味は?」
「迷彩」
だからやってと促して、フィアが泥の上で転がって、雑草を身に纏うのを眺める。
髪洗うの、手伝ってあげないとなあ。
「これでいいですか?」
「ん、ばっちし」
全身が泥と草塗れになった彼女を見ながら、歩き出す。
「上手くいくと、思いますか?」
「さあ?」
「さあ、って」
私の右手で彼女の左手と繋ぎながら、それをぶらぶらと揺らして暇を潰す。
本当に暇になる。
彼らが来るまでは。
「上手く行かせるしかないの。じゃなきゃ、私達の方が先に死んじゃうし」
半径十五メートルの空白。
彼女と私が初めて会った場所であり、私がちょーっと正気を失ってハイドの死体を執拗に損壊させた場所であり、彼女を初めて奴隷にならないかと口説いた場所であり――まあ、なんか色々と思い出のある所。
で、作戦遂行地点でもある。
やる事はとっても簡単。
「面倒な物に面倒な物をぶつける。それが最善手だと思わない?」
「……そんな上手く行くと思います?」
「言ったでしょう? 上手く行かせるしかないの。じゃなきゃ、私達の方が先に死んじゃうし」
泥に包まれた手の上に長めの糸を生成しつつそう述べて、遠くを目指して歩き出す。
後ろについてきているフィアの存在を朧げなほど明瞭に感じ取りながら、木の幹に透明度の高い糸をぐるぐると巻き付けて終端を結ぶ。
で、歩いて元の位置より少し前に戻って、彼女を抱えながら木に登って枝の上に座る。
「じゃ、後は待機って事で」
泥に不快感を覚えながら、彼女を引き寄せた。
「ちょっと……距離、近くないですか?」
「だってバレたら不味くない?」
彼女の腰に手を回し肩辺りに顔を埋めさせている、間近の銀髪は銀というより灰で、本来の輝きは色褪せた物。鼻腔に広がる匂いは泥と草。つまり自然派な感じ。本来の体臭はどんな感じなのだろうか。
というか今は、体温もあまり分からない。
生きて帰れたら、確かめてみようかな。
他人の匂いとか熱さとか、今まで気にした事が無かったし。
「で、なんか聞こえたりする?」
「……人らしい音は、何も」
《塞がれた耳》で存在核とやらの知覚が可能らしいけど、それに頼らなくとも彼女の耳は優れている。だって初対面で鑑定を掛けた時から《聴覚強化・V》だったからね。
他人からスキルを奪って、熟練度という総量に変換して糧としている私とは、根本的に練度が異なる……と思う。
《視覚強化・V》は[常時稼働技能]だけれど、ぶっちゃけ情報量が多過ぎて時々切りたくなるし。
いや、ON/OFFはあるから切ろうと思えば切れるんだけど、情報量により処理能力が圧迫される問題は《思考加速》で誤魔化せるし、稼働状態でいる事のメリットとデメリットは前者の方が重いからさあ。
あと単純に、森の中って入り組んでるから視力の良さを活かし難いしね。だからフィアの聴力に丸投げするしかない。別に働きたくないとか、そういう訳ではない。この後の事もあるし。
暗がりは目の性能を落としてしまうから、これは仕方のない事。
「――ん」
今まで目を閉じていた彼女の瞼が上がり、私を見詰めてくる。
「……います」
ほらね。
やっぱりフィアに任せといて良かった。
「どのくらいの距離?」
「三百メートル、ぐらいですかね」
普通に『メートル』って言うんだね。分かりやすくて助かる。
ヤード・ポンド法が死に絶えていて良かった。
「じゃ、私は虎の尾を踏んでくるから。……いやまあ、どちらかと言えば獅子なんだけど」
「一概にそうとも言えないのでは?」
確かに。山羊と蛇と混ざってるし。
そう考えながら、『また会おうねー』と手を振って別れた。
▼△▼△▼△▼
前にキマイラを観察する為に登った木の上。
頭部は獅子だが夜行性でもないのか、すやすやと丸まって寝ている。
「……」
ここで二度目の愚は起こさない。鑑定を掛けたら起きるという前例があるからね。まあ、気付かれた原因が鑑定行為だとは断言出来ないんだけど、可能性が一番高いからそういう物としておく。
《隠匿》と《柔軟》に《軽業術・破》の計三つは一夜の暗殺的挑発のお陰で熟練度が蓄積している。段階の無いスキルにも熟練度の概念はあるし、寧ろ際限・上限が無い気もしたり。
序破急、I〜X、のような分かりやすい段階のあるスキルは、細かな天井が幾つか定められていて、そこを越えたら次の段階に上がるけれど……仮に最上まで上がったらどうなるのだろうか。
段階の無いスキルと同様に、限界という物が取っ払われるだけか。
であれば、何故わざわざ序破急、I〜Xという段階を付けたのか。
そう区切る事によって総合的なメモリ容量を上げているのか。
とか色々と考えていると、寝ているキマイラの傍にまで来たから、適当に隠密関係のスキルを使いつつ筋肉質な体躯とその毛の上に乗って、躊躇いなく歩いていく。遮断系統は感知系統よりも便利かもしれない。
まあ、適材適所だよね。
脳内で呟きながら、丸まった身体を巣とするように鎮座している卵を抱え、キマイラから降りてから隠密関係のスキルを全て切った。
「おはよ。最悪な目覚めを届けに来たよ」
金の目が世界を捉える。
延いては私を捉え――卵を捉えた。
吠えもせずに腕を振り上げ、それを下ろそうとするが、直ぐ様卵を盾とするように抱え上げる。
「まだ産まれてもない自分の子を、君は殺せないよねえ?」
簡単にピタリと止まった右腕、半径五メートルに入ったそれを感じ取ってみれば確かに感触の違う、傷跡らしき何かがあった。
フィアはよく気付いたよね、あんなの。
そう思いながら、卵を割った。
「――――」
金瞳に通った逡巡。
恐らくそれは、呆気ない終わりを受け入れたくないという意志の元に発露した反応。砕け散る象牙色の殻と、ぷちゃりとぶち撒けられた卵白、半ば出来上がっていた筈の血肉に対するそれ。
それらを信じ難いと見守り、思考停止のまま情報を固辞している。
見開かれた似つかわしくない目に、間抜けに空いて牙を覗かせる口元。
つまりは、現実の否認。
キューブラー・ロスの『死の受容過程』から考えれば、次の発露は――、
「……ァ、ぁ゛ぁ、ぁァア゛あア゛ッッ!!!!」
――『怒り』、であった。




