33 『寂滅は五月雨のように』
夜であり、且つ街灯も月灯りの祝福さえも受けられはしない路地裏。
短剣片手に、くぐもり掠れた声で朗々と唱える。
「色は匂へど、散りぬるを」
その本質は諸行無常。どれほど美しい物であろうとこの世に不変である物などなく、全ては移ろい、乱雑さの流れにまつろっていく。
「我が世誰そ、常ならむ」
その本質は是生滅法。それは如何な生物とて例外は無く、変わり果てていき、一点に定まった終末へと収斂していく。
「有為の奥山、今日越えて」
その本質は生滅滅已。虚実然り、相反し対立した物に阻まれ、延いては蝕まれた世界。その中でこそ、人はただ一つの極点に達する。
「浅き夢見じ、酔ひもせず」
その本質は寂滅為楽。全ては寂滅を持って終わり、煩悩の一切からも解き放たれ。無となり虚となり、唯一の不易の中で安楽に服する。
「……輪廻とか、そこからの解脱だとか涅槃とかは信じれないけど、人生に対する虚しさだけに限ったら共感出来るんだよね。君はどう思う?」
問う。問うている。
「ぁ、……?」
返るのは、余程として掠れた息の根。
「あれだよ、世界観の話。誰もが持っている〝観点〟の話」
〝ここ〟に来てから数えるに初日に作った革靴が、石畳を捉えた。
こつりこつりと、爪先が石床を突き放す。
「私さあ、一度は死んだ身なんだけど、ラトボニルとかいう神様に誘拐されちゃったからさ」
「……」
「だから。経験者ではあるけれど、『死後の世界』が一体どういう物なのかは知らないんだよねえ」
仮面の中で籠もる息。
血に濡れた街頭に、既に乾いた嘴の赤。
短剣の頂点で、彼の顎を持ち上げる。
「……ちょっと、死んじゃったの?」
首に刺した。
帰結として、軽く飛び散った血。
「あのさあ、人の話を最後まで聞こうとは思わない訳? 死んでまで私の話を聞きたくなかったの? 私、君になんかした?」
……。
「いやまあ、したけどさあ。主に殺害とか」
溜息。
「君は一体何処に行ったんだろうね。天国? 地獄? それとも『人生』が水槽に浮かんでる脳の見る夢だって気付いたの? 或いは、輪廻の待合室にでも行った?」
再度の、溜息。
「まあ、いいよ。君には役目があるから」
〝口〟。
それが、死体を呑み込んだ。
「立派なトロフィーに、したげるからさ」
▼△▼△▼△▼
二十人ぐらい殺したけれど、死体を食べてはいない。
計画上、必要であるから。
どの部位まで食べたらスキルを獲得出来るのか、《脚力強化》ならば脚を食えばいいのか、であれば《火魔法》などのスキルはどこに宿るのか。そういう取得条件が明確になればつまみ食いも出来たのだけれど。
案の定、時間が無い。
キマイラの事を偵察してフィアの精神を落ち着かせて銃をバラして作って、漸く暗殺という手段による挑発に踏み出したから、明朝までには二時間程度しか無い上に、ちょっと精神的余裕が足りない。
糸の罠に首が掛かった辺りでくいっと指を引き下げ、密度を上げると同時に〝変化〟で全長を減らして、首を胴体と泣き別れさせる。
「おやすみー」
これで、二十……四人目。多分。
これだけ無作為に、そして広域的に殺せたのならそれで十分だから、後は手早く仕上げに移ろう。
早めに帰らないと、多分フィアの精神が病むから。
▼△▼△▼△▼
「……離れてくれない?」
「……はい」
そうお願いしてやっと離れてくれた。【命令】は魔力を使わないと下せないらしいから、ここで無駄遣いはしたくない。一応口外されたくない情報に関しては全部お口バッテンになるように【命令】しているけど。
単純に彼女は従順で、お願いするだけで言う事を聞いてくれるから、こんな事にわざわざ使うほどでもなかったりもする。
だけど信仰心を隠そうともしないのはちょっとどうかと思う。TPO的に。
私だって……まあ、少しは守っているのに。
今まで――それこそ会ってからの二週間は向かい合って無感情にご飯を食べていたのに、今では私にべたべたとくっついて高い頻度で見上げては瞳を潤ませている。今まで見た事の無い人種だから怖い。
いや、似ている人種はよく見てたけども。
「リーナさんは、こう、今の朝食は舌に合っていますか?」
「んー……」
別に、ほぼ腐ったコンビニ弁当よりも美味しいから合う合わないの話じゃないんだけど。多分私は、ふかした芋にバターが乗っているだけで感動してしまうのだと思う。
食べてみたいね、いつか。
「美味しいよ。どこ行っても毎日似たようなメニューなのと、味が濃い目なのを除けば」
「そう、ですか」
ふむ、と口元に右手を置いて彼女は考え込んでいる。
それを無視して豚肉を咀嚼する。
「だったら、私が作りましょうか?」
「作れるの?」
「作れます」
まあ、《料理術・破》があるしね。結構頑張ったのだろう。その頑張った場所や環境を、私は深く知らないが……私と似たような精神構造をしている時点で、なんとなく察せられた。
だから、普通なら抱き締めたり涙でも流して『頑張ったね』とか褒めるべきなんだろうけど。
それをして得られる利益は特に無いし、これ以上彼女の依存を深めた所で扱い難い道具になるだけだ。
可愛いとは思うけどね。
顔立ちとか、振る舞いとか、私に依存してる所とか。
ただ、殺そうと思えばいつでも殺せる。
そこに心理的抵抗は一切無い。
「なんか、得意料理とかあるの?」
「……えーっと、色々?」
「その中で一番得意なのは?」
「シチューとか、ですかね」
撤回。やっぱり、殺すのには抵抗があるかもしれない。
だって、シチュー食べたいし。
▼△▼△▼△▼
仕込みの結果が出るのは……まあ今夜に確認するとして、今日は彼女を奴隷にした事だし、そろそろこの異世界に於ける一般常識に付いて尋ねようかなあ、と。
「という訳でフィア、教えて?」
「まあ、いいですけど……」
何故か微妙な顔をされるが、私が関わってきた数少ない人間はいつもその表情をしているから、彼女も例に漏れずそういうタイプの人なのだろうと納得しておく。
「じゃあ、説明しますね」
「ん、お願い」
本当は食堂で食事を取るのすら危なかったんだけど、まあ朝日の上がっている今であれば多分大丈夫。組織の彼らはそれどころではないというか、ちゃんと膝を突き合わせて話し合いしてると思うし。
そのぐらいの頭はあると思う。多分。
「まずは、お金から説明していきますね。……えー、金貨は例外ですが、銀貨と銅貨には三角形の物と四角形の物、それから五角形の物まであって、頂点の数が増える程に価値が上がります」
彼女は【カード】から該当する通貨を出しながら……いや、あれを『出しながら』と表現していいのだろうか。どちらかと言うと作りながらというか、なんか天使の御業みたいになってるけど。
説明自体の内容について考えれば、大分前の私の推測は当たっているという事か。加工難易度の通りに価値が上がっていくのかな。
「銅貨にギザギザとした溝は入っておらず、銀貨にはギザギザがあります。これは金貨にも当て嵌まる事ですが、基本的にギザギザの無い方が価値が低く、あると価値が高くなりますね」
じゃあその理屈で言えば。
「金貨も例外ではなく、価値の高い方にだけギザギザが付いてます。それを大盤金貨、と呼びます。それよりも一つ位の低い盤金貨にはギザギザがありませんが、大盤金貨同様に完全な円形をしています」
やっぱり。
というか、金貨は円いんだね。
まあ、分かりやすいんじゃない?
「ちなみに、銅貨や銀貨の事を呼ぶ時は、基本的に角の数が前に付きます。五角形の銅貨ならば『五角銅貨』、三角形の銀貨ならば『三角銀貨』……という風に」
説明と同時に、五角形の銅貨と三角形の銀貨を指に持って、私に見せてくる。五角銀貨とかじゃないのは多分、お金が無いから。まあ法則性さえ分かればいいから、銅貨だろうが銀貨だろうがなんでもいいんだけど。
「じゃあ本題の、それぞれの具体的な価値は?」
「銅貨がそれぞれ、三角が十円、四角が百円、五角が千円です」
《言語完全知識》は異言語の意味を強制的に脳に塗りたくるスキルだけれど、それ抜きでも彼女の『円』と言った言葉は理解可能な発音で発せられている。ん、まあ、分かりやすいんじゃない?
「銀貨は?」
「三角が五千円、四角が一万円、五角が十万円です」
……じゃあ、この都市の通行料は一人当たり五百円で、初対面からの二週間で泊まっていた宿の料金は一部屋五千円……という事か。なんか安くない? こんな物?
「金貨は?」
「盤金貨が百万円、大盤金貨が一千万です」
「わあ」
じゃああの依頼書はキマイラ一頭辺り五百万……?
安くない? いや、物価を加味すれば高い?
まあ、今まで不透明だった通貨の価値が透き通ったのであればそれでいいや。難しい事は最悪全部フィアに丸投げすればいいしね。自立しようと思えば出来るけどしたくない。今の私には奴隷もいるし。
「じゃ、次。魔法について」
「了解です」
出したというか作った通貨を、彼女は【カード】に魔力として還元してから、数秒頭を悩ませる。だって眉をすっごい寄せて口元に右手寄せてるんだもん。絶対考え込んでると思うの。
「……えーと、魔法の何について知りたいんですか?」
「全て」
「全てですか」
「そう、全て」
あ、また考え込んでる。
「えー、ちょっと宗教的な話になりますけど……」
「いいね、私宗教大好き。好きすぎて一柱を殺してしまうぐらい」
「そ、そうですか」
私のジョークって、やっぱりちょっと通じないよね。
あれか、カルチャーショックか。
「じゃあ、話しますけど……」
原因の分かり切った事を未練がましくぐちゃぐちゃと考え込んでいる間に、彼女は未だに下げているΨの形をしたペンダントの飾りを祈るように握った両手で包み込み、剃刀の刃を吐くように述べる。
「――主が、この世界に降り立った時。その御首を揺らされた時。その、あまりの荒廃具合に心を痛ませ……主は一度全てを焼き払い、御身を左手で千切り――骨、血、肉、管の四つに選り分け、その中でも最も暗い血を闇と定め、最も眩い血を光と定められました」
んー、最も暗い血と最も眩い血って、もしかして静脈血と動脈血の事? 確かに静脈に通る血は暗い色をしているし、動脈に通る血は酸素と赤血球がくっつくから色鮮やかな赤色になるけども……。
「骨は、その地を硬くも均し上げました。血は、流れを作った事で大地に瑞々しさを与え、肉は脈を持ち上げ山を作り、恵みを齎しました。管はそれらの働きが留まらぬよう背を押しました。最も暗い血は休息を世界に設け、最も眩い血は世界を晴れ晴れと照らし、遍く心に希望を与えました」
……あー、この世界に於ける創世記の話ね。
些かグロテスクだとは思うけど。
そう思う私を置いて、彼女はどこか自失なまま言葉を紡いでいく。
「主は己の身体だった物の働きを見届け、それらに名をお与えになりました。骨には『ストーン』、血には『ウォーター』、肉には『ファイア』、管には『ウィンド』、最も暗い血には『ダーク』、そして最も眩い血には『ライト』……と」
「そうして、主はその慈愛を以て世界の息を吹き替えさせましたが、災いはその後に起きました。再生と同時に、世界の深奥に閉じ込められていた〝龍〟が起き上がり、右腕を以て最も眩い血を殺し、それだけでは飽き足らず最も暗い血も、管も、肉も、血も、骨すらも喰い殺してしまったのです」
「主はこの一連を見守っていました。ですが、〝龍〟は六つ子だけでは満足せずに、主に襲い掛かりました。しかし、主は〝龍〟を大地の枷で縛り付け、流水の槍を突き刺し、業火の炎で焼き、暴風の刃で切り裂き、意識を夜闇に、邪なる心は聖光にて祓い尽くしました」
「そうして、爪も牙も折れた〝龍〟を世界の深奥に押しやり、争いの所為で荒れ果ててしまった土地を元に戻す為、再度御身を切り裂き――骨、血、肉、管、最も暗い血、最も眩い血を取り出し、一度目のように、しかし悲劇が繰り返されぬようにと想いを籠めて名を与えました」
「骨を『アース』、血を『フロー』、肉を『フレイム』、管を『ストーム』、最も暗い血を『シャドウ』、最も眩い血を『シャイン』……と。想いを籠めた名付けは六つ子に活力を与え、そうして最後に主は世界に熱を与え、一度目よりも豊かな安寧を作り上げ、そうして創られたのが今、私たちがいる世界――〈ホルトゥルクス〉です」
「そして、これが魔法の全てです」
「どゆこと」
なんか壮大なのは分かった。だけれどこれは成り立ちであって、本質的な所には――、
「……そゆこと?」
「そゆことです」
要するに、無駄な部分を省けば〝主〟とやらがこの世界を創った手段とは、命名による現象の増大化だ。
『二度目』の名付けの際は想いとやらを籠めて六つ子に名前を付けた事が要因で、『一度目』よりも早く復興が終わったという事にすれば、まぁ文脈からして彼女の伝えたい事が分かる。
要するに、最も本質的な【魔法】=『名付け』という概念を伝えたのだろう。そうでないとしても、私が先走り過ぎているだけに終わる。
「骨肉という前例があるからこそ、その御名は現象そのものを意味します。故に、『ファイア』と唱えればそこには火が灯り、『シャイン』と呟けば指には光が灯る訳です」
「じゃあ、魔力を消費するのはライセンス料みたいな感じ?」
「……た、ぶん?」
まあそりゃライセンスをライセンスと日本語の発音で言ったら伝わる訳が無いよね。
伝える気も無い独り言みたいな物だから、別にいいんだけど。
「骨肉達は崇拝されてる訳?」
「はい。それぞれ水神様だとか、なんだとかって」
こう、〝主〟っていう信仰対象がいるのに分裂体に浮気しても大丈夫なの? いや、間接的には〝主〟を信仰している事になるのかな。三位一体というか、七位一体? 多いね、混乱しそう。
「じゃあ、【氷球】ってどうやって出すの?」
「分からないです」
「そか」
んー、意図的に情報を隠しているとは思えないし、【命令】すれば分かるような嘘を吐くとは思えないし、本当に分からないんだろうなあ。
あれか、咄嗟だったからよく分からない、みたいな。
「そういえばさ、〝主〟って言ってたけど、そう呼ぶのは口に出すのが恐れ多いとか、そういう理由だよね?」
「まあ、はい」
「じゃ、名前言ってくれる?」
宗教者に対する無茶振り、だけれど彼女の信仰対象は私だから、多分言ってくれるでしょう。名前がそのまま現象に繋がるのなら、〝主〟とやらの名前を把握しとくのはそう悪くない筈。
そう考える私の前で、彼女はΨの形をしたペンダントの飾りを縋るように握り締め、何度も口を開いては閉じている。
「大丈夫。ここには、君に信仰を強制する人はいないから」
右手で耳輪に髪を掛け、優しげな声で呟けば。
目が見開かれる。
そのまま愛おしそうに、そう見えるように見詰めて頭を撫でてやって、頬に手を滑らせて親指で、何度も何度も青さすら感じられない赤みの目立つ真白の頬を撫で、背中を押した。
そこまでしてようやっと、口が開かれる。
「主の……御名は」
「うん」
「御名、は」
吸った息。
「――ラトボニル、です」
「――――」
……うげえ。




